2006年11月30日

匿名文化の一面とだけ対峙する「実名文化」

 先日、OhmyNewsの10月の「月間市民記者賞」が発表された。そこでの鳥越俊太郎氏の講評を読んで、ネットの匿名文化に関する幾つかの事例について、思ったことを書いてみる。先ずは、鳥越氏の発言を引用する。

(2006年11月26日)OhmyNews:10月の「月間市民記者賞」発表
オーマイニュースは「責任ある参加」を基本精神に掲げ、日本のネット社会に広がる匿名文化に対峙する形で「実名文化」を育てて行きたいと思っています。その点で私が当初より少々「挑戦的」な表現で言わせてもらっているように、この辺の衝突は避けられないと思っていました。しかし、こんなに早く市民記者の中から匿名文化と真っ向勝負する記事が出てくるとは思いもしませんでした。



目次
1.blog炎上と「祭り」一般について
2.子猫エッセイに関する祭り
3.死ぬ死ぬ詐欺という造語
4.ラチラチ詐欺という造語
5.解決済みにされる拉致問題
6.Wikipediaの寺越武志さんの項目
7.「匿名の卑怯者」と闘う人、闘うふりの人





1.blog炎上と「祭り」一般について

 ネット上では、定期的に「祭り」が発生する。大抵は、痛い人(や痛い発言と思われた人)のblogや日記が匿名巨大掲示板等に晒されては、集中的に批判コメントを書き込まれる。過去には議論の結果の炎上という事例もあったが、最近では誤解に基づく批判や炎上の初期から誹謗中傷がなされているものも見かける。時には、相手の実生活に悪影響を与えてでも懲らしめようとする者も現れ、そのような者を囃し立てる者もいる。blog以外での「祭り」では、炎上の情熱はまとめサイトという形を採る場合がある。その問題についてのハブサイトとして、「祭り」に新規参入する者への案内を果たす。

 「祭り」参加者には、コテハンとして活動する者もいるが、多くは捨てハンである。匿名であることは言論を活発にする作用もあるが、他面では、彼らはその匿名性によって責任と論理的一貫性から解放されている。調子に乗ってやり過ぎなければ、文責を問われることは殆どない。「祭り」参加者は、ネタの旬が過ぎて情熱が維持できなくなるか、形勢が不利になれば消えていく。「祭り」が進行する過程で、当初の参加者と現在の参加者が入れ替わっていることもあり、反論する側が個別に対処していては過大な労力が課せられる状況もある。この場合、反論する側もまとめサイトを作るなり、FAQサイトを立ち上げるなりして、都度「そちらを参照せよ」とアナウンスするのが効率的だが、その反論サイトを立ち上げるのが一手間である。

 参加者の流動性は、「祭り」参加者に対しても余り良い影響は与えないように思われる。その一例として、仮に、その「祭り」への反論に理があったとしても、纏まった反論がある頃には、当初の「祭り」参加者は日々の話題や次なる「祭り」に移行していて、その問題自体と向き合うことが殆どないという点が挙げられる。日々の憂さを晴らすかのような悪罵を書き散らして、また次の痛いニュースに関心が向かうために、一つの事例に対する思考が成熟することがない。過去の「祭り」のその後にまで思いを致す人は、殆どいないだろう。後には、せいぜい粘着している数人のコメンターが残るだけである。

 但し、「祭り」離脱者の中には、ROMに返って再考している者もいるだろう。彼らは、文責こそ果たしはしないが、次に似た事例があれば、そこでは前回とは異なる姿勢を取るかもしれない。その場合でも、単に次の勝ち馬に乗るために、優勢な方を見極めるために再考しているという者もいるかもしれない。この点は、その人の性質による。


2.子猫エッセイに関する祭り

 2006年8月11日、坂東眞砂子氏が日経夕刊に寄せたエッセイが、ネット上で話題になった。その話題は、ただ消費されるだけの日々の話題という位置に留まらず、「祭り」に発展した。私は坂東氏の著作を読んだことがなく、その作風を知らないので、このエッセイの内容がどこまで事実なのかも、坂東氏の意図するところもよく分からなかった。然したる興味もなく、blogで取り上げることはなかった。巡回先のblogが取り上げていれば、それを通して読む程度の関心しかなかった。ただ、ネット上での坂東氏批判が過熱しているような印象はあった。

