2007年09月24日

光市母子殺害事件裁判の弁護人批判について

 これは私信エントリーです。当ブログは私信が多く、何の話か分からない閲覧者の方には申し訳なく思いますが、そういうものと割り切ってお付き合い下さい。


【目次】
1.光市事件は単純な事件なのか
2.被告人について汲むべき事情
3.弁護団の主張変更と説明責任について
4.被告人が「友人」に宛てた手紙について
5.訴訟遅延について
6.絞殺状況を示す図画の頒布について
7.「なめないでいただきたい」発言について
8.今枝仁弁護士の涙と弁護団のテレビ出演について
9.何故、弁護団批判者が批判されるのか
10.批判者の不法は懲戒請求が初めてではない
11.弁護団は本件裁判を死刑廃止論に利用してはいない
   →最終弁論での死刑回避の可能性について(10月8日22時10分頃追記)
12.死刑・厳罰化論の前提について
13.二つの人権を巡るすれ違い(10月5日22時30分頃加筆)
14.犯罪被害者支援について(10月5日22時30分頃加筆)
15.終わりに

【追記】
16.費用と利益で考える刑事弁護(同日22時00分頃追記) 
   →マイナス方向のインセンティブについて(27日22時40分頃追記)
17.対話によって得られたこと(27日22時40分頃追記)


1.光市事件は単純な事件なのか

 この点、実務家の間では判断が分かれるだろうと思います。例えば、上野正彦氏の鑑定書に従えば、あの気味悪い図画が示す通り、母親の殺害については片手、逆手であったということになり、検察が主張するような馬乗りになって両手で全体重をかけて絞殺したという仮説に疑問が出てきます。首に巻き付けられた紐が二重で蝶々結びであったのは争いないとして、二重の索条痕からは殺意が認定できるのか、きつく締めれば索条痕は一つになるという反論があります。子供を叩き落したという行為は実際にあったのか、検察官による捏造なのか、外傷との関係で弁護団側から疑問視されています。私は専門家ではないので、現に母子の死という事実をもって、これらのことはあったのではないかと見ていますが、確定的な殺意まで認定できるかは分かりません。当初から「強姦目的」であったと評価できるほどの計画性があったのかについても疑問が付されています。


2.被告人について汲むべき事情

 被告人には供述調書や一審二審の判決書さえ差し入れられていません。控訴趣意書と上告趣意書しか持っていなかったそうです。このような状況でまともな被告人尋問が行なわれたといえるのかどうかも議論の余地はあります。一審で被告人は殺意を否認していたそうですが、裁判官・検察官・弁護人ともにこれに留意せず、後に検察官が無期懲役を不服として控訴する段になって、反省していない材料として一審での殺意否認が取り上げられたそうです(2006年版『年報・死刑廃止』参照)。弁護人・裁判所のみならず警察・検察側に手続的な不備がなかったかという議論はあり得ます。


3.弁護団の主張変更と説明責任について

 さて、弁護団が一審二審で主張していなかったことを主張し始めたと批判されていますが、殺意の有無は殺人罪か傷害致死罪かという犯罪構成要件に関わるもので、一審二審の弁護団が情状面で訴える戦術に出て、これが一旦は奏功しながらも、その後、最高裁によって審理が差し戻された以上、一審二審で問題とならなかった殺意の有無が新たに争点となること自体は、弁護戦術としては有り得ます。あの気味悪い図画を巡る世間からの反発にしても、ある意味、彼ら弁護団が世間への説明責任を果たそうとしたがために起こっていると評することも出来るのです。弁護団のメディアへの説明には、依頼者との守秘義務という観点からの批判もありますが、本件弁護団はメディアの説明要求に対して、それなりに応えています。それに対して納得するかは別問題であり、私も彼らの言い分にあまり説得力を感じませんが、それでも弁護人としては已むを得ないと見ています。

 しかし、弁護団批判者の中には説明責任を果たしていないと批判するものもあれば、他方で、弁護団がメディアの取材に応えて図画を用いて説明すれば、被害者遺族の感情を逆撫でしていると批判するものもあります。これら双方を主張する人達もいます。彼らは一体、弁護団にどのような弁護を求めているのでしょうか。情状面に訴える手法は最高裁が差し戻した時点で既に難しいです。異論反論があってもそれについては一言も触れず、ひたすら陳謝し続けた上で、従容として死刑台に向かうことだけが被告人にも弁護人にも求められているのであれば、法曹三者が皆で被告人を糾弾し、反省文を書かせた上で死刑に処するだけの法廷であれば、それは日本の司法の自殺です。彼らの主張を信用するか否かは人それぞれですが、それとは別に、刑事弁護人の地位は擁護しなければなりません。


4.被告人が「友人」に宛てた手紙について

 被告人が「友人」に宛てたとされる手紙について、その文面ばかりが取り沙汰されますが、その文章がどのような経緯で書かれたものかは殆ど俎上に上ることがありません。これについては、友人ではなく隣の房にいた小説家志望の子供との文通の際に、文通相手が被告人を偽悪的に持て囃した手紙への返事として書かれたものであるという指摘があり、返事としてもなお酷い内容の手紙であることに変わりはありませんが、その手紙が文通相手の手元に留まらず何故、検察の手に渡っているのかという問題があります。

