【目次】
1.ネット発の行動とメディア報道
2.善行を巡る議論への違和感
3.オフに関して外形的に判断できること(16日0時30分頃追記)
4.「違和感」についてのメモ(16日0時30分頃追記)
5.「玄倉川の岸辺」読後メモ(16日22時00分頃追記)
1.ネット発の行動とメディア報道
神戸市須磨区私立滝川高校で男子生徒がいじめや金品の要求を受けた末に自殺した事件で、2ちゃんねる上で集団献花の呼びかけがあったとのこと。呼びかけに応じて、20人ほどが喪服姿で献花しに訪れたという。
(2007年10月02日)ブログちゃんねる:【神戸・高3自殺】「一番大切なのは追悼の気持ち」2chなどネット上の書き込みに共感して約20人が滝川高校で献花
この献花オフについて、『ブログちゃんねる』さんで紹介されている読売新聞神戸版とは別の反応をする新聞社もある。神戸新聞は献花オフについて「見ず知らずが一同に集う「違和感」。事件をめぐる匿名の誹謗中傷はネット上で今も止む気配がない。いじめと容易に結びつくその薄気味悪さが、ずっとぬぐえずにいる。」と結論付けており、これがネット上の反発を買っている。
(2007年10月11日)痛いニュース(ノ∀`):【神戸・高3自殺】“2ちゃんねるで集まり献花”に「ゲーム感覚か」の声…他人が集う違和感。ネット中傷。いじめに繋がる薄気味悪さ
(2007年10月13日)越えられない壁( ゚д゚):【神戸・高3自殺】 滝川高校、神戸新聞の「2ちゃんねらー献花…薄気味悪い」記事を一部否定
一方、翌日のJ-CASTニュースでは、神戸新聞のネット批判の記事に対する2ちゃんねる上の反応を紹介し、また、神戸新聞が「学校側も”指定日”の部活動を中止し、警備員を増やした。」と報じた内容が事実であるか学校側に質問し、回答を得ている。献花を呼び掛けた2ちゃんねらーの献花に至るまでの振る舞い、例えば献花の趣旨、当日の服装、公共交通機関の利用および路上駐車の禁止、未成年者には保護者への事前連絡などを賛同者に対して注意事項を挙げていたこと、学校側へ事前に連絡していたことなども報じている。J-CASTニュースによると献花に訪れたのは約30人とのこと。
(2007年10月12日)J-CASTニュース:2ちゃんねらー「薄気味悪い」 神戸新聞不思議なネット感覚
こうして見比べてみると、神戸新聞に較べてJ-CASTニュースの方が丁寧な取材をしていることが、文面から伝わってくる。ネット発の行動を安易に「ゲーム感覚」と報じる前に、下記の二つのまとめサイトを比較すれば、献花オフの体裁には、加害者への怒りや反メディアというものは見られないことが分かるはずだ。何故、神戸新聞がこれらを一括りにしたのか、取材不足と思い込み以外の理由があるのか理解に苦しむ。神戸新聞記者は、自身が抱いた「違和感」をこそ、詳細な記事にして、読者に伝えるべきではなかったか。
滝川高校献花オフ まとめ
神戸滝川高校自殺事件まとめwiki - トップページ
2.善行を巡る議論への違和感
ネット上には、この献花オフに関して、善行を巡る議論がある。
(2007年10月11日)はてなブックマーク: 痛いニュース(ノ∀`)【神戸・高3自殺】 “2ちゃんねるで集まり献花”に「ゲーム感覚か」の声…他人が集う違和感。ネット中傷。いじめに繋がる薄気味悪さ
t-murachi !はらぺこ, 横槍off, ジャーナリズム 否、いい報道だ。この行動の軽率さは偽善だけに働くものではない、「動員されやすい市民」の象徴。住民の心境と参加者へのインタビューを交え、そのことを的確に指摘したこの記事は鋭い。
y_arim 2ch, society, web, literacy 善意や善行が誰にとっても善いものとして受け取られる、と無邪気に信じる怖い人々/「死者を弔う気持ちがあるから献花しただけ、何が悪い」と「弁護団が悪いと思ったから懲戒請求しただけ、何が悪い」どう違うのよ?