坂東眞砂子 - Wikipedia
坂東眞砂子とは - はてなダイアリー

 巡回先のblog、そのリンク先などを眺めていて、この「祭り」参加者を批判している主張を幾つか読んだ。彼らの主張は、概ね次のようなものだった。(1)作家は特異な感性の持ち主だから、一般的な道徳論だけで断じるべきではないという主張。(2)このエッセイは連載物だから、過去のエッセイも読まないと、その真意は判らないという主張。(3)現地政府にまで抗議する情熱があるならば子猫を引き取るべきだという主張。

 このうち、三番目の批判は、「祭り」参加者やまとめサイトの疑問点に直接対応するものではないが、「祭り」参加者を当初の子猫への関心に立ち戻らせるという点で、一定の役割を果たす批判である。ただ、この反論が一定以上の説得力を持つと、「祭り」に参加していない人達のネット上での批判・批評の敷居を、過度に釣り上げることにもなりかねない危うさも感じる。私自身は猫も犬も飼ったことがないが、猫を飼っている友人や犬を飼っている友人は周囲に結構いる。彼らに坂東氏のエッセイの感想を聞いてみたところ、一様に「哀しい」という答えが返ってきた。もし、彼らの中にブロガーがいて、「祭り」にこそ参加していないものの、その率直な思いをblogに綴っていたとしたら、私はその者に対して、このような批判は向けられない。

 「祭り」参加者を批判している人達は、坂東氏批判自体ではなく「祭り」参加者の異様さを批判していたのだと思うが、彼らの言論からは、飼い主ゆえに心痛めた者達の存在があまり考慮されていないように見受けられる。そういう人達の存在を前提にしての論立てなのだろうが、「祭り」参加者という特異な人達を過大視して批判を組み立てると、結局、前提とされた人達の存在は零れ落ちる。それゆえ、この三番目の批判に関しては、論点を整理する分には有効だけれど、私にとってはあまり心動かされる論調ではなかった。


3.死ぬ死ぬ詐欺という造語

 「死ぬ死ぬ詐欺」という「祭り」もあった。といっても、私がこの件を知ったのは、OhmyNewsの市民記者が鳥越氏から編集長賞を頂いたという記事を見てのことである。

死ぬ死ぬ詐欺とは - はてなダイアリー

 ボランティアであっても目的を持って活動し、他者から援助を得ているのだから、その収支は明朗であるべきで、そこへ疑義が向けられるのは仕方がない。ただ、募金の使途が外からは不明瞭であったとして、人の生命に関わる問題に疑問をぶつける際、このような造語によるレッテル貼りはあまりに理不尽で、軽薄な印象を受ける。ある疑惑が取り沙汰された時、その疑問点を追及していく過程で、自身の側の手続的適正を欠くことを厭わない者の主張には、私は賛同しかねる。この「死ぬ死ぬ詐欺」という造語で問題提起している者達にも言い分はあるのかもしれないが、こういう看板を掲げた時点で彼らの主張は相当に正当性を欠く。自説の説得力を自ら貶めているように見受けられる。

 勿論、この「祭り」参加者とは一線を画する批判者もいる。blog『シム宇宙の内側にて』さんの所の議論は興味深かったし、それ以外にも誹謗中傷や荒らしを排して会計の明朗性を問い、その点が改善されれば話題を収束させる人達もいた。彼らの意見は「祭り」によってかき消されるべきものではない。


4.ラチラチ詐欺という造語

 異様な「祭り」に異議を唱える人達によって、ネット言論は一定の理性を保っているという面はあるが、そういう「祭り」がメディアに取り上げられる際には、また違った様相となる。先のOhmyNews記事での鳥越氏の言を再引用する。
オーマイニュースは「責任ある参加」を基本精神に掲げ、日本のネット社会に広がる匿名文化に対峙する形で「実名文化」を育てて行きたいと思っています。その点で私が当初より少々「挑戦的」な表現で言わせてもらっているように、この辺の衝突は避けられないと思っていました。しかし、こんなに早く市民記者の中から匿名文化と真っ向勝負する記事が出てくるとは思いもしませんでした。