 また、これは今枝弁護士のみならず安田弁護士が引き継ぐより前の話です。この手紙をもって被告人に更生の余地が無いと判断することは、個々人の感想だと思います。弁護団の言い分にしても一方当事者の言い分に過ぎず、全て真に受ける訳にはいきませんし、実際、更生の余地があるのかといえば、被告人の元少年の態度はまだまだ幼稚な面があり、「なめないでいただきたい」発言についても、検察官に煽られたとはいえ、感情を抑えられずに不貞腐れるようなうちは社会に復帰して欲しくないし、このまま、最高裁によって差し戻された通りの結果になるのではないかと思います。

 しかし、この件をもって(ネット上の)世間からの批判が「あの弁護団と被告が、方法を間違えた結果」であると大括りに批判するのであれば、それ自体が本件事案について関心のある人の態度ではありません。「あの弁護団」が一審二審の弁護団を指すのか、安田・足立両弁護士を指すのか、今枝弁護士も含む22名を指すのか、この点を混同した批判は無意味です。何故、差戻審で情状のみならず殺意の有無という主観的犯罪構成要件が今頃争われることになったか、弁護団を批判している人達は弁護側最高裁弁論要旨や更新意見書は読まれたのでしょうか。


5.訴訟遅延について

 次に、上告審弁論を引き延ばしたことを問題視されていますが、控訴審から上告審の期日が決まるまで4年もの歳月が過ぎているという事実を、弁護団を批判されている方々は御存知でしょうか。最高裁でさえ次回期日を指定するまでに4年もの歳月を要しているのに、1万頁にも及ぶ裁判資料、800点に及ぶ写真、20数通あるという自白調書を精査して弁護に臨む弁護人が、たった一度、それもこれまでは慣習上認められていた弁護士会の行事を理由に欠席することさえ、事情を斟酌されることなく非難されています。安田弁護士が本村さんに対して事前に欠席を連絡しなかったことは社会常識に欠けると言わざるを得ず、本村さんからの批判は当然のことですが、たった一度の欠席がここまで世間から非難されるならば、何故、裁判所の期日指定における遅延が一切不問に付され、全ての責が弁護人のみに帰せられているのでしょうか。


6.絞殺状況を示す図画の頒布について

 絞殺状況の図画の流布についても、所謂「人権派」弁護士達が、自らの主義主張のために被害者の人権を配慮せず、好き勝手やっていると批判する向きがあります。しかし、それを言うのであれば、この件で被告人や弁護団を批判しているブロガーの多くも、弁護団を糾弾するにあたってあの図画を度々掲載している点で批判の対象になるのです。この点につき、弁護団批判者の多くは、自分達の行為が本村さんを苦しめる可能性については想像さえしていませんでした。弁護団批判をしている人達のうち、気付いて画像を削除された方は僅かではないでしょうか。本村さんが意見陳述の中で次のように述べています。
(2007年09月20日)イザ!:「本村さん「命をもって償え」光母子殺害」ウェブ魚拓
「インターネット上で妻が絞殺されたときの状況を図解した画像などが無作為に流布され、私の家族の殺され方などが議論されている状況を決して快く思っていません。殺されている状況が図解されている妻の悔しさを思うと涙があふれてきます。怒りなのか、むなしさなのか、この感情をどのような言葉で表せばよいのか分かりません。ただ、家族の命をもてあそばれているような気持ちになるのは確かだと思います。」

 この言葉は、基本的には弁護団とそれに親和的な意見の人達に向けられたものだと思いますが、あの図画を元に議論をしている点では、弁護人批判者にも及び得る言葉です。本村さんの言葉に改めて心を痛めている人は、一体、批判者の中に何人いるのでしょうか。本村さんは上記の文章に続いて被告人に問いかけていますが、妻子を無情にも殺害され、死刑の是非に悩み苦しんで米国の死刑囚と面会までしたという本村さんと、刑事弁護への理解を微塵も示さない人達では、同じような問いかけを発していても、その重みは違います。


7.「なめないでいただきたい」発言について

 ウェブ版の記事を幾つか見た限り、当初から明白に前後の文脈が不明です。何に対しての発された言葉なのかが解りません。そうであれば、弁護人のブログがあるのですから、そこで質問するなり(能動的)、そこで回答が出るまで待つなり(受動的)、他に方法はありました。私は前エントリーにてメディアリテラシーを問題にしましたが、ほぼ毎日更新されているブロガーさんに対しては、情報の精度よりも即時性を優先される場合があるということは理解しているつもりで、そのことをもって、気ままに更新している私が後出しで批判しようという気はありません。毎日更新し、かつ、必要に応じて訂正し、削除の際にはその理由を明示される書き手の姿勢を尊敬しています。これら全てを行なうことは私には出来ません。

 『痛いニュース(ノ∀`)』さんの最近のエントリーについては、前々から拙速なものを感じていましたが、これも2ちゃんねる上にある一部の反応を纏めたものに過ぎないので、仕方ない面も承知しています。但し、この種の2ちゃんねるまとめサイトだけを引用しているブロガーは多数存在し、それらを全て把握するのは困難かつ煩瑣であり、また、名指しすれば角が立って返って訂正の機会を失わせるので、前エントリーでは『痛いニュース(ノ∀`)』さんだけを例示しました。アクセス数が多く(影響力が大きく)、これまでも飛ばし記事であると判明して以後も殆ど訂正することがないブロガーですから、その点では批判が少し厳しくなっているかもしれません。


