2008年04月24日

被害者対弁護団という構図でしか語られない状況について

 一昨日、光市母子殺害事件の差戻控訴審判決が出ました。判決日を前に、17日の朝日放送『ムーブ!』では、本村さんの独占インタビューが放送されていました。インタビュアーは宮崎哲弥氏と藤井誠二氏。そこで本村さんは、被告人や弁護団についてのことだけでなく、差戻審以降、メディアへの露出を控えていた理由についても心境を語られていました。

http://jp.youtube.com/watch?v=M1RJCiE-hnU
http://jp.youtube.com/watch?v=TbWtl0K7ohY
http://jp.youtube.com/watch?v=r9iIo0E8AzU


 被害者対弁護団という本来の裁判の構図ではないものにメディア報道が安易に流れてしまったこと、そして弁護団に脅迫状が届いたこと。そうしたことの責任まで本村さんが負うべきことだとは思いませんし、遺族にそのような負い目を感じさせてしまう報道とは何なのだろうかとも思いますが、こうした報道の問題については、先日発表された放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送倫理検証委員会」による報告書でも指摘されていました。

 光市事件訴訟に関心のあった方々にとっては全文熟読に値する内容であり、また、既に全文を読まれたこととは思いますが、特に4頁目で言及されている内容は、上に挙げた本村さんのインタビュー動画と照らして見ても、妥当な範囲の意見であるということは理解できることと思います。ここでは長くなるので、意見の見出しのみ抜き出します。

【意見1 本件放送は、裁判を主宰する裁判所の役割を忘れていなかったか】
【意見2 本件放送は、刑事裁判の「当事者主義」を理解していたか】
【意見3 本件放送は、弁護人の役割の認識に欠けるところがなかったか】

 こうしたBPO「放送倫理検証委員会」の意見も、それが発表された直後には、ウェブ上では冷笑的な反応が散見されました。私が目撃した例としては、川端和治委員長が朝日新聞社コンプライアンス委員会社外委員であり、元日本弁護士連合会副会長であるから向こう側(弁護団側)の人間であろうという内容のものがありました。そのような単純な連想ゲームで片付ける人には、例えば5頁目の次の記述を挙げておきます。『言うまでもないが、それは被告に同情することでも、弁護団の主張に同調することでもない。取材や調査によって、被告・弁護団の言い分を否定し、ひっくり返すこともありうるからだ。ひとえにそれは、メディアの力によって真実に近づくことである。』とも、委員会は言及しています。

 今、差戻審判決を受けて、ウェブ上ではまた激情が渦を巻き、燃え盛っているようです。人様の裁判、それも愛する妻子が惨殺され、遺族が被告人の生命をも背負って生きていく覚悟であると心境を語っている裁判について、祭気分で盛り上がっている人達がいるという事実が、私にはとても理解し難いです。そのネット世論の激情が、被害者対弁護団という構図を更に強化していくとすると、それは本村さんの思いとはどんどんかけ離れたものになるのではないかと思います。

(2008年04月22日)痛いニュース(ノ∀`):【光市母子惨殺】 判決は「死刑」…弁護団、ため息→上告へ
(2008年04月22日)痛いニュース(ノ∀`):朝日新聞女記者「この判決で死刑に対するハードルが下がった事に対してどう思いますか?」
(2008年04月23日)痛いニュース(ノ∀`):【青学准教授】 光市母子殺害事件の「被害者は1_5人」赤子は0_5カウント

 本件裁判については各人の感想、賛否のあることとは思いますが、事件の悲惨さや弁護団への批判とは別に、先述したような報道の抱える問題については別途の議論・検証が必要であり、犯罪被害者に関する他の問題についても、そろそろ目を向けて欲しいものです。本村さんの記者会見で、あまり注目されていない部分について、引用しておきます(引用は<2>から)。

(2008年4月22日)毎日:<光母子殺害>【本村洋さん会見詳細】<1>「裁判所の見解は極めて真っ当」
(2008年4月22日)毎日:<光母子殺害>【本村洋さん会見詳細】<2>「どこかで覚悟していたのではないか」
(2008年4月22日)毎日:<光母子殺害>【本村洋さん会見詳細】<3止>被告の反省文は「生涯開封しない」
 −−日本の司法に与えた影響については。