winget 想像しただけでも恐ろしい。見ず知らずの私人の献花に集団で現れるネラ。よそよそしい雰囲気の中「2ちゃんで呼びかけがあったから」と発言。献花というより冒涜にもとれるな。思いやりをはき違えてる。
kozara そもそもこれは善行なの?弔いってのは遺された側が自らを慰める行為でこれで慰められるのは献花した人達だろ?「偽善かもしれないが善」って大前提に納得が出来ない。
hagakurekakugo 2ch, マスコミ 果たしてこれは『善行』なのかという問いかけに5分ほど真面目に悩む。結論:俺や家族の葬式にそういう輩が来たら、やはり気持ち悪いと言わざるを得ない。前もって遺族に連絡して了承を取っていれば別だが。
(2007年10月13日)はてなブックマーク: 献花はすればいい、だけど
kurokuragawa 社会, 人間, 心理 献花オフも、折鶴オフも、特定の難病子供への募金もそれ自体は悪くないが(一部)参加者の自己陶酔が気色悪い
(2007年10月13日)Anonymous Diary:献花はすればいい、だけど
不遇な死者を偲んで花を手向けることその行為自体は、だれからも責められる事ではないんだけど、
それだけに、「善い行い」をしたからこそ反対意見に目を向けるべきなんじゃないかな、ってこと。
「正論で人を傷つけ」、その人が失意のまま亡くなってから、取り返しのつくどころじゃない後悔をした自分にとって、これだけわかりやすく両面的に考えさせられる学習材料を提示されて、まだ「一方的な善意」のまま「何が悪い」のかを主張されてる人を見ると悲しくなるのです。
善行という他者から責められない行為だからこそ、独善にならぬように反対意見に耳を傾けようという意見は、一般論として傾聴すべきものがある。一般論としては。神戸新聞記事を巡るネット上の反メディア的反応に終始する人達に対する注意喚起としても有効な面はある。しかし、ここに挙げた意見には、この献花オフの対象となった男子学生を襲った悲劇が、いじめによる自殺であるという認識が根本的に欠けていると思う。
私はこの件につき、多くの報道に触れた訳ではないが、それでも、幾つかの報道が伝える余りに酷過ぎるいじめの実態に唖然とさせられた。亡くなった男子学生は、凄惨ないじめよって肉体的、精神的、金銭的に追い詰められ、性的にも辱められ、尊厳と関係性を破壊された末、自殺した。この男子学生の尊厳と関係性を死後であれ回復する一案として、彼のために無関係の人間が追悼行為として献花を行なうことは、先の善行を巡る議論のようなもので論じきれるものとも思えない。もし、生前にこのような繋がりがある世界を彼が知っていれば、今の学生生活だけが世界でも人生でもないことを知っていれば。
私や貴方が、今日、明日に死のうとも、ネット世論は追悼や献花などしたりはしない。それはメディアに報道されないからではない。報道されたとしても、私や貴方の野垂れ死にでは、ネット世論はこのような反応を見せたりはしない。滝川高校の事件には、生命と尊厳と関係性を絶たれた男子学生の無念があり、それに触れた人達の中から、何か出来ないかと考えた人達がいて、その一つが献花オフだったのだろう。他者との繋がり。男子学生が生前に得られたならば、その未来が変わったかもしれないものを、献花オフに参加した人達は届けようとしたのかもしれない。個別の事例を見ず、話を抽象化した上で、我が家と我が事のように置き換えて考えたとしても、それだけでは献花オフ参加者の心理が把握できるとは思えない。
献花に訪れた人達は喪服姿であったという。であれば、そこには形式的な礼節は示されている。「『2ちゃんねる』の呼びかけに応じただけです」というのは、恥ずかしがり屋の弁だったのかもしれない。献花オフまとめサイトには、同事件を扱ったwiki形式のまとめサイトのような攻撃性もなかった。花代も交通費も手間も払って、献花に訪れた人を、殆ど実態が分からない記事を元に批判できるものではないし、実態が分からない内から、その行為が自己陶酔であるかなど、判断しようがない。後続のJ-CASTニュースでは、学校側への事前連絡も報じていた。細部も分からないのに刑事弁護人への懲戒請求騒動と関連付けるのも軽率だろう。
