2007年07月03日

都秋枝さんの「脱日」と粗忽者の「メディアリテラシー」

 26日現地時間午前9時、脱北者であり日本で暮らしていた都秋枝(ト・チュジorトツジ)さん(58歳)が、北京の北朝鮮大使館で、「脱日」に関する記者会見を行なった。会見の中で、トさんが「2003年10月に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、在瀋陽日本国総領事館を通じて、日本へ強制拉致された」と言っていることが、匿名巨大掲示板で取り上げられていた。

(2007年06月26日)痛いニュース(ノ∀`):【北朝鮮】「2003年に日本が北朝鮮女性を拉致」

 このトさんの記者会見について、木走日記さんが検証している。北朝鮮側が主張する「日本へ強制拉致」説を今更額面通りに信じる人もおらず、特に盛り上がるような話題にもならず、このニュースは風化しつつあるが、それをそのままやり過ごさずに、北朝鮮側の主張の矛盾点を各報道から示している。検証それ自体について言えば、意義あるエントリーだと思う。但し、その検証姿勢に関して引っ掛かるものがあったので、その点について書く。

(2007年06月29日)木走日記:お騒がせな「脱日」オバサンのとんだ狂言会見を徹底検証

 思うところを書くにあたって、木走さんが引用したものと同じ報道を基に言及する形式を取る。原文の引用に際しては、太字強調は木走さんが注目した部分、青字強調は当方が注目する部分、青太字は双方が注目している部分を表す。また、予め断っておくが、私はトさんの記者会見での説明自体には特に関心が無い。北朝鮮の支配下に置かれれば、このような発言をするであろうことは容易に想像できるし、毎度毎度、北朝鮮の言い分は荒唐無稽だとも思う。


1.木走さんに倣って各種報道を眺めてみる

(2007年06月26日)朝鮮日報:北朝鮮「2003年に日本が北朝鮮女性を拉致」
 北朝鮮は26日、日本が2003年10月18日に北朝鮮女性のト・チュジさん(58)を拉致したと主張した。

 在北京・北朝鮮大使館は26日午前9時(現地時間)、北朝鮮大使館で国内外のメディアを対象に共同記者会見を行い、日本が4年前にト・チュジさんを拉致したと発表した。

 この会見にはトさんも同席した。この会見でトさんは「2003年10月に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、在瀋陽日本国総領事館を通じて、日本へ強制拉致された」「3年7カ月間日本で生活したが、今月21日に日本を脱出して、現在は在北京・北朝鮮大使館で保護を受けている」と主張した。

 この日トさんは記者団の質問に一切答えず、北朝鮮映画『民族と運命』の主題歌を歌いながら会見場を後にした。

 トさんは1949年10月28日に神奈川県川崎市でト・サンダルさんの三女として生まれ、1960年に帰国船に乗って北朝鮮に入国したという。

 青字で強調している部分にあるように、平島筆子さんの「脱日」会見と同様の、不自然さと大仰さを合わせた記者会見である。これまでの北朝鮮の手法を知っているならば、ここに北朝鮮の意図を感じないはずはないのだが、木走さんはこの記事を取り上げて、『いやあ、ト・チュジさん、「脱日」おめでとうございます。』と皮肉とも取れる言葉を記している。

(2007年06月26日)時事:日本の生活に絶望、北朝鮮へ帰国=脱北女性「誘拐された」と主張ウェブ魚拓
 【北京26日時事】2003年に北朝鮮を脱出して日本へ戻ったものの、日本での生活に絶望して北朝鮮へ帰る決意をしたとする女性(57)が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見し、「悪い人間にだまされ、誘拐された」「日本(の生活)は人間が生きていく暮らしではない」などと語った。脱北後の生活は極めて厳しいと宣伝する狙いがあるとみられる。

