(2008年4月24日)弁護士・未熟な人間・今枝仁:お詫びとお知らせ
(2008年4月26日)弁護士・未熟な人間・今枝仁:人間・橋下徹
“人間・橋下徹”については、正義感が強く、不正に厳しい人物であると思います。悪い人ではなさそうだとは私も思います。話にきっちりヤマとオチを付けるところは、関西人として高く評価しています。ただ、普通のおじさん、おばさんも同じ様に正義感が強く、不正に厳しく、政治について熱弁しています。配慮に欠け、責任を取りたがらないところも、打算が働くところも、その辺のおじさん、おばさんと変わりません。誰だって自分以外のことには想像が及ばないもので、責任だって取らなくていいものなら取りたくないと考えるものですから、それが直ちに悪であるとは思いません。“人間・橋下徹”は正義感の強い平凡な人物だと思います。そういう意味では親しみ易い人物であると言えます。そのような人物が弁護士となり、弁護士らしからぬ過激な発言と、冗談を散りばめた話術を活かし、タレント活動で得た発言力を間違った形で発揮したのが、懲戒請求煽動問題の端緒であったと認識しています。
当初、橋下弁護士は“弁護内容”を主軸に弁護団を批判し、懲戒請求を勧めていましたが、大阪での集会に参加してからは“世間への説明責任”へと重点を移しました。自身も弁護団4名を懲戒請求すると言っていましたが、結局は言い訳を弄して実行しませんでした。彼の発言を真に受け、テンプレート集サイトに乗せられた純朴な人だけが馬鹿を見たのです。言われるままに行動する一般懲戒請求者にも問題があったのは当然としても、自身の意図を正しく伝えることもなくブログの更新を放置していたこと、ウェブ上に出回っていたテンプレートの文言に含まれる不備を指摘しなかったことなど、橋下氏の発言力があればいくらでも懲戒請求の方向性を是正できたにもかかわらず、彼は今に至るまでそうしませんでした。
また、橋下弁護士は大阪集会に関する記事で、名も名乗らずに野次を飛ばしてきた者に対して「チンカス」と罵倒していました。下種な言葉で、とても自分のブログに転記するような表現ではないですが、この言葉は男性器に付着する垢の俗語でしょう。光市母子殺害事件について関心のある人であれば、この事件が性的な要素を含む陰惨な事件であることは、既に皆、御承知のことと思います。その犯行を強姦と捉えるか、屍姦(死体損壊)と捉えるかの解釈上の差異はあるにしても、です。そのような事件に関する集会で、卑怯な野次への抗議の文脈とはいえ、他に言葉を選ぶことは出来たと思います。しかし、彼はいつもの放言のままに、こう表現したのです。橋下弁護士にとって、遺族とは自らの正義を振りかざす為の錦の御旗に過ぎないのだなと、私が実感するに至った言葉です。
橋下弁護士を支持していた人達も彼のこのような言動を窘めることもなく、むしろ弁護団を辛辣に批判する彼に対して「GJ!」と当時は応援していましたから、似たような感性なのだと思います。橋下弁護士が代弁していた「世間」とは、そのような特異な世間のことでした。それは主としてネット上で“祭り”に興じている人々(本記事では彼らを指してネット世論と呼ぶことにします)。ネット世論は、光市事件に関して死刑を希求していました。被害者対弁護団という本来の裁判の構図ではないものにメディア報道が安易に流れてしまったことに苦悩する本村氏の意図をよそに、ネット世論は判決後も遺族である本村氏に挑戦しそうな人物を見つけては曝し挙げ、罵倒していました。弁護団、朝日新聞記者、青山学院大学准教授など。弁護内容を精査した上での批判をしていた人もいるにはいましたが、私の見た限りでは極少数でした。
本村氏が求めていたのは極刑(最高刑)でした。彼にとってかけがえのない最高の存在である妻子、その生命と尊厳を奪った被告人に対して、最高刑の次の刑、次の次の刑が適用されることは、亡くなられた妻子に対して申し訳が立たない。遺族がそう考えることは自然な感情であると思います。また、極刑を望むだけでなく、被害者全体の視点から優先傍聴権、意見陳述権、犯罪被害者基本法、犯罪被害者給付金制度とその改正、少年審判の傍聴など、被害者団体の活動は厳罰化以外にも多岐に亘りました。しかし、ネット世論が関心を持ったのは、死刑ただそれのみ。裁判を、裁判官・検察官・弁護人という三者の役割から見て、或いは、そこに遺族を含めて四者の立場を理解するというのではなく、ただただ、被害者遺族vs弁護団、被害者vs誰某という対立図式で処理していました。