神戸新聞記事に反発する人達とそれを気色悪く思うだけの人達が、元のいじめ事件をどう考えているのかは分からないし、彼らの議論にも余り興味はない。亡くなった男子学生のために、わざわざ喪服姿で献花に訪れた約30名の人達に対しては、敬意を表する(※)。亡くなった男子学生が彼らの行為を知覚することはないが、今もいじめに苦しんでいる人達が、ネットに接続する機会があれば、自分の周囲に欠けていた繋がりの存在を知るかもしれない。ネット上の匿名の繋がりなど、所詮は一時的な処方箋でしかないが、それでも高校生活くらいはやり過ごせるかもしれない。その次には、別の人間関係からなる社会がある。
(※同日12時00分頃追記)尤も、自殺した男子学生の家に弔問に訪れたとすれば話は別だし、献花オフまとめサイトのような整然さがなければネット世論は評価しなかっただろう。約30人という一クラスより少ない人数であったことも、当日、混乱が起きなかった一要素だろう。
3.オフに関して外形的に判断できること(16日0時30分頃追記)
・通夜・葬式への集団参列でもなければ、実家への弔問でもない
・学校側へ事前に連絡がなされている
・喪服姿で献花している
・『滝川高校献花オフ まとめ』の体裁
→犯人探しやメディア批判を展開する『神戸滝川高校自殺事件まとめwiki - トップページ』との違い
・『滝川高校献花オフ まとめ』での説明内容
→当日の服装、公共交通機関の利用および路上駐車の禁止、未成年者は保護者への事前連絡すること、献花後は速やかに解散すること、過度に馴れ合わないことなど、当日参加者に対して注意事項を挙げている
4.「違和感」についてのメモ(16日0時30分頃追記)
(1)学校関係者や近隣住民ではない人が行くことへの「違和感」
見ず知らずの人の居住地は「違和感」を起こさせる要素として違いはあるか。例えば、(a)高校の近所に住む見ず知らずの人の献花の場合と(b)近隣ではないが市内在住の人の場合、(c)兵庫県北部(日本海側)や他府県に在住の人の場合とではどうか。
(2)集団で行くことへの「違和感」
その集団を構成する人の年齢・性別・所属などは「違和感」を起こさせる要素として違いはあるか。例えば、(d)高校生30人が学生服で献花に来た場合と(e)市内の老人会メンバー30人が来た場合と(f)婦人会メンバー30人が来た場合ではどうか。
(3)匿名での呼びかけに応じることへの「違和感」
実名の人物の呼びかけたであった場合、有名の度合いは「違和感」を起こさせる要素として違いはあるか。(g)多くの人にとって名前と顔が一致するような著名人が呼びかけた場合、(h)その分野に関心のある人達の間では知られている実名の人物の場合、(i)実名でブログ等をやっている一般人の場合、(j)匿名ではあるがアルファブロガーである人物による呼びかけであった場合ではどうか。
(4)ネットを介した行動への「違和感」
ネット以外を介しての集団献花であれば「違和感」を起こさせる要素として違いはあるか。(k)神戸のある大学の構内にて、一人の学生が集団献花を立案し、その学生とは学部も学年も違う見ず知らずの学生や聴講生が30人ほど賛同した場合、(l)神戸新聞や県内発行のタウン誌、ミニコミ誌等で事件を知った人が、それらの投稿欄に集団献花の日時を記し、それを見た30人ほどがその日時に行った場合、(m)町内の掲示板に誰かが事件の概要と集団献花の日時を記した紙を貼り、それを見た30人ほどがその日時に行った場合とではどうか。
また、ネットを介しての場合で(n)2ちゃんねる以外のアクセス数の少ない掲示板やSNS等での呼びかけで30人程の人が集まった場合はどうか。(o)滝川高校での献花についての情報がネット上に掲示され、それを見た人が個々に献花しに行ったら、結果として滝川高校前に(ネットを介して)30人程の人が集まった場合はどうか。
(5)追悼行為として献花を選択することへの「違和感」