 女性は在日朝鮮人の父と日本人の母の間に神奈川県で生まれたト・チュジさんで、1960年に両親と共に北朝鮮に渡った。トさんは03年10月に中国側へ脱出、瀋陽の日本総領事館へ入り、同11月に日本へ戻った後、千葉県松戸市に住んだ。

 しかし、アパートの隣人と全く交流がないなど日本の生活になじめず、北朝鮮に残した子供が恋しいこともあって北朝鮮に帰ることを決めたという。中国への脱出は「強制的に連れて行かれたものだった」と強調した。

 このニュースを配信した時事通信社は「脱北後の生活は極めて厳しいと宣伝する狙い」と見ている。では、それは誰の狙いか。北朝鮮当局の狙いだろう。そして、ト・チュジさんの母親は日本人妻であり、「1960年に両親と共に北朝鮮に渡った」とある。帰国事業により最初の帰国船が新潟港から出航したのは、1959年12月10日。時期的に見て、北朝鮮の実態を詳しく知らされずに帰国事業によって北朝鮮に送られた日本人妻の娘である。また、この記事では「北朝鮮に残した子供」の存在についても触れている。しかし、ここでも木走さんは皮肉とも取れる書き方をしている。

(2007年06月27日)西日本:「日本は冷たい。北朝鮮に帰る」 脱北女性が北京で会見 海外の生活苦を宣伝?ウェブ魚拓
 【北京26日傍示文昭】2003年10月に北朝鮮を脱出し、日本で生活していた在日朝鮮人の女性が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見し、「悪い人にだまされて日本に行ったが、日本での生活に絶望した」「日本は氷のように冷たかった」と述べて、北朝鮮に戻ると表明した。記者会見には同大使館職員2人が付き添い、英語の通訳も交えて行われ、脱北後の生活の厳しさを広く宣伝する狙いがあるとみられる。

 会見したのは、川崎市出身の都秋枝(トツジ)さん(57)。都さんは在日朝鮮人の父と日本人の母の三女として生まれ、1960年に両親らとともに北朝鮮に渡った。結婚して5人の子どもを生んだが、03年10月18日に豆満江を渡って中国へ脱出したという。脱出したのは「本意ではなく、悪い人にだまされて誘拐されたからだ」と述べた。

 その後、瀋陽の日本総領事館を経て同11月に日本に戻り、千葉県松戸市のアパートで生活を始めた。だが、隣人との交流がないなど日本の生活になじめず、「誰も知らない土地で死ぬより、北朝鮮に残した子どものそばで死にたい」と考え、北朝鮮に戻ることを決意。今月21日に北京に来たという。

 関係者によると、都さんの日本名は「石川一二三」で、96年に単身脱北して日本で作家として活動している宮崎俊輔さん(59)の実妹。宮崎さんは著書「北朝鮮大脱出・地獄からの生還」(新潮社、2000年刊)で、北朝鮮での抑圧や差別、飢餓などの苦しみを赤裸々につづっている。

 私の注目点は先の時事通信配信記事と同じ。付き添いの在北京・北朝鮮大使館員が、大使館員としての役割のみを行なっているとは私にはとても思えないのだが、木走さんはその点はスルーされている。ここでも『うーん、なるほど、かたや兄は氷のように冷たい国で「北朝鮮大脱出・地獄からの生還」などという著書で、将軍様を冒涜するような北朝鮮での抑圧や差別、飢餓などの苦しみを赤裸々につづっているわけでして、トさんも心中苦しかったのでしょうね。』と皮肉を言っている。

(2007年06月26日)朝日:脱北女性が会見「日本社会は冷たい」 拉致問題で牽制かウェブ魚拓
 脱北してこれまで日本に住んでいたという在日朝鮮人女性が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見し、「日本社会は氷のように冷たかった」などと語った。核問題をめぐる協議が動きつつある中、北朝鮮が拉致問題の解決を訴える日本を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。

