2007年04月07日

渡辺秀子さん母子失踪事件に関する時系列メモ

 北海道出身で埼玉県上福岡市の主婦・渡辺秀子さんが失踪し、子供2人が北朝鮮に拉致されたとみられる事件について、現在までの報道を時系列で整理する。要約しにくい文章については、二重括弧(『』)で引用する。感想などはコメント欄に記すことにする。

<4月9日19:00追記>ネット上には当時の時代背景を無視したコメントも散見されるので、渡辺秀子さん母子の失踪と直接関係の無い事件についても、簡略ながら記すことにする。
<4月14日00:30追記>エントリーが長くなったので、末尾のリンク集を4月9日のエントリーに移動した。


 渡辺秀子さん 主婦 当時32歳 日本籍。
 長女・敬美(きよみ)ちゃん 当時6歳 朝鮮籍。
 長男・剛(つよし)ちゃん 当時3歳 朝鮮籍。


 特定失踪者問題調査会リスト:渡辺秀子
 特定失踪者問題調査会リスト:高敬美
 特定失踪者問題調査会リスト:高剛


時系列メモ

1941年6月5日
 北海道釧路で、渡辺秀子さん、生まれる。


1963年5月11日
 寺越武志さん(当時13歳)が叔父の昭二さん(同36歳)、外雄さん(同24歳)と能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。その後、1987年1月22日に外雄さんからの手紙によって北朝鮮での生存が判明する。


1959年〜1960年
 18歳で家族の元を離れ、オホーツク海に面した港町の飲食店で働き始める(ANNスーパーモーニング4/5)。『帯広市の高校を中退後、網走市や興部(おこっぺ)町の飲食店に勤務(毎日4/5)。


1967年
 渡辺さん、67年頃に高大基氏と結婚する。(朝日4/5-2北海道4/6
→但し、毎日新聞によれば『その当時、翻訳業をしていたとされる在日朝鮮人の男性と知り合い、66年に結婚。夫婦は埼玉県に移った。』とある。(毎日4/5

 渡辺さんの妹、鳥海冏子(とりうみけいこ)さんによれば、この夫は「関西なまりのある日本語の上手な人。とっつきにくい感じだった」とのこと。『渡辺さんから数年後、「夫がスパイ」と打ち明けられたという。(毎日4/5

 渡辺さんの夫・高大基氏は愛知県生まれの在日朝鮮人で『知人によると、北海道の自衛隊関係の学校に日本名で通っていたことがあり、北海道で自衛官らと接触。防衛情報を入手するための活動をしていた。北海道・紋別市のスナックで、渡辺秀子さんと知り合い結婚、姉弟が生まれた。』とのこと。(イザ!4/4


1967年4月10日
 渡辺さんの長女の敬美ちゃんが生まれる。


1968年1月21日
青瓦台襲撃未遂事件 - Wikipedia


1968年1月23日
プエブロ号事件 - Wikipedia


1968年頃
 渡辺さんが通っていた帯広市内の高校の同級生で、渡辺さんと親しかった北海道帯広市在住の女性(65)が読売新聞の取材に応じ、北朝鮮工作員だった渡辺さんの夫の動向や一家の様子などを語っている。この女性は1968年頃から付き合いが復活し、毎年夏に帰省する度に会うようになったという。以下、長くなるので4/8付の読売記事から引用する。
 夫は実家に妻と長女・敬美(きよみ)ちゃん(拉致当時6歳)、長男・剛(つよし)ちゃん(同3歳)を送ると、自分は泊まらず、1人でホテルなどに宿泊し、翌日東京に帰ったため、女性が夫に会ったのは1度だけ。背が高く無口で、高価な眼鏡をかけていたのが印象的だったという。

 中国語や英語も話せたようだった。肩書は貿易会社専務で、「高岡」「高田」「渡辺」と名前を使い分けていた。月収は80万〜120万円。渡辺さんはいつも、封筒に入った札束から食事代を払ってくれた。また、3、4通の預金通帳を持ち歩き、「自宅には10キロの金塊が二つある」とも話していたという。

 女性が渡辺さんから聞いた話によると、埼玉県の自宅には、夫の弟で「ほしの」と名乗る男が同居し、朝早く家を出て、夜遅くに帰ってきた。外で1人でラジオをじっと聞いていたこともあった。家族と外出先からタクシーで帰る時には、夫は5、6軒手前で降りて歩くのが常だったという。

 女性が渡辺さんに電話をかけてもつながらず、逆に渡辺さんがかけてきた時は、決まってデパートなど外出先からだった。「近所付き合いや自由な外出も許されていなかったようだった」と女性は話す。

 朝鮮の民族衣装を着た渡辺さんの写真を見せられたことがあった。豪華で、胸にはブローチが付いていた。渡辺さんは「このブローチを付けて歩くと、向こう(北朝鮮)の人はびっくりした顔をして、お辞儀をして通り過ぎる」と説明し、女性は、渡辺さんが北朝鮮に渡ったことがあるのだろうと思った。(読売4/8

 渡辺さんの親友・小田久子さんは「(渡辺さんの夫が)北海道・帯広に来たとき、第5師団というんですか、自衛隊の幹部の方と十勝川温泉で飲んで食べて、そこに秀子ちゃんが同席したことがあり、そこでも(夫が幹部に)100万円渡した」「北海道・旭川でも自衛隊と会っていた」「防衛大学の幹部と競艇を見に行ったときもお金を渡していた」「北海道・小樽の海上保安庁の幹部と会い、料亭で飲み食いし、お金をあげた。(Qどのくらい渡していた?)100万円くらい。『こんなよ』と言っていた」「札幌の旧『電電公社』、今で言う『NTT』の機械課の人と会って、飲ませて食べたりして小遣いをあげていたと言っていた」と話した。高氏は、幹部に多額の現金を渡して防衛情報を収集していたものとみられている。(日テレ4/13

 渡辺さんと面会した親友・小田久子さんによると、失そう前に渡辺さんのノートを見た際に、「洛東江」という名前と電話番号が書かれていた。「洛東江」は、兵庫県で男性を拉致したとされる北朝鮮工作員の組織の名前で、警察では、渡辺さんの夫で工作員の高大基氏が、この組織とも連絡を取っていた可能性があるとみて詳しく調べている。(日テレ4/14

1969年9月
 アメリカ国防総省がカリフォルニア大学ロサンゼルス校、スタンフォード研究所、カリフォルニア大学サンタバーバラ校にIMP(Interface Message Processor)を設置、同年12月にはユタ大学と接続する。INTERNETの元となるARPANETが誕生。


1970年3月31日
よど号ハイジャック事件 - Wikipedia
無限回廊 endless loop:「よど号」ハイジャック事件
→共産主義者同盟赤軍派(Wikipedia)が起こした日本航空機に対するハイジャック事件。

田宮高麿(当時27歳/大阪市立大/1995年11月30日死亡)
小西隆裕(当時25歳/東大)
田中義三(当時21歳/明治大/2007年1月1日死亡)
魚本公博(当時22歳/関西大)
吉田金太郎(当時20歳/元工員/1985年死亡?)
岡本武(当時24歳/京大/1988年死亡?)
若林盛亮(当時23歳/同志社大)
赤木志郎(当時22歳/大阪市立大)
柴田泰弘(当時16歳/神戸市内の高校)


