2006年10月31日

雅子妃殿下の「中国の犬」発言について

 12日以降、更新が滞っていたにもかかわらず、毎日巡回して下さっている方々、ありがとうございます。この頃、思ったことについて、記録も兼ねて纏めてみます。(12月01日追記:『高校必修科目未履修隠蔽問題』の項を10月27日分のエントリーに分離。/12月13日追記:加筆訂正し、目次を付ける。)


目次
1.はじめに
2.mumur氏の二重基準
3.皇室について思うこと
4.mumur氏の論理は何か
5.勝谷誠彦氏の暴言
6.言論人・知識人に求めるもの


1.はじめに

 最近、雅子皇太子妃殿下の「これは中国の犬ですか」という言葉がネット上で話題になっており、革新派批判を好むブロガーやコメンターの間で利用されている例が散見された。ネタにマジレスは野暮かもしれないが、少し気になった点があるので、思考の整理も兼ねて纏めておく。妃殿下の発言の詳細については、下記の朝日新聞記事から引用する。

(2006年10月27日)朝日:皇太子ご夫妻興味深く観賞/正倉院展
 皇太子さまと皇太子妃雅子さまが26日、奈良市の奈良国立博物館で開催されている第58回正倉院展を鑑賞された。午後6時に一般の観覧が終わってからの入館だったが、沿道や同館周辺で手を振る約3200人の市民に、お二人ともにこやかに応えていた。約40分間の鑑賞は、雅子さまが声を上げて笑われる場面もあるなど、明るい雰囲気に包まれた。

(中略)

  館内で休憩後、湯山賢一館長、梶谷亮治・学芸課長、内藤栄・工芸考古室長の説明を聞きながら会場を回った。犬とイノシシが絡み合う意匠の大理石のレリーフ「白石鎮子(はくせきのちんす)」を見た直後、雅子さまが「これは中国の犬ですか」と質問。梶谷課長が一瞬答えに詰まると、雅子さまと皇太子さまは声を上げて笑った。

(後略)

 雅子妃殿下の意図は、その言葉通り、大理石のレリーフに描かれた犬が中国産(中国国内に生息する種)であるか否かを問うものだろう。しかし、ネット上では、この言葉がその意図とは別の利用のされ方をしている。その一例として、mumur氏の下記エントリーを挙げておく。

(2006年10月31日)mumurブルログ:【琉球新報】自国に銃口を向けている国に旅行に行きたいと思うだろうか
mumurブルログ:カテゴリー【マスコミ】毎日新聞 朴鐘珠

 mumur氏に特に恨みはないが、氏のエントリー中には本件に潜む問題が端的に表れていると思われる。よって、反・反日系ブロガーの間で現在流通している言説の代表例として取り上げ、検討を試みることとする。


2.mumur氏の二重基準

 mumur氏は当該エントリーにおいて、琉球新報のコラムを転載し、『国に向けて軍備を増強する国や地域に、旅行に行きたくないと思うのが自然な心情ではないか。』という一文を強調している。その後、『特にコメントはありません。』とした上で、唐突に先の朝日新聞の皇室記事から二段落を引用し、『雅子さまが「これは中国の犬ですか」と質問。』という一文を強調している。この用法は皇太子妃殿下の想定していた用法ではなく、先の琉球新報を揶揄する用法であろうことは推論できる。

 mumur氏は、皇太子妃殿下の御言葉を、その本来の意味から離れて、自身と異なる考えの者を揶揄するために利用している。そのような者が、直近のエントリーにおいて毎日新聞佐賀支局・朴鐘珠記者の反皇室記事を批判している。これは二重基準に当たるのではないか。

 毎日新聞佐賀支局の朴鐘珠記者の皇室への悪意ある質問は、確かに観ていて気分の良いものではないが、しかし、憲法88条によれば「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」とある。その支出が適正であるかを問う朴鐘珠記者の質問は、恐れ多いことではあるが、憲法にその根拠を求められるものであり、絶対に許されざることだとは思えない。