追悼行為が集団献花という方法ではなく、(p)アンナ・スヴィダースキーのセルフポートレートを編集した追悼動画(YouTube)のような方法であればどうか。(q)メディアを介しての遺族への手紙の送付であればどうか。(r)その他、献花に代わる方法として考えられるものは何か。
5.「玄倉川の岸辺」読後メモ(16日22時00分頃追記)
先ず、自身が感じた「薄気味悪さ」について文章化された玄倉川氏に感謝します。
飯田記者は献花参加者の心情を「軽い」と書いているが、私はむしろ「過剰さ」を感じた。
「軽い」というと思い付きとか気まぐれといったことを連想するが、たぶん彼らの心はそういったものではないはずだ。真面目に心を痛めてやむにやまれず行動したのだと信じる。
私の感じている「過剰さ」とは、報道をそのまま自分の痛みとして受け取る純粋さ、気持をそのまま行動に移す決断、献花への疑問・批判に反発する意識、といったようなことだ。あるいは飯田記者が「いじめと容易に結びつく薄気味悪さ」と表現したのは私の感じた「過剰さ」のことかもしれない。
特に、「報道をそのまま自分の痛みとして受け取る純粋さ」と「気持をそのまま行動に移す決断」という点、「軽い」ではなく「過剰さ」という点は、感情の増幅器としてのネットの性質を分かり易く指摘していると思う。
「献花への疑問・批判に反発する意識」については、神戸新聞記事への批判の文脈であって、集団献花参加者の反応なのだろうか。『滝川高校献花オフ まとめ』には、そのような表明はない。集団献花には参加せず専ら神戸新聞記事を批判している人への「違和感」は、集団献花参加者への「違和感」と重なる部分もあるだろうが、基本的にはネット対メディアという既存の構図だろう。本件に関する2ちゃんねる上の三つの行動(α)犯人探し・糾弾行為(β)集団献花(γ)神戸新聞記事批判は、個別に見た方が良いのではないか。少なくとも(α)(γ)と(β)の間には、別個の「違和感」があるように思う。
私の場合は、加害少年の氏名・顔写真等を載せている糾弾サイトが、献花オフに関して神戸新聞批判をしていることに、私的制裁の肯定と拡大のためには、何でも利用しようという薄気味悪さを感じる。『滝川高校の説明会に参加するオフ』スレに対しても同様。しかし、通夜・葬式でもなければ自宅への弔問でもない献花に対しては、これらと同じような反応を向ける程のことなのか。
今回の集団献花については「抗議や怒り、疑問、弔いの意味を持つ」行動であったと思うが、形式的には追悼以外の意図は抑制されている。『滝川高校献花オフ まとめ』からは攻撃性は感じないが、集団献花に抗議等の意図があったとすれば、それは加害少年や在校生に向けられたものなのか、いじめがあったことを隠蔽しようとした学校の対応に向けられたものなのか。呼びかけについては、各人が実行に移す一押しであったと思う。
動機としては、もう一つ、あるように思う。直感に過ぎないが、これは「いじめの季節を耐え抜いた人達」からのメッセージであり、死を美化する意図では無いのではないか。dat落ちした元スレまでは把握していないが、『滝川高校献花オフ まとめ』というサイトの整然さと、これまでに分かっている外形的事実からは、そう感じた。受け取り手の認識と報道の介入の仕方は別にして。
その他、幾つか玄倉川氏の記述に関して未消化の部分があるので、気になった点についてメモしておく。揚げ足取りになっているかもしれないが、議論を吹っかけたり非難したりする意図はない。
・「自分が遺族・学校関係者・近隣住民だとしたら」と一方にのみ自身を重ねる様は、死刑存廃論議において、自身を被害者遺族の側にのみ重ねる人達に似ている。
・ZARDの坂井泉水さんは闘病生活中の事故死であり、自殺であればファンの後追い自殺も考えられ、そちらの方が影響力は大きい。殉職警官や交通死亡事故の例では前向きな意思という効果に注目しているが、交通死亡事故現場に花を供えているのは自動車利用者なのか。教訓目的なのか。報道する価値としてはそうだろうが。