ネット上で激情を募らせる人達は、日々、どこかの誰かをろくに調べることもなく、小突き回し張り倒すことで日常生活の憂さを晴らしているようで、そのような彼らにとって本村氏の存在は、反論を寄せ付けない絶対安全圏であり、光市事件に見られる対立図式は反左翼・反人権派といった反○○ごっこの格好の材料でしかなかったように思えます。彼らが死刑を希求するのはそのような思考からでしょう。日本国はたまたま最高刑として死刑を採用しているから、その限りにおいて本村氏の思考とネット世論の思惑が、外形的に一致していたに過ぎません。本村氏の激情にしか寄り添わない人達の言い分、そうした括弧付きの「世間」を代弁している“人間・橋下徹”も、彼らと同様であると思います。
橋下弁護士が今枝弁護士に示した問題意識は、裁判員時代の弁護活動を念頭にしたとき、謙虚に傾聴すべき一つのアドバイスなのかもしれませんが、そのアドバイスは橋下弁護士からでなくても受け取れたものであり、また、彼から受け取るにしても、懲戒請求煽動の責任を有耶無耶にする必要まではありません。懲戒請求煽動の問題点・危険性を認識しており、かつ当該記事においてもそのように記しているのであれば、最低限、橋下弁護士との間で、刑事弁護人の地位・職責に関する理解を周知徹底させるという確約を得るべきであり、その約束が何らかの形で果たされてから損害賠償請求訴訟を取り下げるということでも良かったように思います。元光市事件弁護団という肩書きを持つ今枝弁護士の現在の発言力・政治力は、刑事弁護への無理解を是正するために最大限発揮されるべきであり、その自らの交渉カードを切るのであれば、相応の条件を付けるべきであったと考えます。
「ある信頼できる人物」(おそらく宮崎哲弥氏ではないかと個人的に推測していますが)から伝え聞く橋下弁護士の発言の通り、私自身も今枝弁護士は「男気があり、優しい人間で、謙虚さも失っていない人物」であると思います。「光市事件の弁護活動は、被告人や遺族、社会にとって絶望的なものだが、唯一の救いは今枝弁護士が入っていることだ」とも思いました。弁護人を解任されたときには「光市事件の被告人や弁護団にとっては、致命的に残念だ。もうあの事件に救いはないだろう」とも思いました。ここまでは橋下弁護士の今枝評と同意見です。訴訟相手に対しても礼節を失わず、見るべき意見があれば同意し、批判すべきは批判する公正さ、また、懲戒請求煽動被害訴訟を取り下げるに際して、他の三弁護士が自身の対応と比較され、非難されることを懸念して補足説明をする点も含め、これまで非常に誠実な対応であった思います。
伝え聞く橋下弁護士の発言のうち、同意しかねるのは「彼のような弁護士が、光市事件の判決の後、裁判員時代に向けて刑事弁護を再生してくれるだろう」という部分です。刑事弁護を再生しないといけないところまで毀損させたのは、橋下弁護士による懲戒請求煽動であり、その責任を取るのは当の橋下弁護士自身です。府知事の仕事がどれほど忙しくとも、自分で巻いた種は自分で刈り取るべきことです。美談じみているというよりも、市井の人々が時々そうするように、彼もまた自分を美化しているだけでしょう。先述したように遺族感情を慮る様子さえ見られない人物ですから、今枝弁護士に関する評価もご都合主義として、聞き手の側である程度差っ引いておいた方が良いと思います。
個人的には、今枝弁護士が変節したとは思いませんし、世渡り上手の売名行為とも思いません。論理一辺倒の人物よりも、情と理の間で葛藤に苦しむ人物の方をこそ信頼したいと思っています。ただ、ウェブ上では、お人好しなだけの人物は評価に値しないのです。ここはそういう過酷な空間です。そこで発信し続ける限り、唯いい人であるというだけではいられません。あまり右往左往していると、文責さえも軽く見られてしまいます。変節漢と受け取られるか、刑事弁護の在り方に苦悩し模索する人物と受け取られるかは今後の活動次第であると思います。
最後に、懲戒請求支持者からの今枝弁護士批判が収束し出した理由を検討しながら、私個人が今後、今枝弁護士に勝手に期待していることについて少し書いてみます。収束理由は三点であると考えます。