8.今枝仁弁護士の涙と弁護団のテレビ出演について

 今枝弁護士の涙については、本村さんへの思いと、被告人に対するこれまでの検察の対応が合わさってのもので、それは既に今枝ブログにて明らかにされました。今枝弁護士の言い分を100%信用しないにしても、既に何度も説明していることさえ調べずに批判している人に対してもコメント欄で真摯に対応している彼の姿勢は、少なくとも説明責任という観点では信頼に値すると思います。今枝弁護士のように情に脆ければ右派からは「自己陶酔」と言われ、左派からは「精神的に弱くて刑事弁護人に向いていないのではないか」と言われ、安田弁護士のように冷静であれば「冷酷非情」と言われるのが本件弁護団批判の現状です。

 事例は違いますが、例えば、評論家でありながら情に脆くカメラの前で度々涙を見せる青山繁晴氏(関西ローカルの報道番組『アンカー』等に出演)に対して、涙脆いことをもって批判する人はあまりいないのではないでしょうか。私は論理だけの人ではなく、そういう情緒的な脆さも備えた人物をこそ信用したいですが、現状の今枝弁護士批判の論法に従えば、評論家という職業にありながら論ではなく涙で訴える青山氏も論外となり、苛烈な批判に曝されてもおかしくはありませんが、青山氏に対してはそのような批判はあまり見られません。つまり、泣き虫であるかどうかは実際のところ批判者にとって重要ではなく、今回の今枝弁護士批判は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という感情面でのすれ違いによるものだと思います。

 弁護団のテレビ出演については、視聴者の側に感情面でのわだかまりを一旦おいて聞いてみるという姿勢がなければ、弁護団がテレビに出演しても世論やネット世論の怒りを買うだけでしょう。以前、紀藤弁護士が「たかじんのそこまで言って委員会」に出演した際(2006年3月26日放送回)、刑事弁護の基礎について言及していましたが、三宅久之さんや勝谷誠彦さん、橋下徹弁護士に話を遮られ、孤立無援状態でした。今月6日の「ムーブ!」にて大谷昭宏さんが橋下弁護士を批判した際も、私には大谷さんの意見は喧嘩両成敗という程度に聞こえましたが、ニコニコ動画のコメントでは大谷さんが袋叩き状態でした。橋下弁護士を窘めた丸山弁護士も叩かれているそうです。人の話を遮るパネラーを排除し、両陣営同数を揃え、かつ、司会がきっちり中立を保たない限り、テレビに出演しても議論にならないと思います。但し、報道については以前よりは改善されてきていると認識してはいます。


9.何故、弁護団批判者が批判されるのか

 絞殺状況を示す図画の頒布についての項でも触れましたが、それ以外の部分について書きます。私がネットで調べた限りでは、弁護団批判者を批判している者の大半も本村さんに同情しています。本村さんを口汚く罵っているのは、ほんの一握りの人達だけです。何故、本村さんに対して同情的な人達が、弁護団を批判している人達に対しては批判的なのか。それは、当事者である本村さんでさえも感情を抑えて、努めて冷静に被害者の権利について様々な場面で訴えているのに対して、ネット上で弁護団を批判している人達は、当事者でも無いのに報復感情を抑えることもなく、刑事弁護への理解を一切示さず、酷いものになると残虐刑を面白おかしく論じ、刑事裁判を己がカタルシスを得る場にしてしまっているからです。彼らの問題点は私のような一ブロガーでさえも既に一年以上前から指摘しています。具体的に懲戒請求という事態は予期していませんでしたが、このまま刑事弁護人への無理解が続けば、ネット言論が劣化していくであろうことくらいは感じていました。


10.批判者の不法は懲戒請求が初めてではない

 さらに、本村さんの報復感情にのみ寄り添う人達の中には、虚偽の情報をネット上に流布させる者もいて、それが不正確であると気付いても訂正する人は殆どおらず、大抵の人はやり過ごしています。これを訂正される厳正なブロガーは例外中の例外です。一年前には、現行の少年法が気に入らないという理由で被告人の氏名と顔写真を公表するブロガーもいました。誰とは言いませんが、少し前まで時事系ランキングサイトに登録し、上位に存在していたある憂国系ブロガーですが、当時、そのような無法が非難されることもなく、むしろ賞賛されている状況に辟易しました。少年法が気に入らないのであれば改正点を議論し合って、立法府に働きかけるのが筋ですが、彼らは立法府の役割を司法府に求め、さらに不法・脱法してまでも己が「正義」を体現しようとするもので、これは手続的適正の放棄であり、法治国家の愛国者の振る舞いとはいえません。