 北朝鮮大使館員に付き添われて会見したのは「ト・チュジ」と名乗る女性で、49年に川崎市で在日朝鮮人の父と「いしかわみよこ」という名の母の三女として生まれ、60年に親と北朝鮮に渡ったと話した。

 女性は03年10月、「本意でなかったが、だまされて(中朝国境を流れる)豆満江を渡った」と説明。瀋陽の日本総領事館に行き、千葉県で暮らしたという。

 日本政府当局者から子どもも日本で一緒に暮らすよう促されたが、北朝鮮に戻ると決め、今月21日に北京に来たという。

 女性が話した後、質問を受け付けずに大使館員が会見を打ち切った。

    ◇

 会見したのは、先に日本に戻っていた兄の手引きで03年10月に瀋陽の日本総領事館に保護され、同11月に帰国した女性(57)とみられる。脱北し日本に帰国した女性が「北朝鮮に戻る」と記者会見を開いたのは05年4月の平島筆子さんに次いで2人目。

 この朝日記事では、平島筆子さんの名前が出ている。あの不自然な、涙の万歳(マンセー)会見を覚えているならば、『実のお兄さんに連れ去られるなんてなんという悲劇だったのでありましょう。』などと惚けたことは言えないのだが、これが木走さんの文章スタイルなのだろうか。また、先の記事に関して疑問だった例の大使館員2名について「質問を受け付けずに大使館員が会見を打ち切った。」とあるが、その点も木走さんは一切考慮しない。

(2007年06月26日)日経:日本移住は誘拐・元在日朝鮮人女性が北京で会見ウェブ魚拓
 【北京=佐藤賢】脱北者とみられる元在日朝鮮人のト・ツジさん(57)が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見した。北朝鮮から日本に移住した経緯について「悪い人間にだまされて誘拐された。日本(の生活)は人間が生きていく暮らしではない」などと訴え、北朝鮮に帰国すると表明した。北朝鮮側には脱北後の状況の厳しさを宣伝するとともに、拉致問題の解決を強く求める日本をけん制する狙いがあったとみられる。

 トさんは在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれ、神奈川県で育ったが、1960年に家族と北朝鮮に移住。中国瀋陽の日本総領事館を経由して2003年11月から千葉県に在住し、今月21日に離日した。日本政府筋によると「北朝鮮に残る子どもが脅されていたようだ」という。トさんは同総領事館に駆け込んで保護された石川一二三(ひふみ)さんとみられる。(15:01)

 北朝鮮に子供達がいれば、それを人質にして揺さ振りをかけてくるのは、キム・ヘギョンさん会見や曽我さんへ届けられた手紙からも明らかだろう。それが北朝鮮のやり方であり、日本政府筋の言い分でなくとも、過去の事例から充分推測できる。

(2007年06月26日)時事:脱北女性の帰還を報道=北朝鮮ウェブ魚拓
 【ソウル26日時事】北朝鮮の朝鮮中央通信は26日、「日本に誘拐された朝鮮女性ト・チュジさんが空路平壌に帰ってきた」と報じた。朝鮮通信(東京)が伝えた。

 朝鮮中央通信によると、トさんは空港で子どもらの出迎えを受けたという。トさんは北京を出発する前に北朝鮮大使館で記者会見し、2003年に脱北して日本へ戻ったが、日本の生活に絶望、北朝鮮に帰る決意をしたなどと訴えていた。

(2007年06月26日)スポニチ:「感謝」…脱北女性が北朝鮮に戻るウェブ魚拓
 北朝鮮から2003年10月に中国に脱出し、その後日本に居住していた在日朝鮮人の女性ト・ツジさん(57)=川崎市出身=が26日午後、経由地の北京から平壌国際空港に到着した。

 トさんは、空港で出迎えた子供たちと抱き合い、「私のために多くの人が心配してくれた。(北朝鮮に戻れて)感謝している」と話した。 (共同)