第一に、今枝弁護士自身がブログその他の媒体で精力的に発信してきたことが挙げられます。弁護士という職業は唯でさえ取っ付きにくそうなイメージがあり、さらに本件のような凄惨な事件に参加する弁護士はきっと思想的に偏っているか、得たいの知れない人物に違いないという先入観が人々の間にあったことでしょう。そうした先入観が崩れたのは、論理のみならず情緒的な面もありのままに曝したことで、「悪徳弁護士」というイメージではなく「人間・今枝仁」が少しずつ見えてきたからだと思います。
第二に、弁護団を解任されたことで、保革対立構造でしか物事を判断できない人達が評価を少し改めたことが挙げられます。しかし、この層は言説の中身を精査するのではなく、キーワードで色分けしているに過ぎないので、心許無い存在であるとも言えます。彼らは懲戒請求の嵐の際には何ら声を挙げませんでした。暴風が過ぎ去ってからならば、誰でも好き勝手言えるものです。21人の弁護人に対しての敵意・悪意は未だに変わらないでしょうし、弁護内容を批判することと弁護人一人一人の人格を攻撃することの区別が付いていない人も散見されます。
第三に、良き庇護者を得られたことが挙げられます。今枝弁護士の著書『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』の帯に、宮崎哲弥氏による推薦文が載っていました。『本当は、人が人を弁護することなんかできない。それをわかっている弁護士こそが、真の「人権派」だ。この男、わかっている。』と。その宮崎氏の配慮でしょうか、先日のラジオ『アクセス』への出演、そして、昨日の『たかじんのそこまで言って委員会』(以下、『委員会』)への出演を果たされました。懲戒請求煽動の舞台となった番組、敵地へ単身乗り込むという姿勢は、おそらく今まで、そして現在、今枝弁護士を批判している誰にも出来ない壮挙であると思います(但し、本日の『委員会』を見た限りでは、懲戒請求を煽動した番組にもかかわらず、BPOの勧告に反発する意見が多く、メディアおよび時事評論家の自浄作用には殆ど期待できそうにありませんでしたが)。
現在の硬直した保革対立的視点からの偏見を突破するためには、中道右派あるいは右派の論客が、良き庇護者としての役を買って出るべきであると考えますが、今の右派言論界にそのような国士は何人もいません。今後、弁護団や弁護団寄りの人達が独自に集会や講演を開いても、それがまた憶測や偏見を招き(所謂「燃料」となり)、ネット世論の憎悪を増幅させるだけということになるでしょう。今枝弁護士が弁護団へ参加するきっかけとなった足立弁護士もまた、そのような憎悪に曝されて生きていくことになるのでしょう。そうであるならば、今枝弁護士にとっての宮崎氏のように、自身が良き庇護者となって、彼らと彼らの家族が社会から孤立しないように、そして、刑事弁護への理解という公益のために、持てる発言力を適切に行使されることを切望します。今、弁護団との間にいくつかの蟠りがあったとしても、初心の友情を大事にして頂きたく思います。良き庇護者という任は、ほんの限られた人物にしかなし得ないことと思います。
でも、その前によく休息をとり、あまり思い詰めないで下さい。刑事弁護人はともかく、弁護士業を続けていれば、報われること学ぶこともあると思います。出家、遁世されませんように。専門家が平易な文章で刑事訴訟に関する解説記事を公開し続けるだけでも、私も含め一般人には勉強になるものです。そうして少しずつ刑事訴訟、刑事弁護への理解を深めていくことも、今枝弁護士に出来ることだと思います。短い期間での劇的な変化を期待していると、世の中の殆どのことには絶望するしかありませんから。
※同日2時頃、誤字脱字と一部事実誤認について訂正しました。
参考になります。
基地外弁護団を懲戒せよと懲戒請求申請書
が既にアップされてたんだよ、橋下氏が発言しなくても、あの弁護団に懲戒請求が殺到していた事は確実なわけ、何故一審二審
で8年も争われた裁判で差し戻し審で弁護団が変わるや全くそれまでと供述を変えてきたのか、荒唐無稽なストーリーも弁護団が作らせたものだと既に批判が殺到してたわけ、それについて世間に説明しなかった
会見を開いていないと思われていた弁護団に猛バッシングが掛けられたわけ、何が刑事弁護を失墜させたのが橋下弁護士だ!!