11.弁護団は本件裁判を死刑廃止論に利用してはいない

 現在でも本件弁護団に対して「弁護団が裁判を死刑廃止に利用している」や「死刑廃止論者の弁護士が結集して」という批判を向ける人達が一定数いるようですが、実際には弁護団22人の死刑制度への考えには相違があり、全員が死刑廃止論者ではないという声明も既に出ています。法廷で死刑廃止を論じていないことも各種資料からは明らかになっています。にもかかわらず、未だにこの種の批判が絶えません。今枝弁護士は繰り返し言葉を尽くして説明している以上、このような批判が絶えない責任は批判者が少し調べれば分かることさえ調べずにいることにもあるのは明白です。2ちゃんねるまとめサイトに情報収集の手間の一部を預けるようなことがあったとしても、思考力までを預けて良い理由はありません。本件裁判を死刑存廃論に利用していないのであれば、もうこういう不毛な批判、ネガティブキャンペーンは仕舞うべきです。

※(10月8日22時10分頃追記)コメント欄でmaloさんから、最終弁論での死刑廃止論への言及の可能性について御指摘がありました。これも私には欠けていた視点で参考になりましたので、以下に引用させて頂きます。見易さのため、改行はこちらで変えています。
 趣旨は概ね理解できますが、11項については、少し補足をしたいと思います。

 あの事件では、まだ差戻審の最終弁論はされていませんが、おそらく、最終弁論の時点で弁護人から「死刑は、違憲である」という主張が出る可能性は相当に高いと思いますし、死刑廃止論への言及もあると思います。

 ただ、それは、この事件を死刑廃止に利用するというのではありません。死刑の求刑を受けた多くの事案では、当の弁護人が死刑廃止論者かどうかに関係なく、その事件の弁護の一手法として、死刑の違憲性や死刑廃止論に言及する弁論がそれなりになされるからで、実際にこの事件でそういう主張があったとしても、それは死刑廃止論のシンボルにしようとかいうのではなく、刑事弁護のセオリーに沿った内容にとどまると思います。

 それにあれだけの弁護団の中で、死刑廃止論を唱える人もいる以上、その方々の意見に沿った主張も盛り込まざるを得ないでしょう。

 だから、なに……というわけではないのですが、今の風潮からすると、刑事弁護のセオリーとしてそういうことを主張しただけなのに、「それみたことか」と鬼の首を取ったように騒ぎ出す方々がいることは容易に想像が出来るので、現段階で想定されることとして書かせていただきました。

Posted by malo at 2007年10月08日 09:26

12.死刑・厳罰化論の前提について

 本件裁判では、弁護団を批判する人達の側から死刑積極論や厳罰化論が度々言及されますが、これらは司法への理解と信頼が前提になければ成り立たないものです。冤罪防止と手続的保障について国民の理解と信頼があるからこそ死刑や厳罰は維持されるのですが、最近では米国で無実の“死刑囚”124名が存在したことが話題になりました。日本でも今年に入って富山連続強姦冤罪事件、鹿児島曽於郡志布志町の公職選挙法違反冤罪事件と立て続けに冤罪事件がありました。御殿場強姦未遂事件についても冤罪事件との指摘があります。冤罪の可能性が高いとされる名張毒ぶどう酒事件の再審請求が認められなかったことも記憶に新しいです。

 光市事件に冤罪・誤判の可能性は無いと批判者達は言いますが、死刑は制度であり光市事件は永山基準の変更が注目される事案ですから、それでも先例としての後続事件への影響を考えれば、慎重に慎重を重ねて審理されるべき事柄です。司法への信頼を揺るがしかねない冤罪事件が立て続けに指摘される状況の下では、特に審理が尽くされなければなりませんし、警察・検察側が適正手続を遵守するようチェックする一方で、冤罪・誤判を防ぐためにも刑事弁護人の立場を国民が正しく理解し、その地位が不法な攻撃に曝されないように努めることも重要です。死刑制度や厳罰化論はそういう裁判制度への理解の上に維持・展開されるものです。


13.二つの人権を巡るすれ違い

 所謂「人権派」と呼ばれる人達が「加害者にも人権はある」という時、それは国家と個人というタテ関係の人権について言及する場面であり、遺族が「被害者の人権が無視されている」という時、それは加害者と被害者の関係、即ち対等な私人同士(といっても既に一方は取り返しのつかない被害を受けているので本当は対等ではないですが)であるヨコ関係の人権について言及する場面です。ある時期まではタテ関係の人権ばかりが注目されたため、結果として相対的にヨコ関係の被害者の人権が置き去りにされる状態でした。そのため、既に被害を受けて毀損されている被害者の人権がさらに見放される状況となっていましたが、近年、犯罪被害者等支援法の成立によって、このような状況は少しずつ改善されつつあります。

 例えば、東大作著『犯罪被害者の声が聞こえますか』の中で、犯罪被害者が厳罰化以外で求めてきたものとしては、(A)被害者への公判記録の開示、被害者の意見陳述の機会付与、(B)犯罪被害者等給付金制度の拡充、(C)被害者や家族・遺族の公訴参加制度、付帯私訴制度の導入、少年審判の傍聴、公訴代理人への財政的援助、等などです。

 (A)については2000年11月1日に犯罪被害者保護のための二法1)(2)が施行され、(B)については改正・犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律が2001年7月1日に施行、2006年4月1日からは犯罪被害者等基本法及び犯罪被害者等基本計画を踏まえた「重傷病給付金に係る支給要件の緩和、支給対象期間の延長等を内容とする政令改正及び親族間犯罪に係る支給制限の緩和を内容とする規則改正」が施行されています。