本村 私は事件に遭うまでは六法全書も開いたことがない人間でした。それがこういった事件に巻き込まれて、裁判というものに深く関わることになりました。私が裁判に関わった当初は刑事司法において、被害者の地位や権利はまったくありませんでした。それが、この9年間で意見陳述権が認められましたし、優先傍聴権も認められる。例えば今回のように4000人も傍聴に訪れたら、遺族は絶対傍聴できなかった。それが優先傍聴権があるために私たち遺族は全員傍聴できた。これからは被害者参加制度ができて被害者は当事者として刑事裁判の中に入ることができる。

 そういったことで司法は大きく変わっていると思いますし、これから裁判員制度をにらんで司法が国家試験、司法試験を通った方だけではなく、被害者も加害者も、そして一般の方も参加して、社会の問題を自ら解決するという民主主義の機運が高まる方向に向かっていると思います。実際に裁判に関わって、まったく被害者の権利を認めていない時代から、意見陳述が認められて、傍聴席も確保できて、そういった過渡期に裁判を迎えられたことは意義深いと思ってます。

 最近も犯罪被害者支援に関する法律が改正されています。

(2008年4月11日)産経:犯罪被害者への支援拡充 給付金支給法改正案が成立
(2008年4月16日)産経:犯罪被害者に国選弁護士 改正犯罪被害者保護法など成立
posted by sok at 02:00| Comment(4) | TrackBack(1) | 光市母子殺害事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
youtubeの方、見ました。見ていなかったので、紹介感謝しております。

私自身、本村氏があの騒ぐだけのネット世論とは根本的に違うと自覚しているつもりでしたが、事件当日の記者会見などをみて、やはり自分はまだあのネット言論と本村氏が重なっていた部分があったな・・・と感じざるをえませんでした。

この事件に携わった人たちは、たくさんいます。今枝弁護士は比較的近いところにいますが、他の皆さんにも一度直接話を聞いてみたい気がします。
判決文の全文が今は一番欲しい気もしますが。

判決当日の感想(第二次追記は翌日に書いたものですが)、TBさせていただきます。
Posted by 院生 at 2008年04月24日 16:52
 院生さん、コメントとTBありがとうございます。返事が遅れてしまい申し訳ありません。

 関連するエントリーも読ませて頂きました。あの弁護団はどうするべきだったのかという点につき、私には答えが出せませんでした。もう早い段階から(「犬と犬が出会った」云々という手紙がリークされた時点で)、どうしようもなかったように思います。個人的には、今枝弁護士の戦術を取っていた方がまだマシだったのではないかとも思いますが、その今枝弁護士ですら当時は苛烈なバッシングと懲戒請求の対象であったことを考えると、今からそのようなことを言ってみても後知恵の類でしょうね。安田戦術が奏功せず死刑判決が出た今だから今枝戦術が評価されるのであって、弁護団が今枝戦術をとって死刑判決が出ていれば、安田戦術が注目されていたかもしれません。

 個人的には、裁判を巡る不信の連鎖の遠因として、最高裁にも責任があったのでは、と考えます。(1)3年半も審理を放置した上、死刑の基準に関わる重大な事件を退任前の判事に担当させたことが、安田弁護士に要らぬ不信感を与えたのではないかと思います。先日の自衛隊イラク派遣訴訟でも判事の依願退官が一部のメディアおよびネット世論から批判されていましたから、訴訟当事者から見れば尚更、不信に思ったのではないでしょうか。

 (2)そうした最高裁への不信から、安田弁護士は対抗上、慣例として許された行為で資料を精査する時間を得ようとし、メディア宛にも反省の手紙の存在を示したところ、今度は遺族への配慮に欠けることとなり、遺族感情を害してしまったように思います。遺族側からしてみれば、既に二人の命が奪われている時点で、彼の側から被告人を慮る必要は何もないのですが、その上さらに配慮に欠ける行為をされては、こちらも殊更不信に囚われたことでしょう。

