2006年12月03日

中国残留孤児訴訟

 今月1日、中国残留孤児兵庫訴訟の判決が出た。その感想について書く。


News for the People in Japan:判決要旨

(2006年12月01日)朝日:勝訴の原告団が会見、「感動している」 残留孤児訴訟
(2006年12月01日)毎日:中国残留孤児訴訟:兵庫訴訟・原告勝訴 「やっと日本人に」切実な願い結実
(2006年12月01日)読売:中国残留孤児訴訟、国に賠償命令…神戸地裁判決
(2006年12月01日)産経:残留孤児訴訟で「支援怠った」と国に賠償命令 神戸地裁
(2006年12月01日)東京:孤児ら「控訴せず協議を」 勝訴受け厚労省に申し入れ
(2006年12月01日)神戸:「拉致と比較されても」厚労省に戸惑い
(2006年12月02日)毎日:中国残留孤児訴訟:兵庫訴訟・原告勝訴 「控訴しないで」 国に申し入れ


 妥当な判決、むしろ、遅過ぎたぐらいだと思う。敗戦によって親と離れ離れになって、敵地に取り残され、帰国事業も遅れ、入国に際しては留守家族の身元保証を要求され、帰国後は自立支援策が1年間に限られるという様々な国家の不作為の下で、彼らが日本社会で暮らすには多大な困難があったことだろう。今回の判決は画期的な内容だが、請求額の満額は認められず、約5分の1の額とされた方もいる。それでも、原告側は国側に控訴せずに確定判決となるように求めている。彼らが過大な要求をしているとは思えない。これまでの我が国の在外同胞に対する姿勢は、あまりに冷淡であった。今回、除斥期間を過ぎて請求棄却された方々、大阪地裁判決で棄却された方々に対しても、立法措置によって救済の道が開かれるべきではないだろうか。

 この件につき、一部の反・反日系ブロガー、コメンターの論調には見過ごせないものがあったので、幾つかの事例を以下に紹介しておく。


1.損害賠償請求という手段が気に入らない。

2.国側に控訴を行わないように求めるのは妥当ではない。

3.当時は帰国事業が始まってから日も浅く、作業処理手順等が確立されていなかった。

4.中国残留孤児に紛れて不法に入国する者が出てくる。

5.2世や3世や沢山の親族を連れてくるから判断は慎重にすべき。

6.左派が支援しているから信用できない。

7.元はといえばソ連軍が日ソ中立条約を破棄して満州および朝鮮北部に侵攻し、軍人・軍属をシベリアに連行・抑留した結果、中国残留孤児問題が発生したのであるから、責任はソ連の後継国家たるロシア政府に対して追及すべきであり、日本政府を追及すべきではない。(追記:2006年12月5日/12月13日)

8.戦前と戦後、戦時の出来事である中国残留孤児問題と平時の出来事である拉致問題を混同している。(項目追加:2006年12月5日/本文に転載:12月6日)


1.損害賠償請求という手段が気に入らない。

 このような主張をする方に問いたい。では、元中国残留孤児の方々は損害賠償請求以外の如何なる手段によって、政府の不作為を正すべきと考えるのか。我が国は三権が分立し、司法には行政の不備をチェックする機能がある。裁判所はその機能を果たしているし、原告は適正な手続きに則って、権利行使している。これを批判するならば、それに代わる手段を提示すべきである。


2.国側に控訴を行わないように求めるのは妥当ではない。

 原告が控訴を望まないのは、高齢ゆえ当然のことであり、国側が控訴することは、いたずらに訴訟を長引かせることになる。仮に、高裁や最高裁まで争われた結果、原告側が勝訴することになっても、その間に元孤児の方々の死亡や更なる高齢化が進むことにより、彼らが受け取るべき正当な金員は実質的に減額されることになる。他方で、彼らの労苦は募るばかりである。そうであれば原告が国に控訴を断念するように求めるのは当然のことである。最終的に控訴するか否かは国が判断することであり、原告の求めに強制力はないのだから、この求め自体を不当という理由もない。


3.当時は帰国事業が始まってから日も浅く、作業処理手順等が確立されていなかった。

 日が浅いというのはいつからいつまでを指すのか不明であるが、これは無能を理由に義務を免れようという主張といえよう。本人確認は事務レベルの問題であり、中国残留孤児(在外同胞と書けば想像力が追いつくだろうか)の早期帰国や帰国後の自立支援策は政策レベルの問題である。このような事例において、事務レベルの不備を理由に政策レベルの不備を許すなら、国家の怠慢は何でもありになる。それは怠けた者勝ちの世界である。こういう主張をするならば、以後二度と役人の怠慢を糾弾するのはやめた方がいい。勿論、日本語教育や職業訓練、就職支援といった自立支援策の拡充は、当時においても不可能というものではない。