1970年6月29日
 渡辺さんの長男の剛ちゃんが生まれる。


1971年6月
 在日本朝鮮人総連合会の金炳植(キム・ビョンシク)第一副議長が中心となって貿易会社「ユニバーストレイディング」を設立(読売4/5-1毎日4/5)。高大基氏は設立当初から同社の「専務」を名乗り、『73年6月に消息を絶つまで、同社を拠点とする10人前後の工作員のリーダー格を務めていた。』(読売4/13-2

『警察当局の調べによると、当時、朝鮮総連を指導していた北朝鮮国内の工作機関「文化部(現在の名称は統一戦線部)」が第1副議長に指示し、日本国内で工作活動をするためにつくらせたという。』(毎日4/15

 朝鮮総連では、ナンバー2の第1副議長(当時)が71年6月に知人の日本人を社長に仕立ててユニバース・トレイディングを設立。渡辺さんの夫は、第1副議長が総連の「室長」だった時期の部下だったことから、同社を拠点とする工作員組織のリーダー格を務めていた。(読売4/17


1972年頃
 第1副議長派と総連トップの議長派の対立が激化(読売4/17)。朝鮮総連の第1副議長であった金炳植が権力闘争に敗れて北朝鮮本国に帰国。渡辺さんと子供達が何者かに監視されるようになる。『この当時の状況について、警察当局が複数の同社の関係者に事情を聞いた結果、最近になって、うち1人から役員の女に関する供述が得られた。供述によると、女は仲間の工作員に対し、「渡辺さんの夫が失跡した直後、工作船で北朝鮮に渡った」「自分が朝鮮労働党の工作機関の幹部になった」などと話し、さらに「これからは私の言うことを聞いてもらいます」と宣言していたという。』(読売4/10


1972年2月19日
あさま山荘事件 - Wikipedia
無限回廊 endless loop:連合赤軍あさま山荘事件


1972年5月30日
テルアビブ空港乱射事件 - Wikipedia
無限回廊 endless loop:日本赤軍テルアビブ空港事件


1973年6月
 渡辺さんの夫・高大基氏が突如失踪し、渡辺さんは夫の勤務先である東京都品川区の貿易会社「ユニバーストレイディング」周辺を尋ね歩く(読売4/44/5-1)。高氏は朝鮮総連の活動家に対し、「共和国から召喚状がきた」と言い残して姿を消したという。(イザ!4/4)。高氏の後継として女性役員が工作員グループを率いる。(毎日4/7-2

『北朝鮮工作員の拠点だった東京都内の貿易会社の役員の女(59)が、「朝鮮労働党の工作機関の幹部に取り立てられた」と周囲に話していたことが9日、分かった。この直前には、工作員のリーダー格だった渡辺さんの夫が突如、失跡していた。この会社の設立者でもあった在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の第1副議長が失脚した時期とも一致し、警察当局は、総連内の権力闘争が渡辺さんの事件の背景にあるとみている。』(読売4/10

 夫の勤務地周辺を尋ね歩いていた渡辺さんに、工作員の女が接触し、『「夫はもう帰らない」と告げ、実家の北海道に帰るよう促した。』という。これを受けて、渡辺さんは一旦帰郷する。(時事4/5


1973年7月20日
ドバイ日航機ハイジャック事件 - Wikipedia


1973年夏頃
 渡辺さんが2人の子供を連れて帰省。この時、夫から「家を建てて両親と暮らしなさい」と1200万円の小切手を渡されたこと、夫の行方が分からなくなったことを両親に打ち明けている。『さらに、この年の数年前から、夫の弟と名乗る男が渡辺さん宅に住み込むようになり、外出もせず、夜中に朝鮮語とみられるラジオ放送を聞いていることも明かしたという。』(毎日4/5

 渡辺さんと親しかった北海道帯広市在住の女性(65)によると、渡辺さんは痩せていて、口数も少なかったという。そして、この夏の帰省の際、「私の夫、工作員なの」と打ち明ける。『女性は「工作員」の意味がわからなかったが、渡辺さんからは、夫が道内のホテルや料亭などで、日本の防衛・治安関係者と頻繁に会っていたと聞いた。「親子で帯広で暮らすように」と夫からもらった1200万円の小切手も見せてもらった。夫の出国前には、「金塊も売りなさい。その時はきちんとした服装で行きなさい」と指示された、と話していた。この時、「北朝鮮で暮らすことになるかもしれない」とも語っていた。』(読売4/8

『渡辺さんの友人の女性も、渡辺さん母子が行方不明になる前の73年夏ごろ、渡辺さんから夫が工作員であることを打ち明けられていた。さらに、「夫が北海道の温泉地で自衛隊幹部と酒を飲んだ際、お札の入った封筒を渡しているのを見た」などと、渡辺さんから聞かされていた。』(読売4/13-1

 その後、再び東京に戻る。(時事4/5


1973年11月中旬
 「ユニバース・トレイディング」社の女性役員)が「母子3人とも北朝鮮に送れ」と北朝鮮本国から指示を受ける。『警察当局に対する同社関係者の証言などによると、女は渡辺さん母子を目黒区のマンションに監禁した際、同社の工作員を欧州に派遣。工作員は北朝鮮の在外拠点で「3人を北朝鮮に連れてくるように」との指示を受けた。その後の具体的な指示については「役員の女に直接伝える」と意向を聞いたという。また、工作員が欧州に向けて日本を出発したのは73年11月中旬だったため、警察当局は、この時期までに母子が監禁されたとの見方を強めている。渡辺さんは同年12月、「今、大阪にいる」と母親に電話をした後に消息を絶ったことから、これまで監禁の時期は12月ごろとされていた。警察当局は、この電話は監禁発覚を免れようとした工作グループの偽装だった疑いが強いとみている。』(毎日4/12-2


1973年12月
 渡辺さんと子供2人が行方不明になる。(読売4/4
→その後の調べによると、渡辺さん母子の監禁時期は、工作員が欧州に向けて出発した11月中旬頃とのこと(前項参照)。

 同月、渡辺さんから実家に電話があり、「大阪の友達の家にいる。正月には(当時住んでいた)埼玉に戻る」と伝えられる。これを最後に家族との連絡が途絶える。妹の鳥海さんは『夫とともに北朝鮮に渡ったのだろうと思っていたという。』(毎日4/5

 渡辺さんと子供2人は、「ユニバーストレイディング」社役員の女ら数人によって目黒区内のマンションに監禁される。『この際、渡辺さんは殺害されたとみられ、警察が、渡辺さん一家3人の監禁に関与した複数の同社関係者から事情を聞いた結果、「(渡辺さんの死亡後)2人の子どもの処置に困って(拉致を)やった」という証言を得たという。警察当局では、同社役員の女が指示した疑いが強いとみている。』(読売4/5-1
→但し、1974年まで渡辺さんが生存していた可能性があるとの報道もあり。詳しくは次項参照。
→特定失踪者問題調査会によれば、渡辺さんが監禁された場所は『東京都目黒区下目黒清水台にあるマンション』とのこと。(調査会ニュースvol.484


1974年3月10月夜
 渡辺さんの友人から警察当局に「74年3月に渡辺さんから電話があった」との証言あり。電話は「福井から」と言って途切れた。「渡辺さんの声の背後で、ぽんぽんという船のような音が聞こえた。電話は何者かに切られたようだった」と証言したという。『警察当局は友人の証言などから、渡辺さんが74年3月までは生存していたとの見方を強めており、いったん福井県の海岸沿いに連れて行かれた後、別の場所に移された末、殺害されたとみて前後の足取りを調べている。』(毎日4/7-1