 被害者の訴訟参加への過程では、無罪推定の原則や被告人の人権との関係でなお賛否分かれる部分もあります。しかし、これまで置き去りにされてきた犯罪被害者と遺族の人権が配慮される契機となったという点では、非常に意義のあることだと思います。これは本村さん達のこれまでの活動の成果です。被害者の人権を考慮する際、厳罰化という議論以外にも多方面に被害者支援の途はあります。


14.犯罪被害者支援について

 前項で述べたような厳罰化以外の支援策の中にも未達成のものがありますし、達成されたものの中にも試行錯誤の余地はあります。本村さんに同情し、犯罪被害者を支援しようと思うならば、厳罰化以外の支援の在り方も当然知っておくべきことでしょう。

 立法によるのではなく、刑事弁護人への懲戒請求や誹謗中傷でもない支援策としては、犯罪被害者や家族・遺族を励ます手紙を、犯罪被害者支援団体や新聞の読者投稿欄に送るなどの方法が考えられます。2003年10月に福島県須賀川市立の中学校で起きた柔道部リンチ事件では、匿名掲示板の利用者から被害者の両親に手紙が送られました(痛いニュース(ノ∀`)さんの2006年9月19日記事参照)。

 そうではなく、あくまで弁護団に国民の憤り、或いは疑問をぶつけたいのであれば、懲戒請求という強硬手段ではなく各弁護士会の市民窓口に意見を伝えるという方法があります。この場合は、代表者を決めてその者が他者の意見も取り纏めた上で、各弁護士会に連絡した方が窓口職員の手間が省けます。

 ネット上であれば、今枝弁護士のブログにコメントを書き込んだり、ブロガーであれば疑問点を記事にしてトラックバックするという方法もあります。この場合は既に説明済みの内容もあるので、なるべく重複しない様に前もって過去記事を良く読んでから行なう方が良いでしょう。やり方は多々あります。


15.終わりに

 ここまで書いてきたことはかなり弁護団に好意的に書いていると思います。しかし、それは批判者が弁護団側の言い分について殆ど何も知ろうとしていないという印象を強くしたからであって、本件母子殺害の事実について、私は他の方々と同様、強い処罰感情を抱いています。自分自身、弁護団の言い分に充分納得できない部分もあります。それでも、事件についての個人的な感想と刑事弁護人の役割への理解とは別と考えます。結果がどうなるか、判決がどうあるべきかということについては言明したくありませんが、“弁護人はその役割を果たしているのかもしれないが、私には被告人に更生の余地があるとは思えない、よって現行の司法制度の下、母子を殺害した被告人には死刑が妥当だ(or已むを得ない)と思う”、この程度のことさえ言えない今の弁護団バッシングの風潮は、かなり危ういものです。


16.費用と利益で考える刑事弁護(同日22時頃追記)

 医学部受験と同様、国家試験最難関といわれる旧司法試験は、同年代が遊びや恋愛、就職して収入を得ている間に血を吐く思いで勉強し、それでも何年も浪人して、やっと合格できれば良いという試験だそうで、新司法試験にしても合格者数は旧試験に較べ格段に増えるとはいえ、合格までには適性試験、入学試験、法科大学院での勉学と各期末試験、いざ新試験受験となっても受験期間と回数の制限という険しい道程です。旧・新問わず、不合格が長引けば、それだけ社会人としてのスタートラインは同年代から離され、収入面その他でリスクを背負います。合格しても専門分野を持たなければこれからの弁護士数増加の下では競争に勝ち残れず、また法律は毎年新たに制定・改廃していますから、合格してからもこれらの知識を更新し続ければなりません。そのような状況において、弁護士になったからには誰しもそれまでの労力やこれからの労力に見合った稼ぎを得たいと思うのが人情でしょう。そうすると、場合によっては時間給1円にも満たないような住所不定無職の凶悪犯罪者の弁護なんて、酔狂でなければやっていられません。

 弁護団を批判する人達に刑事裁判を崩壊させるような意図がなくとも、ただでさえ割に合わない刑事弁護人が、(1)これまで通り守秘義務や被告人の利益は守らなければ被告人から懲戒請求や損害賠償請求されかねないというリスクを抱え、さらに(2)世論への説明責任といった本来業務以上のコストや国民からの懲戒請求といったリスクが高まり、加えて(3)橋下弁護士らが言うように一審二審と差戻弁護団で主張に齟齬があるなら互いに懲戒請求し合えばいいとさえ言われ、ひとたび刑事弁護を引き受ければ全方位から懲戒請求の矢を受けかねないという状況で、一体誰が刑事弁護人を引き受けるでしょうか。最難関試験を合格した人達にとって、刑事弁護を引き受けるインセンティブがどこにもないのですから当然といえば当然です。刑事弁護が名誉職でもないことはオウム弁護団や今回の弁護団への批判を見ても明らかです。やれば確実に嫌われ、悪名として記憶されます。通常業務にも支障をきたしかねず、銃弾を送り付けられて家族まで恐怖を抱えて過ごさなければなりません。全国犯罪被害者の会代表幹事の岡村勲弁護士も、山一證券問題で逆恨みした男に襲撃され、妻を殺害されていますが、ネット上の死刑積極論者からは、近親者を殺害されて死刑廃止論者から転向した弁護士という文脈でしか語られません。