 これらの二つの記事に関して、特に言及することはない。

(2007年06月26日)AFP:「誘拐され日本に連れて行かれた」と主張する脱北女性が記者会見ウェブ魚拓
2007年06月26日 23:16 発信地:北京/中国
【6月26日 AFP】北京(Beijing)の北朝鮮大使館で26日、「誘拐され日本に連れて行かれた」と主張する在日朝鮮人の女性、ト・チュジ(To Chu-Ji)さんが記者会見し、「日本での生活に絶望し北朝鮮に帰国する決意をした」と語った。集まった数十人の記者の大半は、北朝鮮核問題に関する記者会見が行われるものとして出席していたという。

 トさんは、2003年10月に「本意ではなかったが、悪い人にだまされて(国境を流れる)豆満江(Tumen river)を渡り、中国に入った」と説明。中国遼寧(Liaoning)省瀋陽(Shenyang)の日本領事館に2週間滞在した後、日本に向かったという。ここ数年、飢餓や抑圧に耐えかねた数百、数千人の北朝鮮人が似たようなルートで脱北したと考えられている。

 トさんは2003年11月から2007年6月まで千葉県松戸市に住んでいたが、母国に残してきた5人の子どもを思うと「頭がおかしくなりそうだった」と語る。子どもたちとの手紙や電話は、いつも涙で始まり涙で終わった。部屋に1人でいると、子どものことを考えて枕を涙で濡らした」と述べ、「心気症患者か精神病質者のように、ほとんど毎晩、薬やアルコールに頼らなければ眠ることもできなかった」と続けた。

 トさんは2番目の義理の息子が入隊したことを知り、最終的に帰国することを決めたという。トさんは監禁されているような状態だったというが、どのように親戚と手紙や電話のやり取りをしたかについては説明しなかった。

「わたしが子ども時代の日本人にはお互いを思いやる気持ちがあったが、今の日本はまるで氷のように冷たい」と語るトさんは、北朝鮮の伝統的な歌を震える声で歌い、会見を締めくくった。トさんは在日朝鮮人の子として日本で生まれ、1960年に北朝鮮に帰国したという。

 国連(UN)による北朝鮮の核査察の再開が世界の注目を集める中、北朝鮮がなぜこのような会見を開いたかは不明。日本が北朝鮮による日本人拉致への怒りを表明しているため、日本に対する報復行為ともみられている。北朝鮮政府当局者は核問題に対する質問には回答しなかった。(c)AFP

 引用記事につき、木走さんは括弧書きの「頭がおかしくなりそうだった」という部分を抜き出して太字強調しているが、その前には「母国に残してきた5人の子どもを思うと」という言葉が括弧無しで付いている。前後の文脈を無視して抜き出し、強調するのが木走さんの認識する「メディアリテラシー」か。この記事からは、子供に関するメッセージが北朝鮮側からトさん宛てに手紙や電話で発信されていたことが分かる。2番目の義理の息子が入隊したことを知ったのが、「脱日」を最終的に決定した根拠とされている。

(2007年06月27日)中央日報:<取材日記>日本が北朝鮮人拉致?…北大使館の“生半可”会見ウェブ魚拓
26日午前9時、北京の駐中北朝鮮大使館で内外信記者会見が行われた。記者たちは緊張した。ここ北朝鮮大使館が記者会見を開くのはほとんど2年ぶりだからだ。国際原子力機関(IAEA)代表団が中国を去って平壌に向かい、6カ国協議再開が予想されるタイミングで、記者たちの触覚を刺激した。

しかし会見のテーマは予想とまったく違った。金日成(キム・イルソン)、金正日(キム・ジョンイル)の肖像画が掛かった会見場には北朝鮮に暮らし、日本によって拉致されたという女性が、大使館関係者2人とともに出席した。進行者が「4年前、日本で拉致されたト・チュジさん」(58、女)と紹介したこの女性の言葉を整理すれば次の通りだ。