4.中国残留孤児に紛れて不法に入国する者が出てくる。

 このような批判を原告に向ける場合、中国残留孤児という同胞を保護・支援するメリット(保護と支援に消極的であることによるデメリット)と在外同胞を見捨てた場合のデメリットを比較すべきである。また、外国人の不法入国ルートについては、中国残留孤児やその家族を装うルート以外にも存在するのだから、この帰国事業ルートだけを殊更疑うのは公平性に欠ける。不法入国者の摘発は入国後でも可能であるが、支援の遅延は国家の不作為期間を無用に延ばすことになり、原告に更なる労苦を負わせることになる。多少のリスクを犯してでも孤児達を救うのが、これまでの日本国と日本国民の怠慢から考えても妥当であり、事務レベルの不備は事務レベルの改善で減らすべき事柄である。


5.2世や3世や沢山の親族を連れてくるから判断は慎重にすべき。

 これについては、拉致被害者の件を考えれば分かり易い。仮に、横田めぐみさんを1世と見た時、キム・ヘギョンさんは2世である。もし、北朝鮮当局がヘギョンさんと誰かを結婚させ、二人の間に子供が生まれた場合、その子供は3世にあたる。2世や3世であること、親戚を沢山連れてくることを理由に、めぐみさんの夫やヘギョンさんの夫、3世に当たるめぐみさんの孫に対して、日本での永住や自立支援を認めないとすると、日本政府は救出活動(中国残留孤児問題では帰国事業)を長年放置した上、世代を跨ぐ問題になったことを理由に、帰国した被害者から家族・親族を引き裂く政策を採るということになる。そのような不正義に陥らないためには、少なくとも配偶者と直系卑属に関しては、日本で暮らすことを認めるべきではないか。


6.左派が支援しているから信用できない。

 このような主張をする以上は、右派が積極的に元孤児達の生活を支援すべきである。支援もせずに「損害賠償請求するな」とか「国に対して控訴断念を求めるな」とか「現に帰国できたんだから満足しろ」とか、そういうことを言っているから原告が左派に取り込まれるのである。左派による政治利用を恐れるのであれば、右派が積極的に支援すればよいだけのことである。支援が実を結べば、その実績により名声を挙げるのは当然である。孤児の側にしてみれば、支援が得られるという事実こそ重要であり、支援の主体が右派であるか左派であるかは重要ではない。


7.元はといえばソ連軍が日ソ中立条約を破棄して満州および朝鮮北部に侵攻し、軍人・軍属をシベリアに連行・抑留した結果、中国残留孤児問題が発生したのであるから、責任はソ連の後継国家たるロシア政府に対して追及すべきであり、日本政府を追及すべきではない。

 これについては反論する気も起きないが、文中の「ソ連」を「北朝鮮」に、「連行・抑留」を「拉致」に、「中国残留孤児」を「拉致被害者」に置き換えることで、その根底にある思想が透けてみえる。一部の反・反日系ブロガーやコメンターの主張は、2004年5月22日の拉致被害者家族バッシングと同根である。

 どうも批判者の中には戦前の事情と戦後の事情を意図的に混同して(いるとしか思えない言い分である)、歴史認識問題に摩り替えようとしている節がある。よって、この点に関して、次項と併せてコメント欄にて反論しておく。(2006年12月5日追記)

 この項への反発を幾つか見たので、何故この項を加えたのかについて補足しておく。本項は見ての通り、他の項よりも長文である。これは下記blogの主張を要約したので、このような長文になった。そのblogでの主張は、私の取っている保守系MLでも取り上げられた。朝日新聞や毎日新聞の社説に較べて、まるでこちらが正論であるかのような紹介のされ方だった。その後、同種の発言をするコメンターを巡回先等で幾つか見たので、本項を作成して批判を試みることにした。本項における置き換えが不当であるというのであれば、下記blogにおける主張の妥当性と比較してみれば良い。(2006年12月13日追記)

(2006年12月01日)斎藤勉のウオツカ酔夢譚より:中国残留孤児「国に責任」判決に「?」


【2006年12月5日追記】

8.戦前と戦後、戦時の出来事である中国残留孤児問題と平時の出来事である拉致問題を混同している。

 この点にこだわっている人達を本コメント欄と他所で数人見かけたので、コメント欄で反論しておく。(6日追記:コメント欄での反論を本文に転載する)
 1.中国残留孤児問題は戦時被害であり、国家無答責の原則が適用される。
 2.中国残留孤児だけを特別扱いする事は公平性に欠ける。
 3.中国残留孤児問題は戦時の出来事であり、拉致問題は平時の出来事である。