・集団献花参加者は故人の生前を知っているわけではないというが、本件が公立小中学校ではなく私立高校での出来事であることを考えると、近隣住民にしても故人について、どれ程のことを知っているのだろうか。また、集団献花参加者の関心の中心は「死」そのものではなく、強烈な「いじめ」を苦にした「死」だと思う。経営難による自殺や失恋による自殺ではない。因果関係は捨象できない。
・自殺報道による新たな自殺の誘発は、まさにメディア側の問題であり、報道によって美化されるならば、近隣住民による献花も集団献花参加者による献花も、同じように新たな自殺を誘発する虞はある。いずれにしても、記者は死を美化も貶めもせず、生きていくことの大切さを説いて記事を締めて欲しい(自殺予防情報の付記)。
・神戸新聞・読売新聞神戸版・J-CASTニュースの内「神戸新聞以外は献花を肯定的に伝えている」というが、J-CASTニュースは神戸新聞の取材不足から来るネット世論の反発を受けてのもので、神戸新聞記者が「違和感」を深く掘り下げていれば、反応はまた違っただろう。また、冒頭「ネットをあまり利用しない人」を挙げていたが、この層の人がJ-CASTニュースを見る機会はあまりないと思う。実質的に賛否報道は拮抗しているのではないか。なお、神戸新聞は美化の可能性ではなく、ネットを介しての行為であることを問題としている。
・共感できるか否かという点で、地理的要件は重要か。読売新聞の『神戸市内の男性(39)は「亡くなった生徒の死を悼む、最初で最後の機会だと思ってきた。同じ年ごろの子を持つ親として、あまりにかわいそうで、救ってやれなかったのかと思う」と話した。』や神戸新聞の『「同世代が犠牲になり、心を痛めた」(京都市の大学生)、「子どもを持つ親として、行くべきだと思った」(須磨区の男性)』などが近隣住民の追悼と大きく異なるとも思えない。神戸新聞の「『2ちゃんねる』の呼びかけに応じただけです」の内実も、集団献花について、住人がどのような経緯で知ったのか、伝えられたのかという点も不明。
玄倉川氏の初期のはてなブックマークにおけるコメント(偽善や娯楽、自己陶酔という面に着目)や「はてなスター」による他者コメントの評価からは、エントリーで示されたような「真面目に心を痛めてやむにやまれず行動したのだと信じる。」という文面とは、かなり開きがあるように見える。自殺誘発については後付の理由ではないかという気がしないでもない(※)。いや、後付でも構わないし、ブックマークコメントは自分用のメモという面もあり、また、100字制限の中で論点の全てを詰めるのは不可能であるから、当方の勘違い、思い込みの可能性は大であるが。先述した善行論への違和感の端緒でもあるので、蛇足ではあるが、上記のような印象を抱いたことを告白しておく。
(※)ネットを介した集団献花への「違和感」のはずが、自殺報道の余波と在り方からの集団献花否定論へと、論点が移っている。
玄倉川氏のブックマークコメント
(11日)「折鶴オフとか献花オフとか善意系は苦手だ/浜辺清掃オフみたいなシャレの利いたのが好き」
(12日)「面白半分といえば言いすぎだが四分の一くらいは娯楽じゃないかと思う」
(13日)「献花オフも、折鶴オフも、特定の難病子供への募金もそれ自体は悪くないが(一部)参加者の自己陶酔が気色悪い」
玄倉川氏が「はてなスター」で評価した他者コメント
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`)【神戸・高3自殺】 “2ちゃんねるで集まり献花”に「ゲーム感覚か」の声…他人が集う違和感。ネット中傷。いじめに繋がる薄気味悪さ
2007年10月12日 sennji 俺が自殺してもねらーのオフ集団に献花はされたくねーな
2007年10月12日 y_arim 2ch, society, web, literacy 善意や善行が誰にとっても善いものとして受け取られる、と無邪気に信じる怖い人々/「死者を弔う気持ちがあるから献花しただけ、何が悪い」と「弁護団が悪いと思ったから懲戒請求しただけ、何が悪い」どう違うのよ?