「1949年、日本の川崎で在日韓国人ト・サンダルと日本女性の間の三女として生まれた。60年、第48次北送船に乗って家族とともに北朝鮮に渡った。2003年10月18日“悪い人”に誘われ、豆満江を渡って中国に密入国させられた。川を渡った後、待機中のジープに乗せられて拉致された。3日後、瀋陽駐在日本総領事館に抑留され、同年11月21日、日本の千葉県に連れてこられた。毎日、殺人事件が報道される所で、3年8カ月間、悪夢のような生活をした。当局者たちに「家族を連れてこなければならないのではないか」と勧められたが「嫌だ。こんな非人間的な所に子供を住まわせるわけにはいかない。私は故国に帰る」と拒否した。睡眠薬と酒で毎日を送り、北朝鮮に置いてきた5人の子供が幸せに暮らしているという話を聞いて6月21日、東京の成田空港を発って北京に到着した」そして最後に「将軍様をしのぶ」という内容の北朝鮮シリーズ映画『民族と運命』の主題歌を歌った。この映画は在外海外同胞たちが北朝鮮の懐に抱かれる内容の政治宣伝物だ。会見はこれで終わった。

北朝鮮のどこに住んでいたのか、誰が、どうやって自分を誘い出して北朝鮮を離れたのか、拉致されたと言いながらどうやって日本を自由に離れることができたのかなどの質問が飛んだが、トさんと北朝鮮大使館関係者は何の返事もなく会見場を去った。質疑応答の時間はまったくなかった。集まった外信記者たちは露骨に不満を吐いてはあざ笑った。

一方的に発表されれば信頼は落ちるほかない。この日の北朝鮮大使館の行動は「日本人拉致問題に対する生半可な対抗」と言われて終わった。

 『毎日、殺人事件が報道される』のは、メディアが煽る“体感治安の悪化”が原因。この部分については、仮に北朝鮮の台本に添ったものでなく、メディアに煽られた生活者の感覚から発した言葉であったとしても、特に驚かない。メディアが煽る“体感治安の悪化”を根拠に日本社会に幻滅されるのは困るが、統計的事実を無視した厳罰化論(厳罰化を適罰化と称する人もいる)がネット上でも喧しいことを考えれば、この「脱日」女性だけを責めることは均衡を失することになろう。『北朝鮮に置いてきた5人の子供が幸せに暮らしているという話を聞いて』という点に関しても、誰から伝え聞いたのかといった疑問がある。その他、外信記者の疑問に同意。

(2007年06月27日)朝鮮日報:【記者手帳】北朝鮮大使館のおかしな会見ウェブ魚拓
 25日夜、北京の北朝鮮大使館は外国の特派員らに対し、「明日午前9時、大使館で緊急記者会見を行う」と伝えた。緊迫度が増す北朝鮮の核問題に関する発表を予想していた各国の記者約80人は翌朝、1時間前から大使館の外に長蛇の列を作った。

 ところが予想は大きく外れた。大使館は「これから、日本に強制的に連行された都秋枝(ト・チュジ)さん(58)の記者会見を開きます」とアナウンスしたのだ。

 記者たちの前に現れた中年の女性は、1949年に日本で生まれ、15歳のときに在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に渡り、現在は5人兄弟の母親だという。ところが、「2003年10月、悪い人たちにそそのかされ、豆満江を越えて中国に渡ったところで無理やりジープに乗せられ、日本へ連れていかれた」と彼女は語った。

 そして「日本ではただ子どもたちに会いたいという一心で、酒と睡眠薬におぼれる毎日でした…北朝鮮では“苦難の行軍”(1990年代中盤の食糧不足)のときにも幸せだったのに…」と涙ながらに語り、「日本は子どもが親を殺すような国だ。人間の住む所ではない」と語気を強めながら非難した。