 今のように被告人と弁護人を混同して鬼畜外道であるかのように批判する振る舞いが続けば、刑事弁護の引き受けては減り、刑事弁護の引き受け手が見つからなければ裁判は開かれず、結果として将来の刑事事件被害者や遺族が不便を強いられることになりかねません。また、ますます批判者が「人権派」と揶揄するような弁護士しか刑事弁護を引き受けなくなるのも自明でしょう。納得できないものがあっても、被告人と弁護人の違いくらいは区別しなければ、昨今言われる周産期医療の崩壊と同様、早晩、制度として危機に直面します。そうすると、また無責任な弁護士批判が起こるのであろうことも、奈良の所謂「妊婦たらい回し」報道を見ていれば、これも想像できます。医師と同様、弁護士にもどうしようもない人もいれば、立派な人もいるでしょうが、ドラマや映画、漫画に出てくるキャラクターのような熱血人情弁護士のイメージが理想化されて、そのイメージと一致しなければ、刑事弁護であろうと企業法務であろうと実情を把握することなく、三百代言だとか拝金主義者だとか好き勝手言われるようでは、弁護への理解が遅々として進まないのも仕方ないのかもしれません。自分や家族・親族・友人・子孫が(冤罪も含めて)犯罪者になる可能性について一切想像力を働かせない人達には、刑事弁護という制度は悪者擁護のためのものとしか映らないのかもしれませんが、そういう人達は運転技術に相当の自信があるのでしょうか。

※(27日22時40分頃追記)コメント欄で院生さんから、マイナス方向へのインセンティブについて御指摘がありました。私には欠けていた視点で参考になりましたので、以下に引用させて頂きます。なお、見易さのため、改行はこちらで変えています。
 弁護については、日弁連は一定程度委員会とか国選弁護をしないと会費を上げるというようなことをやっているようですので、マイナス方向でもインセンティブはあると思います。委員会に入りたくないから国選弁護をやるというような人もいるようですし、これまで刑事弁護を担ってきたのはそういう弁護士たちでした。

 この問題に関して本当に恐ろしいのは手抜き弁護だと思います。手抜き弁護をされたと被告人が思っても、よほどのことがない限り懲戒請求という挙に出るとも考えにくいですし、そもそも被告人がそんな制度を知っている・知ることができる保障さえないわけです。特に自白事件の場合、そもそも手抜き弁護をされたことにさえ気づかない被告人だって出てくるでしょう。しかも、弁護が不十分だからといって裁判が無効になるわけでもないので、泣き寝入りという可能性が相当高いことになります。

Posted by 院生 at 2007年09月27日 01:24

17.対話によって得られたこと(27日22時40分頃追記)

 後日談。このエントリーを書こうと思うきっかけとなった、ある掲示板での2人の方との対話は、それぞれの方から拙エントリーの趣旨について理解して頂けたと判断できるだけの返答が頂けました。途中、ヴォルテールの「あなたの言うことには一つも賛成できないが、あなたがそれを言う権利は命を懸けて守るつもりだ」という言葉を引用して拙論を補足して下さる方も現われました。また、対話に横槍を入れず見守って下さった掲示板常連の方々の存在もありました。今、読み返して見ると、本エントリーには第16項の最後の一文のように、読み手の反発を買いそうな表現(けれど伝えたい想像力)もありますが、それでも反発されずに本文の趣旨に一定の理解が頂けました。長文にお付き合い下さった方々に感謝します。

 弁護団批判者と自分との違いは何だろうと思う時があります。被告人が母子を殺害した事実への恐怖や怒りについて、彼らと私の間にそう違いがあるとは思えません。処罰感情においても同様かもしれません。しかし、自分の場合は法学部に進学したことで、刑事弁護人の地位を理解する機会を得ました。では、別の学部に進学していたらどうだっただろう、人との出会い、読書の傾向、講義で得た知識など、これまでの生活、進路選択の違いで別様の生き方をしていたら、刑事弁護について考えを巡らせることもなく、この母子殺害犯への憎しみを弁護団にぶつけていたかもしれません。センセーショナルな報道によって、より可視化される対象へと怒りを向けたかもしれません。そう思うと、弁護団批判者との対話に悲観的になることは、結局は、ある時までの自分や別様の可能性を生きた自分と対話することに失望することなのではないか、という気もします。

 自分の場合は偶々、このエントリーを書いた直後に対話相手から好意的な反応が得られましたが、そうでなくとも、今日まで弁護団を批判していた人が数日後には弁護団への誹謗中傷だけはやめるかもしれませんし、その次には刑事弁護人の役割について考え始めるかもしれません。厳罰化以外の犯罪被害者支援について、機会があれば調べてみようと漠然と思うかもしれません。それが数日後ではなく数ヵ月後か数年後のことかもしれませんが、今は感情的なすれ違いから反発している人達にもいつかは伝わるかもしれません。昨日までの考えは簡単には変わりませんし、変化が見えてきても、また過激な報道に煽られて憎悪を表現するかもしれませんが、それもまた人情でしょう。各々に出来る範囲で言葉を尽くして伝えれば、伝わるところから順に伝わっていくのではないか、と考えます。伝えられると思う人に伝えるだけです。そこから広がっていけばいいと思います。だから、悲観論には馴染めません。