 (3)さらに、メディアが遺族vs弁護人という構図でのみ報道し続けたことで、世間の(とりわけネット世論の)弁護団への不信が募り、バッシングや懲戒請求の形となり、(4)それにより弁護団の側でもメディアや世論への不信が広がったのではないかと思います。論理のみならず情緒的な面でも目に見える形で表現した今枝弁護士のみが幾らか理解を得られたのに比べ(但し、それも彼が弁護人を解雇されてからの話ですが)、21人の弁護人への非難は未だに苛烈なものがあります。(5)そして、現在は今枝弁護士の弁護団への不信という段階のようです。

 私もこの事件に携わった方々の話は聞いてみたいですが、こうした状況の下では、弁護団や弁護団寄りの人達が独自に集会や講演を開いても、それがまた憶測や偏見を招き(所謂「燃料」となり)、ネット世論の憎悪を増幅させるだけではないかという気もします。今枝弁護士にとっての宮崎哲弥氏のように(著書の帯に推薦文を寄せたことやラジオ番組『アクセス』へ出演させたことなど)、有力な庇護者に付いてもらった上で、少しずつ発言していくしかないように思います。そして、保革対立的な偏見を突破するために、中道右派あるいは右派の論客が、その役を買って出るべきではないかと思いますが、今の右派にそのような国士がいるかといえば、甚だ頼りない状況です。
Posted by sok at 2008年04月27日 13:21
私自身がもっとも問題あった裁判所の行動と考えているのは、第一次控訴審の死刑回避の判決です。

第一次控訴審判決で死刑判決であったならば、上告審では差戻されず上告が棄却されたでしょう。あるいは、被告人からこの弁明がとっくに出されて、そこまでがきちっと第一次控訴審で審理されたでしょう。
宅間死刑囚が割と早期に執行されたことからすれば、今頃死刑は執行されていてもおかしくないかもしれません。本件の最高裁の審理遅延に必要性があったかどうかも疑問ですが、棄却ならもっと短く済んだだろうと思われるわけです。
本来最高裁は、ちょっとやそっと量刑が不当であったとしても、「著しく正義に反する」でなければ破棄はせず、そもそも純粋な量刑問題には口を出さない組織です。それが特に証拠関係に変更がないのに破棄されたと言うのはそれだけで前裁判の重大な問題を指摘しています。
判例変更ではないにしても、旧来の相場感覚の変更によるやむをえない事態、ととらえる余地もあるので、高裁判事の責任ばかりにすることも躊躇を覚えるのですが・・・。


 ネット世論の大好きな橋下氏とか、テレビコメンテーター常連の元検事(土本武司氏とか、河上和雄氏とか、大澤孝征氏とか)たちのうち、あんな事件で弁護を引き受けたことがあるか、今後弁護士になったとして精力的に引き受けるか、と言えば、それはノーでしょうし、おそらくネット世論も彼らが引き受ければいいなどとは思っていないでしょう。
また、1審や2審の弁護の方がいい、みたいなことが言われてもいますが、じゃあ1審や2審の弁護人は元々どう扱われていたかと言えば、最高裁騒動以前にも法廷でガッツポーズをしたなどという噂を飛ばされ(最高裁以前から噂は知っており、それが晴れたのは最近のことです)、手ひどいバッシングを食っていたのが実際です。
 元々報酬の安い刑事弁護ですが、それでも被告人を助けたい、無罪判決を勝ち取ったり、寛大な刑罰で社会復帰させてあげたいと言う人たちの熱意を挫くには十分すぎる事件だったと思われます。私も一端に刑事法に興味を持っていた以上刑事弁護と言う領域にも多少は目線が行っていましたが、あの事件で目線は完全にそらしました。単に私の目線が弱かっただけかもしれませんが。
 