 匿名文化に潜む卑劣さと闘うのは結構なことだと思う。ただ、メディアや知識人がネット上からそういった事例を抜き出す場合、そこではある峻別がなされているのではないか、という思いが私にはある。例えば、「死ぬ死ぬ詐欺」という言葉を知った時、私はただ嫌な気分になっただけではなく、ある言葉を思い出した。それは「ラチラチ詐欺」という言葉である。これは難病の子供達の手術費を求める募金運動の会計の不透明さを募金詐欺と掛けた「死ぬ死ぬ詐欺」ではなく、「振り込め詐欺」の一種である「オレオレ詐欺」からの造語である。Google検索で他の言葉と比較してみると、あまり流通していないことはよく分かるが、それでも、ある傾向の人達が好んで使用している言葉であることが分かる。
募金詐欺 の検索結果のうち 日本語のページ 約 646,000 件中 1 - 50 件目 (0.22 秒)
死ぬ死ぬ詐欺 の検索結果のうち 日本語のページ 約 263,000 件中 1 - 50 件目 (0.08 秒)
オレオレ詐欺 の検索結果のうち 日本語のページ 約 535,000 件中 1 - 50 件目 (0.15 秒)
ラチラチ詐欺 の検索結果のうち 日本語のページ 約 4,630 件中 1 - 50 件目 (0.07 秒)

 「祭り」になるほどの勢いもなく、当事者への実害も今のところなく、やがては廃れていく造語だろう。メディアが取り上げないことで、新たに流通することもないので、それも一つの対処法ではある。しかし、「祭り」にまで発展しなかったことは結果論に過ぎず、ここには燻り続ける、ある感情が見て取れる。はてなダイアリーのキーワード『死ぬ死ぬ詐欺とは』には、『「死ぬ死ぬ詐欺」という用語を好んで使う人たちの問題点』という項があり、その一番目に「現実に難病に苦しんでいる子供がいることに思いを寄せない。」という一文がある。これなどは「ラチラチ詐欺」という造語を好んで使っている者達にも、当て嵌まる。


5.解決済みにされる拉致問題

 この種のネット上に漂う匿名者の悪意は他にもある。はてなダイアリーの『ブルーリボンとは』の項には、現在、五つのブルーリボンという単語が登録されている。(1)日野自動車製の路線バス。(2)北朝鮮による拉致被害者の生存と救出を願う意思表示としてR-NETが展開する運動。(3)米国の通信品位法のWebキャンペーン。(4)『Wizardry』というRPGゲームのアイテム名。(5)ブルーリボン賞(映画賞と新鉄道車両に関する賞へのリンク)。この内、三番目の意味の説明文には『真のブルーリボン。』とあり、その他には『偽ブルーリボン。』という説明文が付けられている。

ブルーリボンとは - はてなダイアリー
R-NETが展開するブルーリボン運動のシンボル。北朝鮮による拉致被害者の生存と救出を願う意思表示。
「日本会議」、「統一協会」などによる協賛で行われている。
また拉致問題の解決は「盗聴法反対運動」や「表現の自由」には全く寄与しないし、この運動自体も拉致問題の解決に寄与しない。
そもそも、拉致問題は本来はただの行方不明者とされるところを政府の圧力で警察が拉致被害者として認定している面もあり、現在拉致問題は解決したといえる状況である。
なお、韓国や北朝鮮からの強制連行という拉致問題は未だ解決していない。
偽ブルーリボン。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d6%a5%eb%a1%bc%a5%ea%a5%dc%a5%f3?kid=105861

1996年頃、アメリカで「通信品位法」というweb規制法がつくられたとき登場したwebキャンペーン。「エレクトリック・フロンティア」が呼びかけた。
HPへ黒い背景と「青い喪章」を掲示し、「表現の自由の死を悼む」抗議意思表明方法。青いリボンは喪章である。
日本では「盗聴法反対運動」のとき、webユーザーたちが用いた。
〔参照〕
http://www.eff.org/br/ 
http://www.glocom.ac.jp/proj/kumon/paper/1996/96_04_00e.html
「日本会議」「救う会」が進めている「ブルーリボン」は、政治的に「盗聴法反対運動」や「表現の自由」に対立する。
日野自動車製の路線バスやR-NETが展開する運動、RPGのアイテムはブルーリボンを名乗るべきではない。
真のブルーリボン。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d6%a5%eb%a1%bc%a5%ea%a5%dc%a5%f3?kid=109359