遺族感情を慮る様子さえ見れない人物だ?
本村さんに対して徹底して配慮しているし
自分の発言でこのような事になって申しわれありませんと何度も挨拶すてんだよ
それで本村さんからも、有り難いお言葉を
頂いたと橋下氏本人が言ってんだよ、何も
知らないでデタラメなこと書いて偉そうに
批判している君は底抜けに馬鹿だな
橋下氏が野次を飛ばした基地外のような人間は除き物凄く人に礼儀正しく謙虚であることも君は知らない、
ただ、悲しいかな、おそらくは分析している情報量が違います。
非常にいいセンスをもたれていると思います。傾聴に値する部分も数多くあります。
一番悲しいのは、あなたにさえ、おそらく、僕を図る物差しを自分の尺度にされていることです。
偉そうなことを言われたとか、人格を否定されたとか、そういう受け取り方をされず、理由や背景をいろいろ考える人だと思い、あえて厳しめに書かせていただきました。
これからも、アドバイスを、お願いします。
>非常にいいセンスをもたれていると思います。
>傾聴に値する部分も数多くあります。
>一番悲しいのは、あなたにさえ、おそらく、僕を図る物差しを自分の尺度にされていることです。
私もsokさんと同様の思いです。
そして、今枝先生がブログを立ち上げた時から拝見していましたから、今枝先生のお人柄の良さや功績を、とても高く評価しています。
同時に、所詮私は傍観者であり、まさに渦の中にいる今枝先生の苦悩は、いくら想像しても及びのつかない事なのであろうとは、抽象的に理解できます。
私も、私の尺度でしか今枝先生を測る事はできないのであり、そこに一種のおこがましさを感じないではありません。
それを承知のうえで、敢えて言わせていただくのですが…
やはり、今枝先生の橋下弁護士への訴訟取下げについて、現時点ではガッカリしているというのが正直な気持ちです。
取下げによって、何かが好転するという流れが全く読めないからです。
もちろん、当事者である今枝先生にだけ見えている光があるのかもしれません。
私としても、そうであって欲しいと強く願うところです。
でも、傍観者である私の全知識・知性を最大限動員してみても、光がまったく見えないだけに、今枝先生のお人柄と能力を高く評価していても、やっぱり不安を拭い去れないのです。
今後、刑事弁護はますます茨の道に進んでしまうのではないか、と。
一つだけ、今枝先生より私の方が有利な部分があるとすれば、それはまさに傍観者故の無責任さに思い至れるということでしょうか。
今枝先生をはじめ、懲戒請求運動批判をしてきた私も、「なぜネット言論は理解しようとしてくれないのだろう、言葉を聴いてくれないのだろう」という思いを感じたことはあったと思うのです。
門前払いを喰らっているような空虚さを。
そこにあった溝が、今回は私と今枝先生の間にできてしまうのかもしれません。
いくら今枝先生が言葉を尽くしてくれても、私の至らなさ故に、それを理解できないのではないかという不安です。
尊敬する今枝先生を門前払いしたくなどないのに、それしかできなくなるのではないか、と。
今枝先生のブログや上記コメントを見て、相当な計画と準備と覚悟がされていることはひしひしと伝わってきます。
ですがそれは、私のような自分の物差ししか持たない者にも伝わる計画なのでしょうか?