『渡辺さんは電話に出た知人に「福井からかけている」と話しかけてきたという。船の汽笛のような音も聞こえた。だが話し始めてすぐ、渡辺さんのそばにいる人物が渡辺さんに何かを言った気配が感じられ、直後に電話は切れたという。知人にはそれ以来、電話がかかって来ることはなかった。』(朝日4/8読売4/8も同趣旨)

 当初、母子3人を拉致しようと計画していたとの証言が出ている。『この組織の実態について、同社関係者の一人は、警察当局に対し、「工作員たちは京都や福井、新潟の海岸から頻繁に北朝鮮に渡っていた」と証言し、役員の女が密航場所としていたのは「福井県小浜市の海岸だった」と明らかにしたという。さらに、この関係者は、渡辺さん母子について、「北朝鮮に渡った工作員が、『3人とも北朝鮮に送り込め』との指示を受けて日本に戻ってきた」などと供述。別の関係者も、「春先に日本海側から拉致しようとしたが、海が荒れていたのでできなかった」などと話した。』(読売4/9


1974年5月〜6月頃
『警察当局で、渡辺さんの夫の勤務先だった品川区内の「ユニバーストレイディング」の複数の元社員や関係者から事情を聞いた結果、渡辺さんは、同社の元社員らによって目黒区内のマンションに監禁されたうえ、殺害された可能性が高く、子ども2人は、車で日本海側まで連れ出され、工作船で北朝鮮に拉致された疑いが強いことが判明した。このうち関係者の一人からは、「元社員から『睡眠薬を飲ませて子どもを車で運んでいたが、男の子が目を覚ましてびっくりした』と聞いた」という証言を得た。また別の元社員は「(工作船の中で)子どもは船酔いがひどかった」と供述しているという。これらの供述から、2人の子どもが拉致されたのは、74年5月から6月ごろにかけてとみられる。さらに、元社員や関係者の中には、「ほかにも30人ほどを拉致した」と知人に漏らしていた人物がいたことも判明。「在日朝鮮人が親族にいる日本国籍者を拉致するよう指示された」と話していた元社員がいることもわかった。』(読売4/6-2

 拉致・監禁の状況については、子供2人は都内の拠点4、5カ所を転々とさせられた後、北に拉致されたという報道(イザ!4/7)や、『拉致前に渡辺さんと子供が別々に監禁されていた疑いがある』という報道(時事4/7)、『同社関係者は警察当局の事情聴取に「車で子供2人を福井県に連れて行き、海岸から北朝鮮の工作船に乗せた」と供述。春ごろにも工作船を使った北朝鮮への移送を図ったが、海が荒れて断念し、結局は74年夏になったという。』という報道もある(時事4/5)。

『警察当局は2児の拉致を指示したとされる主犯格の女(59)が福井県小浜市の港を使い、工作船で北朝鮮と日本を往復していたとする情報もつかんでいる。渡辺さんが電話で伝えた「福井」とも一致し、2児は小浜市から運ばれた可能性もあるとしている。』(朝日4/8

 拉致を指示したとされる女性役員(59)は、74年4〜5月頃に他人名義の旅券で羽田空港から出国し、5月中旬に日本に戻って来ている。渡辺さんの子供2人について『「北朝鮮に連れ出す。具体的な日時などは、本国から後で連絡がある」などと配下の工作員に伝えた。その後、女は配下の数人とともに、本国からの指示をラジオの暗号放送で受けていたという。一方、翌6月中旬ごろ、監禁先から福井県小浜市の海岸まで2児を車で連れ出したのは、配下の工作員の男(54)と判明。また、それまで2児の世話役をしていた別の女(55)が、2人の子どもと一緒に工作船で北朝鮮に渡っていた疑いが強いことも』警察当局が当時の関係者から得た供述などから判明する。世話役の女は「北朝鮮に渡ってから、子どもの親と勘違いされた」などと話していたという。(読売4/12-1

 『役員の女の元夫はこの直後、2児を拉致するまでの状況について、複数の同社関係者に「睡眠薬を飲ませた剛ちゃんが(車で運ぶ途中に)目を覚ましたため、(車で連れ出した男は)驚いたらしい」「子供が船酔いして大変だったようだ」と打ち明けていたことが判明。役員の女も、2児が船酔いしたことなどを関係者に話していたという。』(読売4/12-2

 渡辺さんの子供2人、清津港に拉致される。『福井県小浜市の海岸から拉致されたが、工作船の接岸場所は53年7月に地村保志さん夫妻が拉致された場所から約5キロの地点と新たに判明。姉弟は49年6月中旬に拉致されたとされる。』(産経4/13毎日-福井4/14


1974年8月15日
文世光事件 - Wikipedia
→元大韓民国大統領・朴正煕の夫人、陸英修など2名が在日韓国人の文世光(ムン・セグァン)に射殺された事件である。この日は日本からの解放記念日である光復節の祝賀行事がソウルの国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席している時の出来事であった。(以上、Wikipediaから引用。)

『「ユニバーストレイディング」の当時の社員が、韓国・朴正煕大統領狙撃事件の後、北朝鮮本国からの指示として「あんな事件を起こせ」などと命じられていたことが、警察当局の調べでわかった。(中略)朴大統領の狙撃事件の実行犯は、日本人名義の旅券で韓国に密入国した在日韓国人の男で、韓国の公判記録などによると、狙撃を指示したのは、当時の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)幹部だった。また、実行犯は、この時の旅券を、朝鮮総連を介して受け取っていたことも判明している。』(読売4/7


1974年後半〜75年頃
『同社は78年ごろに活動を停止したが、警察当局がその後、活動停止前の社員などを調べた結果、社員の一人が、北朝鮮の工作機関からの指示として、「日本人と在日朝鮮人の間に生まれ、日本国籍を持つ若者らを集めて、北朝鮮に送り込め」と命じられていたことがわかった。命じたのは同社の役員をしていた女(59)とみられ、指示の時期は、韓国の朴大統領が狙撃された直後のだったという。命令を受けていた社員は当時、「あんな事件を起こせ」とも指示され、その後、知人に「(仲間とともに)30人ほどを北朝鮮に拉致した」と明かしていた。』(読売4/7


1977年
 渡辺さん母子の拉致・監禁を指示したとされる女性役員が日本国籍を取得。(朝日4/5-1
→本エントリー『貿易会社「ユニバーストレイディング」について』の項参照。


1977年9月19日
 東京都三鷹市役所で警備員をしていた久米裕さん(当時52歳)が、能登半島宇出津海岸から北朝鮮に拉致される。この宇出津事件は、政府が認定している最も古い北朝鮮による拉致事件である(2007年4月7日現在)。
電脳補完録:久米裕さん


1977年9月28日
ダッカ日航機ハイジャック事件 - Wikipedia


1977年11月15日
 横田めぐみさん(当時13歳)が新潟県内で拉致される。
電脳補完録:横田めぐみさん


1978年頃
 「ユニバーストレイディング」社、活動停止。(読売4/6-1

 「ユニバース・トレイディング」の社員である北朝鮮工作員の男性が、同社が解散する直前の1978年3月、日本を出国する前に、知人に「約30人を日本から北朝鮮に送り込んだ」と証言した。『また、別の同社関係者が「在日朝鮮人や近親の日本国籍の者を連れてくるよう北朝鮮から指示された」と話していたことも警察当局が把握している。』『在日朝鮮人やその近親の日本国籍者を北朝鮮に連れて行き、工作員として養成していたとみられるが、拉致された人物もいる可能性もあるとみて警察当局が調べている。』(毎日4/8