 今月21日に日本を脱出したという彼女は最後に「歌を1曲歌う」と言った。そしてああ、将軍様のおかげで‐わたしたちは一つの家族、将軍様の家族ですと歌った後、記者の質問にも答えず足早に会見場を後にした。

 2年前の05年4月にも、北京の北朝鮮大使館で記者会見が開かれた。このときも「核問題に関する発表」を予想して集まった記者たちは、「日本人に拉致された」という安筆花=日本名・平島筆子=さん(69)のメチャクチャな主張を聞かされた。安さんはこの時、「将軍様の家族です」という歌の代わりに「将軍様、万歳!」と叫んだ。

 北朝鮮は日本が自国による「日本人拉致問題」を追及し続ける中、「われわれも被害者だ」と主張しようとしているのかもしれない。だが、そうした主張が説得力を持つには、少なくともなぜ拉致が行われたのか、どうやって「脱出」し、どこで生活していたのか、詳しく説明するべきではないだろうか。2年後に同じような「異常ずくめの記者会見」を見させられた外国の特派員たちは皆苦りきった様子だった。


北京=李明振(イ・ミョンジン)特派員

 朝鮮日報記事でも平島筆子さんについて触れている。平島筆子さんの時は金正日を讃える言葉、今回は歌。2つの「脱日」女性の記者会見は酷似している。その他、李明振特派員の締めの一段落に同意。

(2007年06月27日)Daily NK:“脱北女性ト・チュジは拉致されていなかった”ウェブ魚拓
日本のNGO “ト氏自身が日本行きを希望”…“北の家族 '帰って来て'
梁貞兒記者
[2007-06-27 14:28 ]

日本に強制的に拉致されたと主張して、北朝鮮に帰ったト・チュジさん(59)は、自らの主張と異なり、実の兄とともに自ら日本に帰国したと、日本の脱北者支援団体が明らかにした。

またトさんは日本で暮らしていた時、北朝鮮にいる家族から帰って来るようにという懐柔を受け続けていたことが分かった。

中国の北朝鮮大使館は26日午前、北京市内の北朝鮮大使館で、トさんを参加させて内外信の合同記者会見を持ち、"日本が去る2003年10月18日に、北朝鮮の女性ト・チュジさんを強制的に拉致した"と主張した。

日本の脱北者支援団体の関係者は27日、デイリーNKとの通話で"日本に先に入国した兄が妹のトさんを連れてくるため2003年10月に直接国境地域に行った"と述べ"トさんは自ら日本に来たのであって、北朝鮮が主張する強制的な拉致を日本はしていない"と語った。

トさんは1949年10月28日に日本の神奈川県川崎市で、ト・サンタルさんの三女として生まれたが、1960年に両親と一緒に第48次帰国船に乗って北朝鮮に入国した。

その後、1990年代末に兄が先に北朝鮮を脱出して日本に渡り、北朝鮮にいる妹のトさんと連絡を続けた。トさんは2003年10月に豆満江の近くで兄に会い、瀋陽の日本総領事館の保護を受け、11月に日本に渡った。

トさんは豆満江を越えた時は、兄と会うことが目的だったが、兄と会った後、日本に行くことを決心したという。

トさんは日本に入国した後、千葉県で生活していた。日本の脱北者支援団体の関係者は、"トさんは日本に来た後、兄との仲が悪くなった"と述べ、"家族がすべて北朝鮮に残っている状況で、かなり寂しく感じていたのだろう"と伝えた。

この団体の関係者は"北朝鮮政府は残っている家族を通じて、トさんに連絡を取り続け、帰国をしょうようした"と述べ、"家族に会うために北朝鮮に再び帰る決心をするようになったようだ"と語った。.