今枝先生がいかに正しいとしても、それを世間の大多数に理解させなければ、結局は刑事弁護に関する問題は解決しない気がするのです。
多数決で物事が決まってしまうという残酷さを、懲戒請求問題で思い知ってしまった(我々が本当に欲しいのは、綱紀委員会の決定ではなく、やっぱり世論の理解ですから)だけに…
そして今回、意図せずに、私が多数意見として今枝先生の正しさを蹂躙してしまう事態になりはしないか、と憂慮してしまいます。
人は、結局、自分の知ることしか知りませんから。
まずは、無知の涙を流してください。
分からなければ、ソクラテスを研究してください。
孔子と老子を学んでください。
僕は、いったんネット世論を引きつけておきながら引き離し、何をしようとしているのでしょうか。
橋下裁判は、何かのカードになっている状態ではないでしょうか。
今枝弁護士は、現時点の状況を想定し、橋下裁判を切り札として利用する手を思いつき、いったんわざと弁護団を挑発して解任され、謀略をめぐらしていたという仮説も説得力がありそうです。
その推測されるところの目的は、意外と、被告人、弁護団、遺族、弁護士会、社会秩序、いずれも護ろうという大局的な視点かもしれません。
だから本村洋さんは今枝弁護士を(批判してもいいくらいの状況を見ながらも)あえて静観しているのですね。
本村さんの意見陳述にさえ、今枝弁護士を利用した謀略の影響を感じます。
すべては、公益の最大化のために。
>僕を図る物差しを自分の尺度にされていることです。
”自分の崇高な理念を世に知らしめるためには他の者は犠牲になっても仕方ない”と言ってるようにしか取れません。
本エントリー後半では私的領域に踏み込んだことを書いてしまいました。その点を先ずお詫びしておきます。申し訳ありません。分析している情報量の違いに関しては、当事者の権限で得られるものとそれ以外の者がウェブ上および書籍などで得られるものとの格差であり、こうした情報格差からの非礼があるとすれば、その点についても申し訳なく思います。
私なりに幾らか思案してみたことについて書いてみます。差戻控訴審の判決後、メディア出演と同時期ぐらいでしょうか、今枝さんのウェブ上でのコメントがやや高慢なものとなっているように見えました。元検弁護士のブログや場外乱闘掲示板でも、そうした態度に反発するコメントが見られます。その一方で、ラジオ『アクセス』や『たかじんのそこまで言って委員会』、『サンデージャポン』などでの言動は、非常に低姿勢でした。このメディア毎に使い分けられた不自然な対応をどう評価するか。
個人的には、メディアでの説明責任を果たそうとしながらも、昨年一年間の疲労からくる苛立ちがブログの方ではストレートに出てしまったのだろうかと先ず考えました。ただ、だいちゃんさんが言及されているように、ブログ開始当初から見ていた者としては、ブログ初期の荒らしにも似たコメンター群に対して非常に誠実な応対を続けられていた姿も記憶にありますから、今の急激な変化には何か意図があってのことではないかとも思いました。
尤も、その意図については、正直なところ、まだ私には理解できていません。所謂「世間」のバイアスを解くために敢えて「世間」の中に飛び込もうとしているのか、注意を自身に引きつけることで遺族vs弁護団という構図を破ろうとしているのか、その他の意図があってのことなのか、或いは複合的な意図によるものなのか。その目的を達成するために、わざとそれまでの支持者を突き放すような言動を試みているのか。もう少し考えてみようと思います。
一つ、気になったことがあるので、後ほどメールします。
弁護団が依頼者に裁判上、大変な不利益になる弁護活動をし、それを世間に全く説明しなかったと思われた事が、これだけ懲戒請求の申請書がネット上にUPされマスメディアで徹底的に批判され世間からも猛批判された理由だ、もうこの事件の判決から
明らかなように世間の猛反発を受けるような刑事弁護は依頼者にとっての大きな不利益となる、そんなイカれた弁護活動をし
結果、死刑判決を招いた差し戻し審の弁護団を批判するのは当たり前だ
次にコメントされる機会があれば、コメントしたい内容は全てコメント欄に入力し、名前欄には長過ぎず短過ぎない特定性のある名称を記入して下さい。コメントする際には、引用部分と自分の主張を明確に区別して頂ければ、閲覧者の負担も少なくて済みます。これらの点が守られない場合は、放置or削除も検討します。御指摘の件に関しては、下記リンク先に追記形式で言及しておきましたので、そちらを御参照下さい。