1978年6月頃
 田口八重子さん(当時22歳)が東京高田馬場のベビーホテルに3歳と1歳の子供を預けたまま拉致される。北朝鮮では李恩恵(リ・ウネ)という名前で、大韓航空機爆破事件の犯人・金賢姫(キム・ヒョンヒ)の日本人化教育係を勤めていた。
電脳補完録:田口八重子さん


1978年7月7日
 地村保志さん(当時23歳)、M本富貴惠さん(同23歳)が福井県内で拉致される。
電脳補完録:地村保志さん、浜本富貴恵さん


1978年7月31日
 蓮池薫さん(当時20歳)、奥土祐木子さん(同22歳)が新潟県内で拉致される。
電脳補完録:蓮池薫さん、奥土祐木子さん


1978年8月12日
 市川修一さん(当時23歳)、増元るみ子さん(同24歳)が鹿児島県内で、曽我ひとみさん(同19歳)、曽我ミヨシさん(同46歳)が新潟県内で拉致される。
電脳補完録:市川修一さん、増元るみ子さん
電脳補完録:曽我ひとみさん・曽我ミヨシさん


1979年5月
 特定失踪者問題調査会ニュースvol.484によれば、渡辺さん母子を拉致・監禁した『実行犯らは、昭和54年(1979年)5月6日、成田から出国した。』とのこと。(調査会ニュースvol.484

 指示役の女性役員が日本から出国。『女は、工作員グループの実質的な責任者で、79年5月に日本を出国したことが確認されていた。最近の捜査で女が北朝鮮に滞在していることが確認され、捜査本部をつくって本格捜査に大きくかじを切ることになった。』(毎日4/5

『最近まで北朝鮮で暮らしていることをうかがわせる手紙が国内の知人に届いており、警察当局では、生存している可能性が高いとみている。』(読売4/6-1

『同社の役員だった女(59)がリーダー格で、もう1人の女は監禁や拉致の過程で子供2人に付き添っていた「世話役」だった。世話役の女は工作船に同乗して2人を北朝鮮へ連れ去ったとみられるが、その後、再入国して生存していることが分かった。警察当局はこれまでに、「『自分が子供2人を北朝鮮に連れ去った』との告白を世話役の女から聞いた」とする貿易会社関係者らの証言を得ている。』(毎日4/7-2

 「よど号」犯・柴田泰弘が所持していた偽造旅券の名義人で、1970年代に北朝鮮に出国した在日朝鮮人(中尾晃)の兄『夫妻は、男性の出国後も国籍を抹消せず、実態のない住民登録をして男性が国内に居住しているように偽装。役員の女の指示で、メンバーに国籍を提供していた。メンバーは男性になりすまして旅券を入手し、3度にわたり出入国を繰り返した。男性はメンバーより2歳年上と年齢が近いため、偽装対象に選ばれたとみられる。妻は、今回の拉致事件でも2児の「世話役」として実行グループに加わっていたとされ、現在も日本国内に生存していることが分かっている。』(毎日4/11


1980年1月7日
 産経新聞が一面トップ記事でアベック3組蒸発事件を伝える。
電脳補完録:資料 「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」
電脳補完録:メモ 他のマスコミは黙殺、ほとんど話題にならなかった。


1980年5月頃
 松木薫さん(同26歳)、石岡亨さん(当時22歳)が欧州で拉致される。1988年、石岡さんから家族に宛てたポーランドの消印の手紙が届く。
電脳補完録:松木薫さん
電脳補完録:石岡亨さん


1980年6月中旬
 原敕晁さん(当時43歳)が北朝鮮工作員・辛光洙によって宮崎県内で拉致される。
電脳補完録:原敕晁さん
電脳補完録:資料 【工作員「辛光洙」】原敕晁さん拉致の全容


1983年7月頃
 有本恵子さん(当時23歳)が欧州で拉致される。2002年3月12日、東京地裁にて「よど号」犯・柴田泰弘の元妻・八尾恵が、有本さんを騙して北朝鮮に連れていったことを証言している。
電脳補完録:有本恵子さん


1983年10月9日
ラングーン事件 - Wikipedia


1984年9月
 渡辺さんの父、親夫(ちかお)さんが73歳で死去。(毎日4/5


1985年1月1日
 1984年の国籍法改正により、この日から父親又は母親が日本国民である場合には、出生により子供に日本国籍が与えられるようになる。それまでは、父親が日本国民の場合という要件によって、外国人男性と日本人女性の間に生まれた子供には日本籍は与えられていなかった。


1985年6月28日
 原敕晁さん拉致事件の主犯・辛光洙が韓国の国家安全企画部によって逮捕されたことが、夕刊各紙で報じられる。
電脳補完録:資料:辛光洙逮捕を報じる新聞記事(1985年)
電脳補完録:メモ:「辛光洙を逮捕」全容が明らかになるも報道の姿勢は?

 なお、国家安全企画部は、1961年6月に朴正煕政権が創設した韓国中央情報部(KCIA)を、1981年1月に全斗煥政権が再編したもの。1999年1月に金大中政権によって廃止され、大統領直属機関として国家情報院が新設されている。
韓国国家情報院 - Wikipedia


1987年11月29日
大韓航空機爆破事件 - Wikipedia


1988年5月以降
 東京都内に潜伏中の「よど号」ハイジャック犯・柴田泰弘が、旅券法違反容疑で兵庫県警に逮捕される。その際、「ユニバース・トレイディング」社の男性社員の弟(中尾晃55)名義の旅券を所持していた。(産経4/10

 これをきっかけに警察当局が「ユニバーストレイディング」社の実態解明に本格的に乗り出す。『さらに、グループの一人で2000年6月に逮捕された田中義三受刑者(今年1月に死亡)の親族も、同社に勤務していたことが判明。また、別のよど号メンバーと北朝鮮で結婚したとされる女性が、76年に消息を絶つ1年前までの約5年間、同社の事務所があったビルで警備員として働いていたこともわかった。』(読売4/5-2

→「別のよど号メンバーと北朝鮮で結婚したとされる女性」で「76年に消息を絶つ1年前までの約5年間、同社の事務所があったビルで警備員として働いていた」というのは、岡本武(当時24歳/京大/1988年死亡?)の妻・福留貴美子さんのこと。柴田泰弘、田中義三、岡本武。報道が確かならば、「ユニバース・トレイディング」社は「よど号」ハイジャック犯9人の内、実に3人と関連することになる。


1994年7月8日
 金日成、死去。→金日成 - Wikipedia


1995年5月
 石高健次氏が取材した拉致事件に関するドキュメンタリー番組『闇の波濤から 〜北朝鮮発・対南工作〜』が朝日放送で放映されるが、反響なし。


1996年8月7日
 朝日新聞が「妻は20年前失踪の高知県の女性/『よど号』事件 岡本容疑者」という記事を掲載する。この「高知県の女性」とは福留貴美子さんのこと。その2日後、東京新聞ほか各紙に「岡本夫妻、北朝鮮で死亡か?」という記事が掲載される。情報源は「よど号」グループ支援者といわれる。記事では、福留さんを岡本武の妻と認めた上で、1988年頃、2人が作業中の事故で死亡したと報じている。しかし、1980年代半ばに岡本武から日本に届いた手紙では「朝鮮で当地の女性と結婚し、幸せな生活を送っている。そっとしておいてほしい」と書かれており、自身の朝鮮名と妻の北朝鮮女性の名前も記されていたという。(aoi blog:AERA07/1/15