【当ブログの関連エントリー】
(2006年06月21日)山口県光市母子殺害事件とネット言論
(2007年07月02日)刑事弁護人の懲戒請求について
(2007年07月07日)NHK 特報首都圏『ネットの“祭り”が暴走する』テキスト起こし
(2007年09月09日)橋下弁護士が提訴された件について
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(2007年09月22日)弁護団と批判者のすれ違い
posted by sok at 19:00| Comment(15) | TrackBack(3) | 光市母子殺害事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
取調べの可視化と言う話がでていますが、弁護人と被告の打ち合わせも可視化すればいいんじゃないですかね。
Posted by mugumugu at 2007年09月25日 18:50
11、12について、「永山基準の変更が注目される事案」ならば結局死刑制度がらみでおもちゃにされているだけではないかという疑問、16について、そのための国選弁護制度ではという疑問があります。おそらく私が不勉強なだけだと思いますが。15には完全に同意するものです。
Posted by はてなでは怖くて書けない at 2007年09月26日 05:33
 mugumuguさん、コメントありがとうございます。

 「取調べの可視化」という話は本文では述べていないので何事かと思いましたが、今枝弁護士のブログでの話題ですね。「取調べの可視化」をどこまで認めるのか、限定する場合は部分的な録取の恣意性の問題をどうするのかという点で、識者の間で議論があるようですが、自白調書の任意性の確保という観点からは検察官の側にもメリットはあると思います。「弁護人と被告の打ち合わせも可視化」というのは、弁護人の守秘義務との関係で、誰に対する可視化で、どのような目的と効果があるのか、具体的に教えて頂ければと思います。ちょっと御質問の意味が分かりませんでした。

弁護士・未熟な人間・今枝仁:取調べの「適正な」『可視化』を求める。
http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/comment/20070920/1190698404
Posted by sok at 2007年09月26日 21:44
 はてなでは怖くて書けないさん、コメントありがとうございます。はてなって怖いんですか?

 11項は、弁護団が法廷で死刑廃止論を展開してはいないという事実について述べたものです。12項は、弁護団批判者が本件裁判を論じる際に度々言及する死刑積極論や厳罰化論について、それがどのような前提で議論されるべきものか、そして、刑罰の謙抑と慎重審理について思うところを述べたものです。死刑存置論者であっても先例としての後続事件への影響を考えれば刑罰の謙抑と慎重審理については注意を払うもので、特にこれらは死刑廃止論者の間でのみ言及されるものではありません。書き方が分かりにくかったでしょうか。

 光市事件では、一審二審の無期懲役判決を不服として検察が上告し、それを最高裁が差し戻されたので、特に考慮すべき事情がなければ、永山事件判決での死刑適用基準に変更を及ぼす可能性の極めて高い事件であり、マスコミの注目を集めています。殺人罪(死刑又は無期若しくは5年以上の懲役)か傷害致死罪(3年以上の有期懲役)か、殺人罪の場合でも無期懲役判決からの差戻なので死刑判決の可能性が高い裁判ですから、被告人の代理人たる弁護団としては死刑を回避するように努めるでしょう。しかし、死刑回避と死刑廃止は違います。

 16項は、弁護士の経済的事情や刑事弁護を引き受けるインセンティブについて述べたものです。国選弁護は、依頼者が資力などの理由で私選弁護人を付けられない場合の制度です。弁護士側の事情と依頼者側の事情といいますか。国選弁護人への報酬や費用の支給が、現に弁護活動で費やした時間や費用、労力と見合うかものでなければ、積極的に引き受けたいと思う弁護士はいないでしょうし、時間的負担が増えれば機会利益も失います。昨年10月からは被告人国選弁護に加えて、被疑者国選弁護がスタートし、2009年には対象事件が拡大されるそうで、弁護士過疎の問題と併せて考えると、今まで以上に弁護士への負担が増えるのではないかという話があります。
Posted by sok at 2007年09月26日 21:52
不躾な質問でした。申し訳ありません。光市事件の弁護内容が、被告と弁護人による作文ではないか?という疑念が私自身にありまして、さらにそれが弁護人主導の作文ではないのか?と思いました。そういったことが、裁判官(裁判員)にたして見える形になれば、そういった疑念もなくなるんじゃないかと考えました。
Posted by mugumugu at 2007年09月26日 22:40
一応言っておきますと、刑事弁護人は大事な仕事とおもってますよ。
Posted by mugumugu at 2007年09月26日 23:18
 16番について

 弁護については、日弁連は一定程度委員会とか国選弁護をしないと会費を上げるというようなことをやっているようですので、マイナス方向でもインセンティブはあると思います。
 委員会に入りたくないから国選弁護をやるというような人もいるようですし、これまで刑事弁護を担ってきたのはそういう弁護士たちでした。