 「偽ブルーリボン」という造語もまた、Google検索で他の言葉と比較してみると、あまり流通していないことがよく分かるが、こちらもある傾向の人達が好んで使用していることが伺える。過去には、はてなキーワードでこの「真の」意味が上位に検索されるように呼びかける運動もあったようだ。
ブルーリボン の検索結果のうち 日本語のページ 約 1,010,000 件中 1 - 50 件目 (0.06 秒)
ブルーリボン 拉致 の検索結果のうち 日本語のページ 約 137,000 件中 1 - 50 件目 (0.22 秒)
偽ブルーリボン の検索結果のうち 日本語のページ 約 5,020 件中 1 - 50 件目 (0.61 秒)
ブルーリボン 通信品位法 の検索結果のうち 日本語のページ 約 330 件中 1 - 50 件目 (0.64 秒)

 坂東氏のエッセイを巡る「祭り」に対して「批判者は本当のところ、子猫の生き死になんてどうでもいいのだろう」と主張していた人達の言を借りるならば、同名の別項目が作成できるにもかかわらず、このような悪意剥き出しの説明文が書かれていることからすると、はてなキーワードで「真のブルーリボン」や「偽ブルーリボン」と編集していた者達、そして、その順位の上昇を呼び掛けていた者達も、米国の通信品位法への関心などないのだろう。

 この点、勢力的に大したことではないから放置するという姿勢は、この種の用法が注目されることで再び流通するよりは余程マシかもしれないが、はてなキーワードでのこのような説明は、度々参照され得るという点で、先の「ラチラチ詐欺」という造語よりも悪質である。はてなダイアリーで「匿名の卑怯者」を批判したり、「だったら子猫を引き取れ」と問題提起していた人達は、こういう足元の出来事は放置している。

 なお、はてなキーワードで“罪と罰”を検索すると、現在は、一番目にNINTENDO64のゲームソフト名が、二番目にドストエフスキーの小説が出てくる。これはこれでどうなのだろうとも思うが、同名の別項目に正確に表記されているのだから、後は、それが現在のネット上での関心の順位ということで納得できる。同名の別項目であっても“罪と罰”の記述のような共存可能なものもあるにもかかわらず、他方では、そこに政治的な闘争の余地を見出して順位上昇運動を呼びかけたり、悪意に基づいた記述を行ったりする者達がいる。

 それにしても、この説明文はあまりに酷い。ある傾向の人達にとっては、『現在拉致問題は解決したといえる状況』に見えるらしい。この説明文を放置しているはてな界隈の言論は、巷間言われている「若者の右傾化」論などよりも危険だと思う。そのような「右傾化」の対極にある傾向の匿名行為について、「責任ある参加」を提唱する鳥越氏が取り上げることはないだろう。「匿名の卑怯者」はどこにでもいるが、それに警鐘を鳴らす知識人は、いつだって一方の事例しか取り上げない。


6.Wikipediaの寺越武志さんの項目

 もう一つ、事例を挙げる。Wikipediaの寺越武志さんの項は、先日まで「金英浩(寺越武志 から転送)」と表記されていた。この状態が2年間も続いたという。この表記については、イザ!blogの青一刻さんの呼びかけで、現在は改善されている。詳しい内容は、下記リンク先エントリーに譲るとして、このような事例に対して、「匿名の卑怯者」や「ネット右翼」と闘う人達の正義感が発揮されることは、おそらく今後もないのだろう。