1996年8月22日
『田宮に代わるグループのリーダー、小西隆裕(こにしたかひろ)の手紙を携えた支援者が信子さん宅を訪れた。手紙は、「2人は80年代初め、グループと別に北朝鮮の工場か農場で働きたいと申し入れてきた。84年には別の招待所に移り、話し合いを続けたが、合意に至らなかった。86年夏、地方の農場に行くことになって子供2人を我々に預けたが、88年夏、土砂崩れで死亡したとの通知を北朝鮮側から受けた」などと説明し、訪朝を促していた。』(aoi blog:AERA07/1/15
→「よど号」ハイジャックグループのリーダー・田宮高麿は、1995年11月30日に平壌で病死している。小西隆裕はサブリーダー。
→信子さんとは、福留貴美子さんの母・福留信子さんのこと。2002年1月12日に高知県土佐山田町の病院で亡くなられる。
★☆救う会全国協議会ニュース★☆:福留貴美子さんのお母さん逝去
★☆救う会全国協議会ニュース★☆:福留信子さんの葬儀について


1997年2月3日
 産経新聞が一面トップで、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されていた可能性について実名報道を行なう。
電脳補完録:資料 衝撃的な初の実名報道

 この年の1月には、新潟で『北朝鮮に拉致された日本人を救出する会』が発足、蓮池さん等、実名公表を決める。国会では西村眞悟衆議院議員(当時新進党)が「北朝鮮工作組織による日本人誘拐・拉致に関する質問趣意書」を提出。3月25日には「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成され、4月15日には「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」(中山正輝会長)が設立される。5月1日には日本政府が「7件10人が北朝鮮に拉致された疑いが濃厚」と発表し、10月4日「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」が発足する。


1997年10月8日
 金正日が朝鮮労働党中央委員会総書記に就任。→金正日 - Wikipedia


1998年8月31日
 北朝鮮が日本に向けて弾道ミサイル「テポドン1号」を発射。


2000年6月27日
 「よど号」ハイジャック犯・田中義三がタイから日本へ移送され、逮捕される。2003年6月、田中に懲役12年の刑が確定する。田中はタイ・パタヤで北朝鮮製偽ドル使用容疑で逮捕・起訴されていたが、1999年6月に証拠不十分で無罪とされた。


2000年11日
 石高健次氏が「文藝春秋」2000年12月号に渡辺秀子さん母子の失踪に関する論文を発表。


2001年8月
 渡辺さんの母、ゆきよさんが86歳で死去。(毎日4/5


2002年3月12日
 東京地裁で開かれた赤木恵美子の旅券法違反事件の公判にて、八尾恵が検察側証人として出頭し、「私が有本恵子を騙して北朝鮮に連れていきました」と証言。八尾恵は「よど号」ハイジャック犯・柴田泰弘の元妻。


2002年9月17日
 小泉純一郎首相が北朝鮮の平壌を訪問し、金正日と会談する。
日朝首脳会談 - Wikipedia
首相官邸:日朝平壌宣言


2003年1月
 渡辺さんの親族が容疑者不詳のまま渡辺さん殺害と子供2人の国外移送目的拐取容疑で警視庁に告訴状を提出。(読売4/4

 特定失踪者問題調査会によれば、『告訴当時、母親の渡辺秀子については、「殺害された可能性が高い」という認識から、当該の告訴の対処とせず、調査会の0番リストにも掲載してこなかった。』とのこと。(調査会ニュースvol.484
→2007年3月22日のニュースで渡辺さんの0番台リスト入りが発表される。敬美ちゃん、剛ちゃんは1000番台。


2004年9月28日
 特定失踪者問題調査会・岡田和典常務理事(当時理事)が中心となって、兵庫県警に渡辺秀子さんに関する質問書を提出。


2004年10月29日
 渡辺秀子さんに関する質問書に兵庫県警が口頭で回答。(pdf:調査会ニュースvol.192


2006年11月14日
 「よど号」ハイジャック犯・岡本武と北朝鮮で結婚し、「事故死した」と伝えられている福留貴美子さんについて、「救う会・高知」(森田和博会長)は「何者かに北朝鮮に拉致された」として、容疑者不詳のまま国外移送目的略取容疑で高知県警に告発状を提出。

『同会は「ほかのよど号事件の妻と違い、思想的背景のなかった福留さんが拉致されたのは明白。北朝鮮で生きているとみられ、一刻も早く救出すべきだ」とし、政府に拉致被害者として認定するよう求めている。告発状によると、よど号グループと共謀した何者かが51年7月、福留さんをグループの妻にするためうその話で勧誘、日本から第三国を経由して北朝鮮に移送した―としている。』

 1996年、「よど号」ハイジャック犯のリーダー・田宮高麿の証言により、福留さんが北朝鮮で岡本容疑者と結婚し、2人の娘がいることが判明。『この直後、よど号グループが「岡本容疑者と福留さんは昭和63年、土砂崩れで死亡した」と手紙で福留さんの家族に告げた。福留さんの娘2人は16年までに帰国。警視庁は旅券法違反(無断渡航)容疑で福留さんの逮捕状を取っている。』(上記3段落は高知06/11/15から引用と要約)


2007年1月1日
 「よど号」ハイジャック犯・田中義三が千葉県内の病院で肝臓癌で死亡。


2007年3月22日
 特定失踪者問題調査会によれば、『その後、調査会として渡辺秀子の取り扱いについてご家族と協議した結果、ご家族から「殺害された可能性もあるが、その遺体も確認されておらず、拉致された可能性も含めて、探していきたい」との要請があり、今回0番台として発表することとした。』とのこと。(調査会ニュースvol.484


2007年4月4日
 渡辺秀子さん母子に関して『警視庁と兵庫県警は4日、近く国外移送目的略取容疑などで共同捜査本部を設置する方針を固めた。』(北海道4/4

 「ユニバーストレイディング」社の関係者が、「2人の子どもの扱いに困って北朝鮮に連れ去った」などと警察当局に拉致を認める供述をしていることが報じられる。(読売4/5-1

 同日夜、安倍晋三首相は渡辺さん母子失踪事件に関して首相官邸で記者団の質問に答えた。『警視庁などが北朝鮮による拉致事件として捜査本部を設置する方針を固めたことについて、「今捜査中なのでコメントは控えたい」とした上で、「私の内閣において拉致問題は徹底的に捜査をする。これは基本的な方針だ」と述べた。また、2人が朝鮮籍で、家族への情報提供などを政府に義務付けた拉致被害者支援法の認定対象にならないことに関しては「日本国籍であろうとなかろうと、日本の法律を破って子どもを連れ去る。これは絶対に許されない行為だ」と指摘した。ただ、同法改正の可能性については「コメントを控えたい」と語った。』(時事4/4


2007年4月12日
 拉致を指示したとされる女性役員の元夫が、当時、別の関係者に拉致の状況を詳細に打ち明けていたことが判明。渡辺さん母子の監禁から2児の拉致までに関与した者は、女性役員(59)と元夫(60)、福井県小浜市の海岸まで2児を車で連れ出した男(59)、2児の世話役の女(55)、母子の監禁役の男(53)の少なくとも5人。警視庁と兵庫県警は、監禁役の男を除く4人が拉致に関与したと断定し、高敬美ちゃんと高剛ちゃんを拉致被害者と正式に認定し、国外移送目的拐取容疑で共同捜査本部を設置。(読売4/12-2毎日4/12-1