 この問題に関して本当に恐ろしいのは手抜き弁護だと思います。
 手抜き弁護をされたと被告人が思っても、よほどのことがない限り懲戒請求という挙に出るとも考えにくいですし、そもそも被告人がそんな制度を知っている・知ることができる保障さえないわけです。特に自白事件の場合、そもそも手抜き弁護をされたことにさえ気づかない被告人だって出てくるでしょう。
 しかも、弁護が不十分だからといって裁判が無効になるわけでもないので、泣き寝入りという可能性が相当高いことになります。


 mugumuguさん
 失礼ながら、あなたは刑事裁判の基本的な仕組みを理解されていないのではないでしょうか。
 刑事裁判は被告人や弁護人の言うことをすべて言い負かさなければ有罪判決が取れないものです。弁護人主導の作文であろうが被告人自身が言ったことであろうが、言い負かせなければ無罪であることはまったく変わりません。裁判員はそんな疑念をいちいち考えず、その言い分が正しいかどうかだけ判断すればよいし、そうしなければならないのです。 
Posted by 院生 at 2007年09月27日 01:24
院生さん丁寧に答えていただき有り難うございます。この事件の弁護が荒唐無稽に思いましたので、私にしてみれば、疑念というバイアスがかかると正しい判断を下せないよなと思った次第です。
Posted by mugumugu at 2007年09月27日 09:36
 mugumuguさん、コメントありがとうございます。

 “被告と弁護人による作文ではないか?という疑念”についてですが、主張すること(弁護人や検察官の仕事)と認定すること(裁判官や裁判員の仕事)は違うので、接見交通権や守秘義務との関係に踏み込んでまで“弁護人と被告の打ち合わせの可視化”という制度を導入するほど気に留める必要はないと思います。裁判官はプロですからその点は大丈夫でしょうし、裁判員に対しては刑法の基本原則と証拠に基づく事実認定について充分に裁判所から説示する方が効率的であると考えます。

 また、仮にそのような制度を導入するとしても、裁判官は常時二百件以上もの事件を抱えているというので(その殆どは自白事件だそうですが)、この任を新たに課すとなると裁判官の負担が増えます。裁判員にしても精査すべき項目が増えれば、拘束日数が延びます。それらは巡り巡って裁判の長期化という形で被害者遺族への負担になるのではないでしょうか。
Posted by sok at 2007年09月27日 22:01
 院生さん、御指摘ありがとうございます。

 初回の接見が形骸化していて、手抜き仕事、やっつけ仕事をする人がいるという話は聞いたことがありますが、“委員会に入りたくないから国選弁護をやる”という動機については知りませんでした。こういう実務に関する情報が得られるのは有り難いです。マイナス面のインセンティブについて、本文にて引用させて頂きます。
Posted by sok at 2007年09月27日 22:03
被疑者と弁護人の接見の秘密性保護は、憲法34条、37条に由来する、というのが最高裁判例ですから、接見を可視化するためには、憲法改正が必要です。
そういう議論が平気で出てくる「世間の感覚」に、驚愕します。

記事ありがとうございます。
私のブログにTBしていただくとなおありがたいのですが。
Posted by 今枝仁 at 2007年10月05日 07:44
 今枝仁さん、コメントありがとうございます。

 TBの件ですが、今枝弁護士のブログは更新頻度が高く、どの記事に送ったものか迷ってしまうので、過去記事ですが、9月12日の『はじめに』という記事にTBしておきました。

(2007年09月12日)弁護士・未熟な人間・今枝仁:はじめに
http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/comment/20070912/1189600795
Posted by sok at 2007年10月05日 22:48
さっそくTBありがとうございます。
Posted by 今枝仁 at 2007年10月05日 23:49
趣旨は概ね理解できますが、11項については、少し補足をしたいと思います。

あの事件では、まだ差戻審の最終弁論はされていませんが、おそらく、最終弁論の時点で弁護人から「死刑は、違憲である」という主張が出る可能性は相当に高いと思いますし、死刑廃止論への言及もあると思います。

ただ、それは、この事件を死刑廃止に利用するというのではありません。
死刑の求刑を受けた多くの事案では、当の弁護人が死刑廃止論者かどうかに関係なく、その事件の弁護の一手法として、死刑の違憲性や死刑廃止論に言及する弁論がそれなりになされるからで、実際にこの事件でそういう主張があったとしても、それは死刑廃止論のシンボルにしようとかいうのではなく、刑事弁護のセオリーに沿った内容にとどまると思います。

それにあれだけの弁護団の中で、死刑廃止論を唱える人もいる以上、その方々の意見に沿った主張も盛り込まざるを得ないでしょう。

だから、なに……というわけではないのですが、今の風潮からすると、刑事弁護のセオリーとしてそういうことを主張しただけなのに、「それみたことか」と鬼の首を取ったように騒ぎ出す方々がいることは容易に想像が出来るので、現段階で想定されることとして書かせていただきました。
Posted by malo at 2007年10月08日 09:26
 maloさん、コメントありがとうございます。

 死刑回避の最終手段としてそのような手法を用いることがあるという話は何かで読んだ記憶がありますが、ちょっと手元の書籍では該当する記述は見つかりませんでした。おそらく弁護団がそのようなことをすれば、弁護団批判者は勝ち誇ることでしょうね。拙エントリーのような書き方では、弁護団批判者に揚げ足を取られるかもしれないので、maloさんのコメントを本文で引用させて頂きます。
Posted by sok at 2007年10月08日 22:09
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