北朝鮮政府は残っている家族を利用して、日本に定着した脱北者を懐柔する作業を続けているという。

この関係者は"日本政府は脱北者を受け入れるだけで、韓国政府のように、彼らが社会に適応できるシステムが用意できていない"と述べ、"日本は自国に定着した脱北者と対話するために努力しなければならない"と明らかにした。

日本に定着した脱北者が北朝鮮に再び帰ったのは、2005年4月のアン・ピルファ(平島筆子)さんに次いで2人目だ。アンさんは北朝鮮に帰った後、日本を誹謗して、北朝鮮体制を宣伝する大衆講演に出ている。

トさんは26日、平壌の順安空港に到着し、北朝鮮に入国した。トさんの子供たちは綺麗に装って出迎えた。

 この記事では日本の脱北者支援団体関係者の証言として『北朝鮮政府は残っている家族を通じて、トさんに連絡を取り続け、帰国をしょうようした』とある。この者の言葉を信用するならば、脱北した人達に対しても北朝鮮当局は(おそらく総連関係者などを使って)接触しているだろうことが分かる。しかし、木走さんはトさんから支援団体関係者に伝えられた兄・宮崎俊輔さんとの不仲という点のみを取り上げている。何故、同じ証言者に関して、ある言い分のみを取り上げ、他の言い分を無視するのか、私には理解出来ない。ここにも木走さんの恣意性を感じる。そして、木走さんのエントリーは次のような文章で締められている。

 帰国したけりゃかってにしてくれてけっこうですが、この期に及んで自分の意思で来たくせに、実の兄を「悪い人」呼ばわりしたり、日本に「強制拉致」されただのと狂言しないでほしいものでありますね。

 ・・・

 以上、「氷のように冷たかった」国のブログで「氷のように冷たい」検証したのは、「日本は人間が生きていく暮らしではない」中でけっこう満足している「悪い人」のひとりである「木走まさみず」でございました。

 ジャンジャン。

 木走さんはリベラルを自称していながら、体制と大衆を混同した批判をしている。不思議なことだ。リベラルも随分と堕したものだと思う。いや、保守派か革新派かという点を抜きにしても、平島筆子さんという過去の「脱日」女性の不自然な記者会見を想起すれば、今回の件で都秋枝さん個人に批判を向けることに躊躇いを覚えるはずだが。或いは、週間金曜日が仲介して曽我さんに送られた手紙、フジテレビその他のマスメディアがスクープ欲しさに群がったキム・ヘギョンさん会見など、過去に北朝鮮が帰国した元拉致被害者に行なった離間策や日本世論への誘導策を見て、何も学ばなかったのだろうか。それとも、それらの工作活動は帰国した元拉致被害者に対してのみ行なわれているとでも思っているのだろうか。北朝鮮に身内を残した状態で日本に来て、北朝鮮からあの手この手の揺さ振りが掛けられるのは、帰国した元拉致被害者も元脱北者も変わらないだろうに。


2.何のためのメディアリテラシーなのか

 木走さんは脱北者支援団体関係者の言を紹介した。では、私もそれに倣って脱北者支援団体関係者の言を紹介しようと思う。全文漏らさず読んで貰いたいが、一応、特に強調しておきたい部分を青字で示しておく。

(2007年06月28日)守る会声明:北朝鮮に戻った脱北者女性について
07年6月27日 守る会声明

北京の北朝鮮大使館における
     都チュジさんの会見について

       北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
                          代 表 三浦小太郎