 安倍晋三首相は12日夕、警察庁が渡辺秀子さん母子失跡事件で子供2人を北朝鮮による拉致被害者と認定、捜査本部を設置したことについて「私の政府の方針としては、拉致問題について徹底的な捜査を行っていくということだ」と強調した。官邸で記者団の質問に答えた。塩崎恭久官房長官はこれに先立つ記者会見で、「わが国の法を破って子どもを連れ去ったとすれば極めて遺憾だ。決して許されることではない」と北朝鮮を強く批判。2人の子供が朝鮮籍のため、拉致被害者支援法に基づく認定対象とならないことに関しては「認定の有無にかかわらず、政府として正面から取り組む」と強調し、真相究明に取り組む姿勢を示した。(産経4/12


2007年4月20日
 鳥海冏子さんが上京し、政府に渡辺さんの子供2人を拉致被害者として認定し、事件の真相究明を要望。家族会代表の横田滋さん(74)、早紀江さん(71)夫妻とも、初めて都内で面会。
 記者会見した鳥海さんは「姉の夫が工作員ということで、拉致被害者や家族に申し訳ない気持ちが消えなかった。横田さん夫妻から『いろんな事情があるのだから気にしないで一緒に頑張りましょう』と励まされ、胸のつかえが取れた気がする」と言葉を詰まらせた。(毎日4/20

 面会後の記者会見で鳥海さんは、「姉の夫が工作員で、すべての拉致被害者、家族に申し訳ない気持ちでいっぱいだった」と長年のつらい思いを語った。
 早紀江さんからは、「いろいろな事情がある。気にしないで」と励まされたといい、鳥海さんは「胸のつかえが取れた思い。これから、皆さまと頑張っていきたい」と、涙ながらに述べた。(読売4/20



2007年6月
 「よど号」ハイジャック犯の支援者の話によると、ハイジャックグループに1980年代後半に合流した男(52)が2007年6月に帰国するとのこと。この男は、ハイジャック犯・赤木志郎の妹の夫で、「小川淳」のペンネームでグループの機関誌などに寄稿している。『警視庁公安部は、帰国次第、旅券法違反(渡航制限)などの疑いで逮捕する方針。』(毎日4/10


貿易会社「ユニバーストレイディング」について

 1971年6月、在日本朝鮮人総連合会の金炳植(キム・ビョンシク)第一副議長(当時)によって設立。所在地は東京都品川区五反田。1978年、活動停止。在日朝鮮人や在日朝鮮人を親族に持つ日本人約30が社員として在籍。このうち北朝鮮の工作員は渡辺さんの夫を含めて10人程度とみられ、いずれも近くのアパートなどで集団生活をしていた。元社員は警察当局の事情聴取に対し、「北朝鮮に渡航してスパイ教育を受けた」などと供述している。(読売4/5-2

 『警察当局の事情聴取に対し、複数の元社員が工作活動への関与を認めた上で、北朝鮮へ渡り、スパイになるための教育を受けたことを認めた。同社側は地方の大学などを卒業した優秀な在日朝鮮人らを集め、工作員に仕立てていたほか、工作員らは同社近くで集団生活をしていたという。』(時事4/6


『登記簿によるとユニバース社の主な事業は金属、機械などの輸出入や販売で、人材派遣会社などから募った社員約20人が通常の営業活動をしていた。一方、同社では役員の女を含む約10人の北朝鮮工作員が活動。日常的に自衛隊や在日米軍の情報収集などをしていた。工作員グループは共同で生活し、他の社員と区別して「ドミトルグループ」と呼ばれていた。』(毎日4/7-2

『同社は、表向きは20人前後の社員が、中国相手に鉱石や羊毛、肥料などの輸出入を行っていたが、北朝鮮の工作員も社員として10人ほど在籍。渡辺さんの夫は、第1副議長の腹心で、工作員のリーダー的な役割を担っていた。』(読売4/10


 「よど号」グループのメンバーである田中義三の親族も勤務。別のよど号メンバーと北朝鮮で結婚したとされる女性が、76年に消息を絶つ1年前までの約5年間、同社の事務所があったビルで警備員として働いていたこともわかった。(読売4/5-2

『同社には、よど号メンバーを支援した男性も社員として在籍していた。この男性社員の妹は北朝鮮に渡り、今年1月に死亡したメンバーの田中義三受刑者の妻となった。76年に失跡し、北朝鮮で別のよど号メンバーと結婚したとされる高知県出身の女性(失跡当時24)も、一時期、同社が入っていたビルで警備員をしていたという。』(朝日4/6


 母子の監禁から2児の拉致まで、少なくとも同社関係者5人が関与していたと見られる。女性役員(指示役)、女性社員(2児の世話係)、渡辺さん殺害の実行犯とされる男性社員、その他の男性社員2人の計5人(読売4/6-1)。指示役の女性工作員(59)は日本名「木下陽子」を名乗り、同社の役員を務めていた。『警察当局は、女については日本の知人らに最近連絡があり、北で生存中と判断され、国外滞在中は除かれる公訴時効(7年)は成立しないとみている。各種捜査で、朝鮮労働党の特殊機関「統一戦線部」所属で、朝鮮名「洪寿恵」で生活しているとみられる。一方、移送役の女は現在、都内に居住。時効は成立しているとみられるが、捜査本部は事情を聴く。』(産経4/13

 3人の男性の内一人は日本国籍を有しており、指示役の女性役員は、この男性と結婚。自身も日本国籍を有しているとのこと。逮捕状を取れば、拉致事件では初めての日本国籍の容疑者となる。また、指示役の女性役員はこの1年以内に、北朝鮮から日本国内の友人や親族に手紙や電話で連絡をしていたことが警察当局の調べで判明している。(イザ!4/6

 
 この女性役員が事件前に本国の指示を仰いでいたことや配下の工作員に対して「組織の秘密を守るためには手段は選ぶことはない」と命じていたことも「ユニバース・トレイディング」社関係者の証言により判明。(イザ!4/7

 指示役の女性役員が本件犯行後、別の日本人女性に成り済まして旅券を取得していたとの報道もある。『在日コリアンとして日本で生まれた女工作員は、不審がられず自由に出入国して工作活動ができるよう日本人女性に成り済ましていたとみられ、警察当局は旅券入手の経緯を詳しく調べている。』(東京4/9


 「ユニバース・トレイディング」社の女性役員(59)が男性社員に『よど号ハイジャック犯ら本国の工作員の偽造旅券用に「(社員の)弟の戸籍を用意するよう」と指示していたことが、警察当局の調べで分かった。この戸籍を使って、実際によど号メンバーの一人(53)が日本に極秘帰国した。女らが社員の弟に成りすますために必要な個人情報を本国の工作機関に提供したとみられることも判明。警察当局は、女の工作活動の解明を急ぐ。』(産経4/10

 渡辺さん母子の監禁から2児の拉致までに関与した者は、女性役員(59)と元夫(60)、福井県小浜市の海岸まで2児を車で連れ出した男(59)、2児の世話役の女(55)、母子の監禁役の男(53)の少なくとも5人で、この内、監禁役の男を除く4人が拉致に関与したと、警視庁と兵庫県警が断定。(読売4/12-2