 第1の点について。本件の主たる争点は、日中国交正常化後における日本政府の中国残留孤児に対する(1)帰国制限措置の妥当性(2)早期帰国支援義務懈怠の有無(3)自立支援義務懈怠の有無、この三点です。日中国交正常化「後」の行政の制限措置や義務違反が問われているのであり、大日本帝国憲法の国家無答責の原則は適用されません。

 中国残留孤児問題は、その引き上げ時期により前期集団引き揚げ(1946〜49年)、後期集団引き揚げ(1953〜58年)、個人単位での帰国(1958〜80年)、大規模帰国(1981年以降)に大別されます。このうち、本訴訟で問題になっているのは日中国交正常化(1972年9月29日)以降の帰国者です。しかも、現に請求が認められているのは、除斥期間の壁に阻まれていない原告のみです。中国残留孤児問題と一括りにした上で、戦時被害だと主張するのは単純化が過ぎます。

 また、“中国残留孤児の帰国事業における行政の制限措置や義務違反の問題”と“中国残留孤児発生の歴史的経緯の問題”は異なります。この点を混同して批判されている時点で、本訴訟の論点を理解されていないと看做されても仕方ありません。


 第2の点について。中国残留孤児だけが特別扱いされているという根拠がありません。戦争による被害は国民が等しく受忍しなければならないという点では、原告もまた受忍しています。戦時における各種の供出や逃避行による財産の散逸等に関しては、彼らもその損害を等しく受忍しています。

 本訴訟において原告が求めているのは、「その上、さらに」という点です。日中国交正常化後、他の日本国民よりも不当に過酷な境遇にあったことに対する補償です。この点で、中国残留孤児だけが特別扱いされていて法的公平性に失するという主張は、原告の受けた損害を不当に過少評価するものです。公平性を説くのであれば、上乗せ部分の損害に関して精査されたのでしょうか。


 第3の点について。本訴訟における中国残留孤児の訴えが戦時被害に関するものでないことは上述しました。この観点と対比させるならば、拉致問題についても発生時が平時か戦時かという観点ではなく、帰国後の自立支援策という観点からの比較になります。工作員による拉致についての不法行為責任は北朝鮮(または今後の事情によっては後継政府)に要求するとしても、日本側の事情により不当に帰国が遅れたり、帰国後の自立支援策に不備があったりすれば、その点は日本政府に責任が発生するのは当然のことです。

 中国残留孤児問題に関して、その発生原因はソ連軍の侵攻であり、中国が帰国事業を阻んだと主張する人達もいますが、この論調を拉致問題にも当て嵌めるならば、拉致問題の発生原因は北朝鮮工作員による拉致であり、救出活動は中国・韓国・ロシアが阻んだということになるでしょう。そして、問われているのが帰国後の日本政府による自立支援策であるにもかかわらず、発生原因から党派的に立論している人達ならば、拉致問題においても「現に帰国できたのだから政府に感謝しろ」と主張することは目に見えています。現に2004年5月22日に、そのような家族会バッシングが起こりました。

 発生原因という視点でしか論じられない人達には、帰国後の行政支援策までは関心が持続せず、想像力が及ばないのかもしれませんが、中国残留時には子供であり、長らく親・兄弟と離れ離れで異国、しかもそれまで交戦していた土地に取り残され、親からも政府からも日本語教育や職業訓練が受けられなかった人達が、日本に帰国して1年という猶予によって他の日本人と同等の日本語能力や職業技術を身につけ、労働市場で他の日本人と対等に競争できるでしょうか。公平性を説くのであれば、競争結果ではなく、競争機会の公平・平等を図ることが公平性を失するか否かという観点から検討すべきだと思います。

中国残留孤児訴訟判決を取り上げている日記リンク
(2006年12月02日)江草 乗の言いたい放題:わたしたちは日本に見捨てられました
(2006年12月03日)あんた何様?日記:中国残留孤児訴訟判決後に思ったこと。
(2006年12月05日)酔っ払いのうわごと:残留孤児訴訟―色いろなブログを読んで
posted by sok at 06:30| Comment(6) | TrackBack(0) | 憲法・裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
ネットの普及で日本は自虐的歴史観から開放されつつあると思いますが、
これに乗じる形で過激な論調が幅をきかせ始めている気もしますね。