 勿論、質問者にも相応の礼儀は求められるであろうし、適正支出を問うのであれば、規模の面でも他に優先的に見直すべきものがあるとは思う。ただ、そうであるならば、朴鐘珠記者を批判する手法もまた、そのような方向からのものになるであろうと予想した。けれど、mumur氏は、一方では質問者の無礼をヲチしておきながら、他方では自身が妃殿下の御言葉を本来の意味と異なる冷笑的な意図で用いている。

 このような用法を好んで使っておきながら、反皇室記事批判をすることが果たして妥当といえるだろうか。私には、皇室を自分達に都合良く利用しているように思えてならない。勿論、このことはmumur氏だけに限らない。他のブロガーやコメンターが同種の言動をしている様も見た。ある種の人達にとって「中国の犬」という言葉は、それほど甘美なものなのだろう。


3.皇室について思うこと

 私はこのことに関して、皇室の権威を笠に着て「不敬である!」と言うつもりはない。タブーを気にせず何でもネタにする強かさは、弊害もあるがネット言論の強みであり、また、ネタにマジレスをするのことは野暮だとも思う。ここで私は、不敬であるか否かという点に立ち入らずに検討していこうと思う。不敬であるか否かという点に関しては、各人に考えて頂くこととして、その点に立ち入らなくとも判断ができる事柄について書くことにする。

 この記事を読んで私が思い起こしたのは、皇室に入られた美智子皇后陛下や雅子皇太子妃殿下の心労のことである。民間から皇室に入るとなると、それまでの生活環境、交友関係から切り離され、皇室という特殊な環境への適応を要求される。それは、おそらく相当な心労を伴うものであろう。皇后陛下は失語に陥ったことがあった。皇太子妃殿下も幾度か療養されていた。その皇后陛下の御体を労わる天皇陛下、妃殿下の心労を気遣う皇太子殿下の御姿を、我々はTVや新聞、或いはネット配信の記事で知っている。

 また、過去には、皇太子殿下が『それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です』と御発言されたことがあった。その際、この御発言を巡って識者が賛否を論じたことがあった。国民感情としても、皇室を大切に思う人達の間でも、妃殿下に対する思いはそれぞれあることだろうが、その境遇や御発言に至る経緯に思いを致すならば、やはり軽々に語れるものでもなかった。

 皇太子殿下の御発言を巡るやり取りは、そう昔の話ではない。もし、あの一件を覚えているのであれば、今回の正倉院展での妃殿下の何でもない一言を、意見を異にする者を揶揄するために用いるということは、躊躇われるのではないか。我々が当然のように享受している日本の伝統と文化、その最たるものである皇室は、その構成員たる皇族の事実行為によって支えられている。皇族一人一人が、その重責を担っている。言葉一つで傷付き、心労で弱られる立場にいる。


4.mumur氏の論理は何か

 mumur氏は、皇室に思い入れがない人のようであるが、であれば、毎日新聞佐賀支局の朴鐘珠記者への批判は、如何なる論理によるものであろうか。反日晒しなのか、在日晒しなのか。どちらの場合でも、それだけでは他者を納得させるだけの大義はない。非礼であるという論理で攻めるのであれば、mumur氏自身も非礼にあたる。不敬という論理でも然り。今回、mumur氏は軽い気持ちで「中国の犬」発言を用いているが、朴鐘珠記者の反皇室記事および記者会見場での無礼な態度を批判するのであれば、自身も相応の覚悟で望むべきであったと思う。

 私は、朴鐘珠記者の反皇室記事も、記者会見場での無礼な態度も支持しないが、同様に今回のmumur氏の姿勢も支持しない。彼の二重基準を見過ごして追従するコメンター達も、「中国の犬」発言を利用するその他のブロガーも支持しない。彼らは日々立ち表れる時事問題に対して、その時々の感情を表明しているだけであり、そこに原則性を見出せない。ただ反発しているだけならば、朴鐘珠記者同様、mumur氏の手法へも反発すべきではないか。