 警視庁公安部の調べによれば、「ユニバース・トレイディング」社の複数の関係者が自衛隊幹部との接触を認めとのこと。「自衛隊幹部を欧州に連れだして、本国の工作員と面会させた」「来日した工作員と密会してもらうために、自衛隊幹部を待ち合わせ場所に連れて行った」「北海道内の駐屯地の幹部を引き合わせた」「工作員が自衛隊幹部に現金を渡すこともあった」などと供述している。密会相手の大半は、高大基氏が「協力者」として接触していた複数の自衛隊幹部だったとみられる。警視庁公安部は『北朝鮮が工作員組織を介して自衛隊から機密情報を収集していた疑いが強いと判断、組織の実態解明に全力を挙げる。』(読売4/13-1

 東京都品川区の貿易会社「ユニバース・トレイディング」に社員として在籍していた工作員の多くが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の当時の関係者から「就職先を世話する」などと勧誘され、高校・大学卒業直後に同社社員として採用されている。社員になる前に総連関連施設で教育を受けた工作員がいたことも判明している。在日朝鮮人を親族に持つ都内在住の男(58)は『九州の大学に在学中、朝鮮総連の関係者を名乗る人物から「就職先について話がある。(総連の)幹部が会いたがっている」などと連絡を受け』、待ち合わせ場所で高大基氏から『「会社を設立するので働かないか」と持ちかけられて同社に入社した』という。『朝鮮高級学校の卒業生の男女数人も卒業直前、「就職先についての説明がある」と朝鮮総連に呼び出されて面接を受け、総連関連の教育施設に数か月間通った後、同社に配属されていた。この中にも工作員になった卒業生がいたという。』
 渡辺さんの子供2人の『世話役として工作船で北朝鮮に連れ去った女(55)は、学生時代、朝鮮総連と関連の深い学生団体の活動を通じて、2児の拉致を指示した同社役員の女(59)と知り合い、同社に入社するよう誘われていた。これらの工作員のうち数人は、同社が正式に設立される数か月前の71年春、都内のホテルで開かれた設立パーティーに社員として出席。その場で、朝鮮総連のナンバー2で同社を設立した当時の総連第1副議長から「祖国のために頑張ってくれ」と激励を受けたという。公安部では、こうした状況から、総連本体が、10代後半から20代前半の若い男女を工作員組織に引き入れるため積極的に協力した可能性もあるとみている。』(読売4/13-2


『警察幹部は「ユニ社は本国の指示で対韓国へのテロも画策していた。在日のうち、両親のどちらかが日本人で、日本国籍を取得できる者が集められた」と指摘する。日本人に成りすますことで、自由に海外に渡航でき、工作活動が発覚した場合には「日本人の犯行」と装えるメリットがあった。北本国は、日韓を中心とした西側の連携分断につながり、ひいては、朝鮮半島の共産主義化による統一につながると考えていた。そのために、ユニ社の工作員は本国で軍事訓練を受けたり、日本国籍を持つ在日朝鮮人らを北に送り込み、スパイ教育を受けさせたとされる。「三十数人を北に拉致した」との工作員証言も既に判明している。』(産経4/13

 1979年5月に北朝鮮に出国した「ユニバース・トレイディング」社の女性役員・洪寿恵(日本名・木下陽子)から、日本の知人に対して「300万円を送金してくれ。そうでないと、刑務所に入れられてしまう」と連絡があり、その際、振込先としてマカオにある銀行「バンコ・デルタ・アジア」の口座を指定していたことが判明。『この口座は、北朝鮮の偽ドル札や覚せい剤取引のマネーロンダリングに利用されている疑いがあるとして、アメリカが金融制裁で凍結していた口座の1つ』(ANN4/13

 その後の高大基さんの消息については「北朝鮮に戻った後、80年代後半には、統一戦線部の幹部になっていた」などと関係者が警察当局に供述している。統一戦線部は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を指導する工作機関。『第1副議長もその後の消息は不明だったが、93年になって、金日成主席(当時)に次ぐ「国家副主席」に就任。99年に死去するまで政権中枢のポストに処遇された。警察当局は、第1副議長や渡辺さんの夫は、総連内部の対立から本国に召還されたものの、日本での工作活動の実績が認められたため厚遇されたとみており、同社設立の過程にも、統一戦線部が関与した疑いがあるとみている。』(読売4/17


(2007年03月19日)aoi blog:拉致問題で新事実 福留さんに北との接点 ('07 3-12 AERAより)
 福留さんは70年に高知の高校を卒業し、大手警備会社に入社。大阪の万博会場で勤務した後、関東に異動し、都内の企業などに派遣される。73年に退社するまでの一時期、勤務していたのが五反田駅近くにあるテナントビル、TOCだった。70年2月に竣工(当時は「東京卸売りセンター」)、100以上の店舗や会社が入居している。

対日、軍事情報を収集

 福留さんが勤務していた当時のTOCには貿易会社「ユニバース・トレイディング」(以下、ユニバース社)が入居していた。この会社こそ「北朝鮮の対日工作の裏拠点」(関係筋)といわれ、知る人ぞ知る存在なのだ。

 資料や関係筋によると、71年6月設立の同社は、表向きは日本人を社長にたて、鉄鉱石、木材、食料などの輸出や不動産仲介などを業務にしていた。が、実際に会社を立ち上げて支配したのは、当時、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)第一副議長として飛ぶ鳥落とす勢いだった金炳植(キム・ビョンシク)氏だった。北朝鮮直結の要員がここを隠れ蓑に対日・対韓工作や在日米軍・自衛隊の情報収集をしていたという。
posted by sok at 20:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本人拉致事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 4日の報道以降、情報待ちとエントリー用の整理で遅れている間に、尊敬する二つのサイトで厳しい叱責がありました。自戒として両サイトからその部分を引用します。


(2007年04月07日)ぼやきくっくり:政府は拉致された姉弟を速やかに認定すべし
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid271.html
>【追記4/7 3:50】この事件を取り上げているよそのブログさんへトラックバックを送信しようと思ったんですが、何とほとんどと言ってよいほど見当たりません。「出遅れてしまった」と思ってたのに……私、実は全然出遅れてないの?!(T^T)
 サヨク系のブログが無視するのはわかるんですが、保守系ブログがなぜ取り上げないんでしょう?総連とのつながりがこれほどはっきりしてる拉致事件も珍しいのに。皆さんもう拉致問題そのものに興味がなくなってしまってるんでしょうか?それともやはりこの姉弟が朝鮮籍だから?
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(2007年04月07日)あんた何様?日記:ナゾの貿易会社「ユニバーストレイディング」
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20070407
>にしても、関心が薄いというのは同感です。当HPの掲示板でも、この件が報じられた4日からスレッドを立ててますが、朝鮮総連が大きくかかわり、子供が拉致されたというのに、返ってきたレスが1件だけという反応の無さ加減に愕然としました。罪もない日本人の女性が殺害され、国籍どうこうに拘らず、日本からまだ何も分からぬような年齢の子供までもが拉致されたというのに・・・。
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 なお、本エントリーの冒頭で、日本籍・朝鮮籍と挙げているのは、国籍によって「この人は救え、この人は救わなくていい」という意味ではありません。我が国で生じた拉致という国家犯罪は、被害者の国籍を問わず追及すべきであり、朝鮮籍の者もまた拉致の被害者になっているということを明示するために記しました。