橋下弁護士の主張する“世間への説明責任”はネット上の“世間”に正確に伝わっていたか
http://sok-sok.seesaa.net/article/54977132.html
馬鹿か、アンタさん、コメントありがとうございます。
弁護内容を適切に批判することと不当な懲戒請求を肯定することは違います。名前欄とコメント欄の区別もつかない書き捨ての文章であれば、次からは削除も検討します。
今枝さんのその後の行為について。個人的には、情報戦略という点を重視するのであれば、伝えたい情報はどこかに一元化した方が賢明だろうと思いました。ウェブ上で「まとめサイト」が重宝されるのは、情報の一元性にあるからだと思います。「世間」の人々は、学業・仕事・家事その他に忙しく、一つのことに関心を寄せてばかりはいられませんし、多種多様な情報が日々大量に流通し、消費されていることからは、各人の関心自体も次々に移り往くものだと分かります。一元化された情報ならば休日や余暇の時間に読んで、理解を深めることもあり得ます。
他方、『大会議室』や他所のブログコメント欄などで謎かけのような問答をしていても、その全てに関心をもって追っている人はほんの一握りに過ぎず、今枝ブログの過去ログを当時の状況と照らしながら読む人は限られているでしょう。逆に、反発する人は少ない情報でも反発するので、ちょっとした書き方一つが致命傷にもなりかねません。読み手の利便性を考えない書き手の思考が、善意の連鎖で補完されると考えるのは戦略性に欠ける発想だと思います。
プロフィール欄はサイドバーにあります。ブログを書くにあたっての信条については、そちらに書いています。顔が見えない方が、賛否が内容に集中して良いと思うので、個人的なことはウェブ上では書かないことにしています。「宇宙の果てから文章が飛んできてるみたい」という捉え方で構いません。嫌味ではなく。seesaaブログのデザインでも「マーズ」を選択していますから、イメージとしては近いと思います。
長文について。時事・社会問題について言及する場合、政治信条の違いから、誰が読んでも満足する内容は書けないものと思っています。必ず誰かの反発を招きます。その反発、読んだ時の違和感をとっかかりにして、異なる意見の存在を認識してもらいたいので、なるべく論理展開を省略せずに書いています。その結果、長文になってしまっているという面もあります。
書きたいことと読み手の負荷とのバランスについて、一応は留意しています。例えば、(1)段落構成や目次・章題などで一区切りずつの文章が長くならないようにする、(2)読み手の気分を無駄に害するようなスラングや罵倒表現を使用しないようにする、など。意図通りの効果を発揮しているかは心許無いですが。もっと手短に、平易に、かつ、読み手の感情を害さずに、伝達効率良く書ければとは思いますが、まだそれだけの技量はありません。
もっとも実名で書けば、荒れる可能性も非常に多い訳で、そこのところはそうなっても、私は知らないので、無理にお願いすることは、できないのですが。
どんな職業なのかとか、経歴なのかとか、そういうのだけでも少し書いてくれれば、生きた文章になってきて読者に働きかける力が増すと思うのだが。
拙ブログが実名によるものか匿名によるものかといえば後者にあたりますが、一つのハンドルネームで一貫して書き続けているので、捨てハンによる書き捨てとは異なります。ブログ開始からもうすぐ2年が経ち、これまで書いた文章も、それなりの量になっています。過去記事に目を通して頂ければ、いくらかは「書いている人の顔」も見えてくると思います。それでは足りない、実名や職業・経歴が分からなければ説得力が薄れると感じる方は、それらを明示しているブロガーの文章を読みに行けば良いと思います。
仮に、私が氏名や職業、経歴を書いたとして、それが真実を書いたものであると、どうして信じられるのでしょうか。本当か嘘かも分からない氏名・経歴、それが書かれているかいないかで、説得力が相当増したり薄れたり、生きた文章になったり死んだ文章になったりするとすれば、それは読み手の受け止め方の問題です。私としては、今のスタイルのままでも「良いことを書いている部分もせっかくあるのに」と評価して頂けるのですから、それで充分です。
(法律論以外の信用性が低い、と言っているわけではありません。単に私が法律しか知らないだけ)