もっと冷静に、冷徹に。
sokさんのように第三者的な視点をもってこれらの問題に取り組まないと、
新たな火種を生むことになりかねないと思います。
Posted by れいれい at 2006年12月03日 16:28
ご無沙汰しております。

今日も相変わらず素晴らしいエントリーですね。
仰ることのすべてに同意します。

私が取り組んでいる拉致被害者救出運動でも、自虐史観からの解放の反動で過剰に振り切れた思考回路に陥っている、と思われる「にわか右翼」「にわか保守」とでも形容すべき人たちが少なからず存在します。

本来被害者を救うはずのこの運動が、いつの間にやら目指すべき方向がずれて、時に「朝日新聞排斥運動」「NHK糾弾運動」「打倒小泉運動」「朝鮮半島バッシング運動」「在日バッシング運動」・・・などにすり替わっていたりするんですね。
曰く「朝日やNHKを批判しない者は支援者ではない」「小泉打倒を言わない者は支援者ではない」・・・などなど。
思えばこの救出運動に関わって以降、その手の不毛な議論にこれまでどれだけ振り回されてきたことか。

確かに戦後の日本社会のゆがみを正すためには、マスコミや政治など問題のある組織や個人を批判する事は必要なのですが、時々批判のそれが行き過ぎて、あるいは主客転倒となるあまり、『自分の主張と相容れない存在を批判すること』その物が目的へとすり替わってしまう人がいるのは残念なことです。
健全な批判と単なる罵倒は全然別物だと思うんですけれどもね。

物事は常に是々非々で考えるべきでありましょう。
その意味で自虐史観から目覚めたばかりの「にわか右翼」「にわか保守」の人たちにとっては、まだまだ冷静で客観的な視線・視野を持つレベルまで、それぞれの思考の程が成熟しきっていないのかもしれませんね。
もっともこういうふうに「偉そうな」事を書きますと、そちら方面の方々から手痛い「批判のための批判」を頂戴することになるのかもしれませんが。(苦笑)

そういう人たちのお相手をするのが最近は疲れたと言うかひどく面倒になって、近頃は自分のBlogでは集会テキスト以外の自分の主義主張を述べるエントリーをほとんど書いておりません。
振り切れた感のある「にわか右翼」「にわか保守」の面々の視野狭窄・思考停止となっている様を、いくらこちらが親切心で教えて差し上げても、向こうは全く聞く耳を持たないのですから・・・
Posted by ぴろん at 2006年12月03日 23:53
申し訳ありませんが、内容に全く賛同出来ません。
この問題を批判している側は、基本的に日本人の中国残留問題を戦時の被害と認識しているからです。戦時の被害を国が補償することは基本的にはありえません。残留孤児だけを特別扱いする事が法的な取り扱いの公平さを失すると感じているのが非難の本質だと考えます。
また同じ理由で拉致と残留孤児を同じ様に取り扱うことにも無理があると感じます。
前者は戦時、後者は平時に発生したのですから、それを抜きに批判者を同じ物だと括るのは論理の飛躍ではないでしょうか?
Posted by サンダー at 2006年12月04日 02:53
 れいれいさん、コメントありがとうございます。

 今回、一部の人達の言い分は明白な二重基準なのに、普段の生活でそこまで過激に言い切る人を殆ど見かけないためか、「よくぞ言った!」という風に評価する向きもあります。明白な二重基準というだけなら、誰しもそういう過ちは犯すものなので一々気にしても仕方ないのかもしれませんが、拉致被害者救出運動や元中国残留孤児の自立支援問題といった事案には、現に被害を受けている方々がいます。そういうところにイデオロギー闘争を持ち込むことが、本当に国民益になるのだろうか、と思うのです。
Posted by sok at 2006年12月05日 12:05
 ぴろんさん、コメントありがとうございます。

 反朝日、反NHK、反小泉、反安倍、反中、嫌韓、反在日、反左翼。こういうのは他律的といいますか、何かに反発しているだけのように見受けられます。そこに、その人の核となる思考が読み取れず(「反・反日」が核という悲しい結論は無し)、大抵の場合は場当たり的な反発です。だから、事柄が右のカテゴリーに入りそうか、左のカテゴリーに入りそうか、その違いだけで類似する問題においても結論が異なるのだと思います。自分の考えに反する人を「反日」という括りで片付けて、「反・反日」という思考で物事を見ていると、自称・愛国者しか残らないです。