2007年10月12日 winget 想像しただけでも恐ろしい。見ず知らずの私人の献花に集団で現れるネラ。よそよそしい雰囲気の中「2ちゃんで呼びかけがあったから」と発言。献花というより冒涜にもとれるな。思いやりをはき違えてる。
2007年10月12日 ch1248 2chまとめブログ, 事件, 社会, NEWS 「ゲーム感覚」で来た人間の動機が何故か書かれていないので、判断がちょっとできない。どんな動機だったんだ?
2007年10月12日 hagakurekakugo 2ch, マスコミ 果たしてこれは『善行』なのかという問いかけに5分ほど真面目に悩む。結論:俺や家族の葬式にそういう輩が来たら、やはり気持ち悪いと言わざるを得ない。前もって遺族に連絡して了承を取っていれば別だが。
2007年10月13日 schtark メディアリテラシー 過去に胴上げという輝かしい実績があるので警戒せざるを得ない/http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/1739/offrp.html
はてなブックマーク: J-CASTニュース 2ちゃんねらー「薄気味悪い」 神戸新聞不思議なネット感覚
2007年10月14日 thrakt media 裏サイト?で見ず知らずの人間が集まって殺人した事考えると、感情的にわからなくはない
2007年10月14日 x12 ^単発記事, |瞬, 62マスコミ, 58日本人学 そりゃーいくら追悼と言っても得体の知れない人に大勢来られちゃ警戒せざるを得ないよ。そしてそんな状況をいとも簡単に生み出すようになったネットはやっぱ不気味な存在ではないかねー?
後日改めて記事を書くつもりですが、とりあえず一点だけ。
「真面目に心を痛めてやむにやまれず行動したのだと信じる。」
というのは正確には「そのように信じたい」「そう信じることにした」「だが事実を知らない」といった思いをまとめてそのように書きました。
いささかきれい事だったかもしれません。
文章全体として「献花が完全な善意であっても問題だ」という意図なので、「面白半分じゃないか」といった憶測による批判は避けました。
神戸新聞記者による取材不足のままのネット批判、2ちゃんねるまとめサイトなどに見られる神戸新聞記事批判(善行論/独善化)、はてなブックマークなどに見られる善行論批判(独善化への警鐘)と単純に自分の死と置き換えてみせたりする姿勢。三者の議題・争点設定(及びそのような議題設定に留保なく乗ること)に違和感を覚えたので、本文のように纏めてみました。むしろ、集団献花オフ参加者(≠加害者糾弾系サイト)の事前準備や当日の行動から窺える姿勢の方が、極めて抑制的に振る舞ってもなお集団化自体による示威の問題は残るとしても、当のいじめ自殺問題に対しては最も真摯なものだったのではないか、と。サイト情報と限られたメディア報道のみによる推測ですが。
「後日記事を書く」と申しましたが撤回させてください。
半分ほど書いたものの、結局のところ自分の言いたいことは元記事で全て言い尽くしていると気付きました。sokさんの疑問にひとつひとつ答えることはできますが、そうすることによって相互理解や新しい考えが生まれそうな気がしません。屋上屋を重ねるだけになりそうなので「集団献花」について自分がこれ以上書いても無意味だと思います。
今日も例の散歩道を歩き、橋の途中の花を見てきました。そこで死を選んだ人のことを少し想像してみました。
正直言ってあれを見るのは憂鬱なのですが、もし花が消えたらほっとするとともにいくらか寂しさを感じるような気がします。
お互いに言いたいことは書き尽くしているということで、後はそれぞれの価値判断なのだと思います。TB頂いた記事は、少し時間をおいてから、読み返してみます。言葉を尽くして頂いたことに感謝します。