意見を信頼するか否かは、発言者の属性で決めるのではなく、意見の内容で決める方が、やや優れているのではないかなと思います。
今枝弁護士の「委員会出演」の放送から大分経ちました。
今枝弁護士の思うところが何であるのか、やっぱりどれだけ頭を捻ってみてもわかりません。
というか、今後もわからないと思います、今枝弁護士ご自身からの説明を受けるか、この問題に関する事態が劇的に展開するかしない限り。
現状では、「委員会」が今枝弁護士を手打ちの手段として利用した、という印象しか持っていません。
BPOから批判されたが、確かに弁護団の中にも弁護団と敵対する今枝さんのような素晴らしい弁護士もいたのであり、一律に批判していたことは良くなかった…
という感じで、本来謝るべきところでの謝罪を避け、別の部分で謝ってお茶を濁した、という感じです。
あの放送で、世間の今枝弁護士に対する印象は良くなったでしょう。
しかし、弁護団や被告人に対する印象は、むしろ悪くなったでしょうね。
今枝弁護士がそれを望んでいたとは思いませんけれど、客観的事実として、番組はそのように編集して放送していました。
詳しい事情は全くわかりませんが、今枝弁護士に対する弁護団の接し方は大人気ないというか酷いのかもしれない、とは思わないのでもないですが…
世間は内輪揉めとしか見ないことでしょう。
内輪揉めは、被告人にとって、今のところ何の得にもなっていないように思います。
これが、被告人にとってどういう風に得になるのか…
それを今枝弁護士の口から聴けるのか、事態の進展によって自ずと解り得るのか、それとも私には一生解らないまま終わってしまうのか。
願わくは、前二者でありますよう。
『たかじんのそこまで言って委員会』という番組は、過去2回、謝罪しています。一度目は2006年3月19日放送回で、勝谷誠彦氏による“荒川静香選手のウイニングランをNHKは意図的に放送しなかったのではないか”という趣旨の発言に、NHKから抗議がありました。これを受けて、2006年4月2日放送回に、司会の辛坊治郎氏が謝罪しました。二度目は2007年4月22日放送回で、こちらも勝谷氏の発言でした。この時は“テレビに出演している中国人ジャーナリストの誰某はスパイだ”という趣旨の内容をイニシャルトークでしたことに抗議があり、2007年6月17日放送回で辛坊氏が謝罪しました。これらのことからは、如何なる場合でも全く謝罪しない番組ではないということが分かります。とすれば、レギュラー出演者によって不当な懲戒請求が呼びかけられたことについて、今枝氏の発言以外では一切言及しなかったということ、遺族vs弁護団という構図について「一部メディア」という表現で誤魔化したこと、それがどういう意味を持つのか。今枝弁護士出演回(4月26日放送)についての私の印象も、だいちゃんさんとほぼ同じです。
それと、遠回しな書き方をしたせいで誤解を与えたかもしれませんが、私は「法律関係の方でない」とは書いていません。懲戒請求問題に関して、事件関係者か司法関係者でなければ言及してはいけないという意見はおかしい、ということを指摘しているだけです。法律系の資格は幾つか持っていますが、そういうことを書く意義・必要性を見出せません。テンプレートによる懲戒請求の欠陥は、時系列順に考える習慣さえあれば法律知識を必要とすることなく見抜けることだと過去何度か指摘しましたが、それはつまり、法律知識がないことは言い訳にはならないということです。この問題の当否を判断するにあたって、事件関係者である必要も、司法関係者である必要もありませんし、匿名であることで「説得力が相当薄れてしまう」ということはありません。属性の問題に話を移すことは、彼らの意図とは別に、ネット世論の責任を曖昧にすることに繋がると思います。
今枝弁護士の方針が、どうにも理解不能のところに進んでしまっているように思います。
差戻控訴審判決から3ヶ月、橋下氏との民事訴訟も結審。他方で、今枝弁護士の方はブログの更新が止まり、やがて消滅したかと思えば、たかじん委員会の掲示板(名前からいけるところです)において、弁護団に対する攻撃的な言説が登場するようになりました。取り下げ発言の当初にしていた、ほかの原告弁護士を慮る発言も、すっかり薄ら寒いものと化してしまったように思います。
今枝弁護士が、例えば弁護団を攻撃することによって死刑判決の責任を被告人ではなく弁護人サイドに持ち込み、被告人を守ろうとしているのであれば、(それでもよいこととは思えませんが)まだ理解も出来ます。