 「批判のための批判」といえば、拉致問題関連の掲示板同士の件もありますね。幾つかの掲示板が金木犀さん達の所に向ける悪意は、とても同じ問題を扱っている掲示板とは思えないです。救出活動における論点を整理するという点でいえば、異なる考えから異なる救出活動・救出方法を検討・提示すればいいものを、自分達の思想に合わないからといって継続的に絡んでくる。そういう人達よりも、集会のテキスト起こしによって拉致被害者家族・特定失踪者家族の声を伝えている方々を支持します。
Posted by sok at 2006年12月05日 12:10
 サンダーさん、コメントありがとうございます。

 「内容に全く賛同出来ません」ということは、“全く”ですから“完全に”や“一切”というレベルで賛同が得られなかったということで、残念です。貴方の御主張を纏めると以下の3点だと思います。それぞれに反論させて頂きます。

 1.中国残留孤児問題は戦時被害であり、国家無答責の原則が適用される。
 2.中国残留孤児だけを特別扱いする事は公平性に欠ける。
 3.中国残留孤児問題は戦時の出来事であり、拉致問題は平時の出来事である。


 第1の点について。本件の主たる争点は、日中国交正常化後における日本政府の中国残留孤児に対する(1)帰国制限措置の妥当性(2)早期帰国支援義務懈怠の有無(3)自立支援義務懈怠の有無、この三点です。日中国交正常化「後」の行政の制限措置や義務違反が問われているのであり、大日本帝国憲法の国家無答責の原則は適用されません。

 中国残留孤児問題は、その引き上げ時期により前期集団引き揚げ(1946〜49年)、後期集団引き揚げ(1953〜58年)、個人単位での帰国(1958〜80年)、大規模帰国(1981年以降)に大別されます。このうち、本訴訟で問題になっているのは日中国交正常化(1972年9月29日)以降の帰国者です。しかも、現に請求が認められているのは、除斥期間の壁に阻まれていない原告のみです。中国残留孤児問題と一括りにした上で、戦時被害だと主張するのは単純化が過ぎます。

 また、“中国残留孤児の帰国事業における行政の制限措置や義務違反の問題”と“中国残留孤児発生の歴史的経緯の問題”は異なります。この点を混同して批判されている時点で、本訴訟の論点を理解されていないと看做されても仕方ありません。


 第2の点について。中国残留孤児だけが特別扱いされているという根拠がありません。戦争による被害は国民が等しく受忍しなければならないという点では、原告もまた受忍しています。戦時における各種の供出や逃避行による財産の散逸等に関しては、彼らもその損害を等しく受忍しています。

 本訴訟において原告が求めているのは、「その上、さらに」という点です。日中国交正常化後、他の日本国民よりも不当に過酷な境遇にあったことに対する補償です。この点で、中国残留孤児だけが特別扱いされていて法的公平性に失するという主張は、原告の受けた損害を不当に過少評価するものです。公平性を説くのであれば、上乗せ部分の損害に関して精査されたのでしょうか。


 第3の点について。本訴訟における中国残留孤児の訴えが戦時被害に関するものでないことは上述しました。この観点と対比させるならば、拉致問題についても発生時が平時か戦時かという観点ではなく、帰国後の自立支援策という観点からの比較になります。工作員による拉致についての不法行為責任は北朝鮮(または今後の事情によっては後継政府)に要求するとしても、日本側の事情により不当に帰国が遅れたり、帰国後の自立支援策に不備があったりすれば、その点は日本政府に責任が発生するのは当然のことです。

 中国残留孤児問題に関して、その発生原因はソ連軍の侵攻であり、中国が帰国事業を阻んだと主張する人達もいますが、この論調を拉致問題にも当て嵌めるならば、拉致問題の発生原因は北朝鮮工作員による拉致であり、救出活動は中国・韓国・ロシアが阻んだということになるでしょう。そして、問われているのが帰国後の日本政府による自立支援策であるにもかかわらず、発生原因から党派的に立論している人達ならば、拉致問題においても「現に帰国できたのだから政府に感謝しろ」と主張することは目に見えています。現に2004年5月22日に、そのような家族会バッシングが起こりました。

 発生原因という視点でしか論じられない人達には、帰国後の行政支援策までは関心が持続せず、想像力が及ばないのかもしれませんが、中国残留時には子供であり、長らく親・兄弟と離れ離れで異国、しかもそれまで交戦していた土地に取り残され、親からも政府からも日本語教育や職業訓練が受けられなかった人達が、日本に帰国して1年という猶予によって他の日本人と同等の日本語能力や職業技術を身につけ、労働市場で他の日本人と対等に競争できるでしょうか。公平性を説くのであれば、競争結果ではなく、競争機会の公平・平等を図ることが公平性を失するか否かという観点から検討すべきだと思います。
Posted by sok at 2006年12月05日 12:15
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