 保革対立の話ですが、現在法のあり方を説く、ということをすればそれだけで左翼扱いされてしまうのが現実であるように思えます。右翼・左翼の判断基準に護憲(左翼)か改憲(護憲)かと言うのがあり、法律家と言うのは少なくとも憲法を勝手に変えて考えることが許されないことと、日弁連の上層部が右派の逆鱗に触れるようなことを懲りもせず談話なり声明なりしまくっているためです。しかも、一般的に左翼系とされている人々(報ステとか)も非難の言説を向けたりしているため、それに抗するのはその一発でもって「極左」とさえ考えられそうな状況になっていると思います。
 安田弁護士は左翼系出身らしいですが、私の名前からいけるページには、安田弁護士を左翼系としつつもその弁護士としての能力を評価する元検事の小林弁護士の発言があります。安田弁護士のプラス評価を絶対にしろという気はありませんが、今の彼らには小林弁護士のような回答さえ「選択肢としても」用意されていないのではないか、と思えます。
 並みの右派では、この流れに抗えないと思います。先日弁護団がシンポジウムを開いたところ、発表した弁護士が笑ったとか、そういうことで文句がつけられている(現在発売中の「will」に詳しい)のが現状です。

 医療崩壊について、一旦医療がぶっ壊れれば市民が気づくだろう、みたいな事を言い出す人がいます。
 刑事弁護でも、一旦刑事弁護がぶっ壊れればと冗談になっていないことを本気で言う弁護士を私は見ました。それさえ、今の流れではこれ幸いと考える人たちが多そうと思うと、もはや思考が無限の落ち込み地獄にはまってしまいますが。
Posted by 院生 at 2008年04月28日 22:54
 院生さん、コメントありがとうございます。

 メディアの煽情的報道も、それを受けてのネット世論の粗忽な振る舞いも、光市母子殺害事件に限らず、他の事例においても何度も何度も目にしてきました。その構造自体は刑事弁護の場面だけに限らないことでした。カメラが映し出した先、目に見える人物、分かり易いところへと憎悪を向けるという彼らの傾向は、拙ブログで記録しているだけでも、例えば金英男さんへの中傷のときも、都秋枝さんの非難のときも、そうでした。

(2006年06月30日)金英男さんの記者会見 怒りの矛先について
http://sok-sok.seesaa.net/article/20067989.html
(2007年07月03日)都秋枝さんの「脱日」と粗忽者の「メディアリテラシー」
http://sok-sok.seesaa.net/article/46498353.html

 カメラが映し出した人物が、何故、そのような言動をしているのか、その意図・動機・事情・役割など、彼らは何一つ知ろうとしませんでした。ネット上でコメントしているのだから、ウェブ検索サービスを利用できる状況にあり、調べようとすれば自由に、簡単に調べられるのに、そうした一手間さえかけようとはしませんでした。それでいて情報統制されている国々の国民を、平和な日本国で、反論可能性の無い安全圏から嘲り、嗤い、やがてそうした罵詈雑言の数々もすっかり忘れてしまいます。

 橋下氏は凶悪事件の弁護人を務めることはないでしょうし、橋下氏を支持する人達も橋下氏や稲田氏のような右派弁護士が刑事弁護人になることを評価しないでしょう。厳罰化と過剰収容のトレードオフ関係、死刑積極主義および刑事弁護人への不当な懲戒請求が犯罪人引渡条約の締結に及ぼす影響など、考えもしないでしょう。都合の悪いことは、全部、左派のせい、親中派議員のせい、○○のせい。そうした無責任な体質を、今後も、何度でも、見ることになるのだと思います。

 一つ一つの事柄に落ち込んでいては憔悴してしまうので、伝わるところから伝わる、伝わるところに伝えると割り切って楽観的に捉えるようにしていますが、確かに時々はかなり落ち込みます。自分が落ち込んで声を挙げられない時は、デマと対峙して声を挙げている誰かに注目し、応援することにしています。幾つかの論点で自分とは考えが違ったとしても。
Posted by sok at 2008年05月11日 10:37
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Excerpt:  私が聴いているマタイ受難曲は、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮のものとカール・リヒター指揮のものです。(ちなみに、ニコ動画やyoutubeにアップされている冒頭の初音ミクバージョンも割と気に入っ..
Weblog: 碁法の谷の庵にて
Tracked: 2008-04-24 16:53