しかし、残念ながら判決後の今枝弁護士の発言を見て、被告人に対して死刑が不当であると思った人間は、私の知る限りいません。法律家ならば弁護が不当であるという立論は被告人死刑の正当性に疑問を投げかけることになることを理解しますが、それが分っていない人が多いからです。
それを思えばマスコミ対策の方針をめぐって激突した安田弁護士らと、方向は違えどまずさという点では変わらないという印象を抱かざるを得ませんでした。解任後も、優れた弁護士たちであると評価していたあの本は、嘘だったのかと思ったこともありました。
刑事弁護に対する理解や、事件に対する理解。そういった要素を今枝弁護士の発言から読み取るのは、そういった理解を求めなければならない人間に対しては不可能であるように思えます。また、今枝弁護士に期待していた、被害者を慮りつつ最大限弁護する方法といった、弁護団に求められていた弁護の具体的手法なども、特に提示されたわけではありません。
弁護団との間が修復不能なまでに決裂してしまって、その責任が弁護団側に全面的にあるとしても、それに対する批判や愚痴を第二次上告審が終わる前から、被告人死刑の大合唱をしている番組に寄り添う形で書き連ねることが被告人の利益になるのでしょうか。
当初は、何らかの究極的な作戦があるのかと見てきましたが、それも不明瞭なまま、再度上記掲示板へのコメントとなると、どうもその期待も薄くなった感じがします。
今枝弁護士の初期の誠実な姿を知る人間としては、それでもなお今枝弁護士を信じたいところがあります。この文章も相当ではありますが、おそらく、橋下氏が同じことをやっていたら、私はそれこそもっと容赦ない攻撃態勢に入っていたのではないかと思うのです。
もちろん、それでもなお被告人にとって少なくとも害にならず、刑事弁護の理解を広めるのに有効な何らかの作戦があり、その一環で効果があったというのなら、このコメントは無礼千万に属するのですし、むしろ無礼千万なコメントであることを祈りたいところなのですが・・・
ちなみに、私の「伝え聞く」安田弁護士は、刑事弁護人としては大変優秀で、尊敬に値する人物であると思います。
サリン事件の遺族でさえ、安田弁護士が質問すれば黙秘する被告も話し、遺族にも声をかける。そんな彼に対して「彼がいなければオウム裁判は成り立たない」「彼が逮捕されてオウム事件の真相究明は不可能になった」と評しました。
無論、これは一部の情報の切り貼りによってできた偶像に過ぎません。
とはいえ、そのような両者がこのような形で対立したまま転がり落ちていく様は、何一つ明るい展望のない刑事弁護の将来にとってますます救いをなくすものと危惧します。
懲戒請求問題は、おそらく院生さんの想像を超えた(或いは想像通りの)結果になるでしょう。私には、もうどうして良いのか分かりません。関係する全ての人達が苦い思いをするだろうことだけは容易に想像できます。一年前には想像もしなかったことですが、誰がどこでどう歩みを誤ったのか、解きほぐすべき糸が多すぎて、自分の手には負えません。それでも、どれだけ時間が残されているのか分かりませんが、自分にやれることを考えてみようとは思っています。
>しかし、残念ながら判決後の今枝弁護士の発言を見て、被告人に対して死刑が不当であると思った人間は、私の知る限りいません。
この点については、私の知る限りでもいません。私が時々覗いている時事系の掲示板には、控訴審判決後に次のようなコメントが寄せられていました。『正直、自分自身は今枝仁弁護士に対して抱いていた感情を今では反省しています。今枝さんの発言を聞いていれば、あの他の弁護士よりはずっと良かったのに。と現在では思っています。事件の判決に関しては自分はメディアに流されたとは一切思っていませんが、この今枝さんに対する態度は、多少なりともメディアに流されていたと反省しています。』
おそらく、当初、懲戒請求を肯定されていた人達の多くも、同様の認識なのではないでしょうか。もう少し踏み込んで、刑事弁護人の役割についての理解が深まれば良いのですが、そのような感触は、上述の掲示板では見られませんでした。尤も、上記レベルの認識さえも、今枝弁護士の今後の行動次第では、どうなるか分かりません。
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/17.html