 一方の保護者である高大基さんが失踪した後は、二児の保護責任者は渡辺秀子さんであり、二児のそばにいる保護責任者が父親でもない者によって拉致・監禁され、挙句、殺害された後に、結果として父親のいる北朝鮮の元に届けられたとしても、それは「父親の元に帰った」とはならないでしょう。仮に、北朝鮮当局がそのようなことを言い、大人になった二児にそのように言わせたとしても、かの国にいる限り、個々の拉致被害者は真実を語れません。
Posted by sok at 2007年04月08日 02:40
 くっくりさんのコメント欄でのやりとりから気付いたこと等、以下に書きます。


(2007年04月05日)毎日:北朝鮮拉致:貿易会社隠れみの 社員10人は工作員
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070405k0000m040165000c.html
>『渡辺さんは73年夏に長女敬美(きよみ)ちゃん(当時6歳)と長男剛(つよし)ちゃん(同3歳)連れて帰省した際、両親に対し、「夫から『家を建てて両親と暮らしなさい』と1200万円の小切手を渡された」


(1)夫の高大基さんにしても自身のスパイとしての使命から多くのことは妻子には語らなかったでしょうし、けれど残された3人のことは気にしていたのだと思います。私は日本での北朝鮮によるスパイ活動を是としませんが(当たり前ですが)、高大基さんも彼なりに妻思いであったのだろうと思います。しかし、イザ!4/7付の記事にもあるように後継の女性役員は「組織の秘密を守るためには手段は選ぶことはない」と部下に命じて、今回の悲劇へと至ります。そう考えると、北朝鮮という犯罪国家に人生を振り回された一家といえます。


(2)渡辺秀子さんが妹の鳥海冏子に対して「夫がスパイ」と打ち明けていたことから、拉致されても仕方ないという見方がネット上に散見されますが、上記の毎日4/5付の記事によれば、鳥海さんは姉から『数年後、「夫がスパイ」と打ち明けられた』とあります。ここでいう「数年後」とは、結婚から数年後ということでしょう。結婚当時において渡辺さんが、夫が北朝鮮のスパイであることを知っていたのかは、現在までの報道では解りません。

 仮に、結婚前あるいは結婚直後に夫がスパイであると知ったとしても、長女は失踪当時(1973年12月)6歳ですから、最初の出産は結婚(1966年)前後であり、妊娠は1965年初頭から1966年の間。相手がスパイであっても我が子のことを考えれば、渡辺さんの方から別れるという訳にはいかなかったとも考えられます。夫の失踪後に、夫がスパイであると知りながら、その勤め先周辺に捜索に行っていることから考えても、家庭や家族を特に大事にする人だったのではないかと思います。

 また、1966年から1973年の時点で、他国のスパイの脅威や危険性を日本の庶民がどれほど意識していたか、です。2002年9月17日以降の日本に生きる我々の感覚で論じて良いものか、と思います。スパイと結婚したことを安易に自業自得で片付けるべきではないと考えます。


(3)渡辺秀子さん母子のことを一先ず措いたとしても、「ユニバーストレイディング」社の関係者の証言によれば、他に30人ほどを拉致したとあります。政府認定の拉致被害者で最も古い時期に拉致されたのは1977年9月19日の宇出津事件の被害者である久米裕さんです。今回の関係者証言が事実であれば、政府が認定している最古の拉致事件よりも以前から、北朝鮮による拉致が実行されていたことになります。

 さらに、「ユニバーストレイディング」社が入居していたTOC(当時の東京卸売りセンター)には、大手警備会社から福留貴美子さんが派遣されており、福留事件の究明にも関わります。


首相官邸:政府認定17名に係る事案
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/rati/nintei.html
電脳補完録:北朝鮮拉致事件関連年表
http://nyt.trycomp.com/nenpyo.html

※最初のコメントは8日0:06に、本コメントは2:49に投稿したものを誤字脱字を訂正の上、再投稿しました。
Posted by sok at 2007年04月08日 10:48
sok様 この記事を拝見してようやく
頭の中にこんがらがった糸がほぐれた感じです。
当初の報道は刺激的なことを避ける意図なのか、渡辺さん本人の殺害については明言を避けていたように思います。(もちろん私がTV等にかじりついてみていた訳ではないのであくまで印象です。)
渡辺さんの妹が「殺されたと聞いた」拉致されたと聞いた」という事のみで、ではこういう情報があるのに何故警察は動かなかったのか、と疑問だらけでした。
正直理解できないのは自分の理解力に問題があるのかと思ってもみましたが、旦那も「訳がわからない」と首をひねっていましたので
こういう人間も多かったのではと感じます。

2人のお子さんの国籍等の問題による拉致認定等は専門家でもないのでよくわかりませんが、国内での北朝鮮の犯罪事件というくくりでは間違いないでしょうから(外国人同士による拉致と思えば金大中事件と構図的には似ているのかな?)ぜひ政府には捜査を進めていただきたいです。
くっくり様のおっしゃるとおり
お子さんには全く罪は無いのですから。
Posted by ぽんきち at 2007年04月09日 10:31
 ぽんきち様、コメントありがとうございます。

 国籍に関しては、1985年1月1日から改正国籍法が施行され、それまでは父親が日本籍の場合でしか認められなかった子供の日本籍取得が、父親または母親が日本籍の場合にも取得できるようになったようです(日記にも他の事項と併せて加筆しました)。本件は国籍法改正前、1973年暮から1974年夏頃の出来事です。そのまま平穏に暮らしていれば、子供たちは日本籍の取得も可能であったことを考えると、国籍にかかわらず追及すべきであると考えます。また、少しでも多く情報を得ることが拉致被害者救出に繋がるので、新情報を得るという観点からも本件は重要です。さらに、宇出津事件(1977年9月)以前の北朝鮮による我が国へのスパイ活動の実態を調査し、特定失踪者問題・拉致問題の全容を解明するためには、「よど号」ハイジャック犯との繋がり深いユニバース・トレーディング社への追及は重要であると考えます。

 初期報道に関して、『檀君 WHO's WHO』さんで手に入る番組のみ、少しずつテキスト起こししていこうと思っています。一先ず、今月4日の4番組分はupしました。機会があれば御覧下さい。テキスト起こしをしてみて印象的だったのは、報道ステーションが渡辺秀子さん母子失踪とルーマニア人のドイナ・ブンベアさん失踪に関して、11分45分も報じていたことです。これは同日の4番組の中では最も長い時間でした。日頃、報道ステーションには期待していなかったので、当日も見ていなかったのですが、侮っていました。ただ、『電脳補完録』さんのエントリーを読んでみると、それでも2003年に鳥海冏子さんが刑事告発した際の報道の域を越えてはいなかったようですが。『電脳補完録』さんのエントリーと『aoi blog』さんのAERA2007年1月15日号記事は、本件の理解に役立つと思うので併せてリンクしておきます。

(2007年04月10日)電脳補完録:よど号犯問題まで踏み込んで解明を
http://nyt.trycomp.com/modules/news/article.php?storyid=6235
(2007年02月20日)aoi blog:もう一つの拉致 福留事件の30年 〜「よど号犯」の妻になった24歳〜('07 1-15 AERAより)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/34173424.html
(2007年03月10日)aoi blog:よど号グループと北朝鮮 福留貴美子さんの軌跡('07 1-15 AERAより)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/35614172.html
Posted by sok at 2007年04月10日 21:59
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