寺越武志 - Wikipedia
(2006年09月17日)青一刻イザ!:Wikipediaでの「寺越武志」さん記述


7.「匿名の卑怯者」と闘う人、闘うふりの人

 人それぞれ関心の向きは違うし、時間や能力的制約もある。皆が皆、同じことをすべきというものでもない。優先順位もあるから、声の大きな方、数の多い方の暴挙から指摘するのは仕方がない。けれど、言論の自由市場において、一方の暴論は結果的に大勢になれなかったからと黙認して、「右傾化」を嘆いて「ネット右翼」と闘う姿勢をアピールする知識人の言動は、私にとっては、彼らが嫌う「ネットで真実を知りました」という反メディア思考の人達と大して変わらない。そこに各人の原理原則を見出せない。反「ネット右翼」思考の人達の論調は、彼らが揶揄する反メディア思考の人達の論調と同程度に他律的で、つまらない。「右傾化」の中で生き残る極左もまた、市民・国民の立場からは充分脅威であり、危険である。


 OhmyNews関連で検索していて、JANJANの森下泰典記者の下記記事を読んだ。森下記者の名前は、以前、拙blogをリンクして頂いたので憶えている。その際は、こちらも後継エントリーにて少し含みのある書き方をしてしまったが、下の署名記事を見た限り、森下記者は是是非非で論じられる方のようで、このような人物の台頭を期待する。

(2006年10月07日)JANJAN:オーマイニュースは「崩壊ニュース」からの脱却を
(2006年10月25日)JANJAN:オーマイ、「ひと言」欄再構築に寄せて


【2006年12月15日追記】

(2006年12月11日)JANJAN:オーマイニュース編集部よ、「頭を垂れる稲穂」たれ
posted by sok at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | ネットと言論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 現在は、はてなキーワードのブルーリボンの項は改善されているようです。
 12月4日に書き換えて下さったraki6104さんに感謝します。ありがとうございました。
Posted by sok at 2006年12月27日 21:27
 ブルーリボンの項は、またもリベラル派の認識に改められていた。本エントリーで引用した当時の記述と下記の記述を比較すれば分かるように、「住吉会」という単語が新たに書き加えられている。偽ブルーリボンという説明は、末尾から先頭に変更されている。

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ブルーリボンとは - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d6%a5%eb%a1%bc%a5%ea%a5%dc%a5%f3?kid=105861
偽ブルーリボン。
R-NETが展開するブルーリボン運動のシンボル。北朝鮮による拉致被害者の生存と救出を願う意思表示。
「日本会議」、「統一協会」、「住吉会」などによる協賛で行われている。
なお、「日本会議」、「統一協会」、「住吉会」などの資金源となる運動である。
拉致問題の解決は「盗聴法反対運動」や「表現の自由」には全く寄与しないし、この運動自体も拉致問題の解決に寄与しない。
そもそも、拉致問題は本来はただの行方不明者とされるところを政府の圧力で警察が拉致被害者として認定している面もあり、現在拉致問題は解決したといえる状況である。
なお、韓国や北朝鮮からの強制連行という拉致問題は未だ解決していない。
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 同項の編集履歴を見たところ、2名のはてなダイアラーが積極的に拉致問題の幕引きを意図していることが窺え、その内の1人は何ら日記を書いていないことからキーワード編集のためだけに市民登録していると考えられる。しかし、この記述はその2名だけの問題といえるのだろうか。はてなダイアラーには人権に厚いリベラル派が多いと聞くが、彼らは自身の足元で行われている拉致問題の幕引きには目を瞑っている。このことからは、黙認する彼らの拉致問題に対する認識(突き詰めれば、これは人権問題一般に対する認識)を如実に表しているように思われる。

 先般、あるはてなダイアラーが「拉致ファッショ」「拉致ファシズム」「拉致拉致って、もううっせーよ!!」と書いていたが、彼の批判はあくまで括弧付きの「拉致」へ向けられたものであった。だが、括弧付きの「拉致」に辟易しているだけで、括弧無しの拉致問題についてはそれなりに誠実に思考しているのであれば、やはりこの自らの足元で行なわれている拉致問題の幕引きに対しては、適切に対処すべきではなかろうか。でなければ、括弧付きの「拉致」を論うばかりで、結局は括弧無しの拉致問題の幕引きに消極的に加担しているのだと思う。所謂「ネット右翼」なるものを叩いて満足しているだけの人ならば、まあ言っても仕方ないが。
Posted by sok at 2007年03月13日 22:05
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