 報道によると、26日午前9時ごろ、北京の北朝鮮大使館で都チュジという女性が記者会見し、2003年10月に騙されて北朝鮮から連れ出され、日本に強制的に連行されていった、北朝鮮で幸せにくらしている子供たちに会いたくて、死ぬとしても子供たちのそばで死にたいと思い、また祖国にもどることになった、と語った。
 私たちが知る限り、都チュジ(石川一二三、日本人妻の娘)さんは日本に入国する目的で中国に渡ったわけではなく、中国に出た後の事情で日本に来ることになった特殊な事例であった。このため、脱北と日本入国後の生活や、北朝鮮に残る子供たちの生活について、自分自身の明確な判断と決意のもとに行動したものではなかった。そして、日本入国後も、日本で生活している現実に立脚した最善の道を選択して努力することにならなかったことは、きわめて残念である。
 都チュジさんが北京の北朝鮮大使館に入り、北朝鮮に戻る行動をとるにいたった具体的事情としては、北朝鮮にいる都さんの子供たちから、北朝鮮に戻って来てほしいとう電話などによる必死の働きかけが、何年にもわたって繰り返し繰り返しあったこと、日本で支えあう友人を作ることができず、孤独ななかで生活していたため、適切な助言を得て問題に対処していくことができなかったことが、今回の事態を生み出したと判断する。

 だが、平島筆子さんが同様の行動を取った場合と同じように、今回の都さんの行動の背後には、北朝鮮の子供たちに継続して北朝鮮にもどるよう必死の働きかけをさせ、母親の心理を巧みに突いた北朝鮮当局の作意と行動がある。北京の北朝鮮大使館へ入るまでの行動を誘導した者がいたこと、大使館でおこなわれた記者会見の発言内容の不自然さ、そして一切の自由な質疑を排除していることなど、北朝鮮当局が自国民の拉致被害を演出・PRし、自らの拉致犯罪に対する追及をかわす手段にしようとしていることは明白である。
 日本に入国した脱北者に共通する最大の不安と苦悩は、北朝鮮に残る家族の生活であり、その安全である。慣れない環境で働いて得たわずかな収入のなかから、あるいは生活保護費を節約してためたお金を、”命の水“として北朝鮮の家族にとどけようとしている。日本に脱北した自分のせいで北朝鮮に残る家族が監視され、時には拘束され、送金したお金もそのまま家族の手元に届くことはない。
北朝鮮当局の欺瞞性と恐ろしさ、邪悪さ、卑劣さを知り尽くしているのは脱北者自身である。

 だからこそ、金正日への忠誠を表明し、北朝鮮当局の意図を体現することで、子供たちの安全を守ろうとする悲劇的な行動が生まれてしまう。
 日本政府と私たちは、脱北して日本に入国できた人たち自身が受けた被害と苦しみへの理解に加え、北朝鮮に残る家族が明日をも知れない不安定な状況に置かれ、生死をさまようような日々を送っていることを理解し、拉致問題をはじめとする北朝鮮の人権問題を根本から解決するために、できることから行動を起こしていこうではありませんか。
 私たちは金正日政権に言う。都さん、そして平島筆子さんとその家族の安全を保障し、すべての脱北者の家族の安全を保障せよ。都さん、平島さんが日本で人権を保障され、自由に国外へ渡っていったように、北朝鮮のすべての国民に人権を保障し、国外への移動の自由を保障せよ。

 私にとっての「メディアリテラシー」とは情報を正しく読み解くための能力であり、手段なのだが、木走さんにとっての「メディアリテラシー」はそれ自体が娯楽か、目的なのかもしれない。日本で孤立し、家族のことを思う気持ちに揺さ振りをかけられ、北朝鮮の支配下に戻された人間を、平和な日本に住む人達が、絶対安全圏から批判する。彼が当該エントリーのタイトルに用いた「お騒がせな」「オバサン」「とんだ」「狂言会見」という表現からも彼のスタンスが窺える。北朝鮮当局ではなく、連れ戻された脱北者個人に皮肉を向ける。それが彼の「メディアリテラシー」。コメント欄でも誰も指摘しない。

 ネット上では毎日のように粗忽者達が群れ、絶対安全圏から他者を批判している。これもまた、そういうネット言論の日常風景か。



※同日20時頃、題名を以下のように改めました。
変更前:都秋枝さんの「脱日」と卑怯者の「メディアリテラシー」
変更後:都秋枝さんの「脱日」と粗忽者の「メディアリテラシー」
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