5.勝谷誠彦氏の暴言

 この件に関連して、もう一つ思い出したことがある。それは昨年の勝谷誠彦氏の日記。

(2005年07月09日)勝谷誠彦の××な日々。:各メディアご注目。朝日新聞の皇室価値観が暴露。

 ここで勝谷氏は、朝日新聞の『be』赤版に掲載された在原業平に関するコラムを取り上げている。そのコラムの中で、執筆子が「阿保親王」と書くべきところを「阿保天皇」と書いていることに着目し、『阿保親王が正しいのだがただ<親>と<天>との誤植では済まないだろう。よりによって天皇をアホ呼ばわりしてしまったわけである。』と朝日新聞を批判している。

 しかし、「阿保」は「アボ」と読むのであって、仮に、これを「アホ」や「アホウ」と読むのであれば「阿呆」と表記するはずである。勿論、音として「アホ」と読めないこともないが、それは同時に皇室への無関心をも披露することになる。さらに、「阿保」を「アホ」と読んで批判するならば、対象が天皇陛下であろうと親王殿下であろうと、変わらず批判すべきであろう。侮辱という点では変わらないのだから。

Wikipedia:阿保親王

 勝谷氏のように皇室を尊敬していると主張する者、mumur氏のように皇室関連の話題で反皇室派の姿勢を批判している者が、このように皇室を自分達に都合良く政治利用する様が、どうも私には釈然としない。

 勝谷氏の本事例は一年前のことであり、今回の件とは直接関係なく、ここで例に挙げるのは突飛であるかもしれないが、先に見たmumur氏の事例と通じるものを感じたこと、及び、次に挙げる最近の日記での彼の暴論を知るに至って、関連事項として紹介することにした。


 勝谷氏については、先日の日記の内容も気になった。

(2006年10月23日)勝谷誠彦の××な日々。:補選の有権者はこの国の進路にも責任を自覚せよ。
5時起床。補選の結果はまあまた分析するとして(苦笑)。 投票率が低い中で愚民だけが投票に行くという
この状態を変えないとどうしようもないですよ。愚民を組織化したどこぞのカルトがまんま基礎票になるという事をひっくり返すには良民常民が週末の楽しみを少しだけガマンして投票に行くという実に簡単な行為をすればいいのになあ。

 これに関しては、名塚さんが掲示板にて適切に批判されていた。そこから該当箇所を引用する。
カルト創価の組織票は、まぁ置いておくとしても、
投票という有権者の責務をきちんと
果たしている人々を「愚民」となじり、
「週末の楽しみ」を口実に投票をサボる人たちを
「良民」と決め付けて呼ぶのはどうなのかねぇ。

わたしゃ、投票権があるのに選挙に行かない人のほうが、
「愚民」だとよっぽど思うけど。

『No.3168 これはどうかと思うが。』より引用


6.言論人・知識人に求めるもの

 本来、こういう正論をこそTVや新聞・雑誌などで活躍する言論人・知識人に期待したいのだが、どうもマスメディアで重宝される識者達は、先に保革や好悪といった価値判断ありきのようで、自分の考える通りの結果が得られないと、意見を異にする人達を軽々しく罵り、詰る。それで識者といえるのだろうか。国民に対して懇切丁寧に解説することは大衆迎合やポピュリズムと同義ではない。

 勝谷氏は竹島関連の取材を精力的に行っており、mumur氏は左派メディアの監視という点で一定の役割を果たしていると思う。メディアとネット、両人の主たる活躍の場所は異なるが、今後も様々な事案について、その識見を示してくれることだと思う。彼らの日頃の言論活動は、ここで挙げた事柄によって毀損されるものではないが、私にとっては少なからず残念なことであった。
posted by sok at 19:00| Comment(2) | TrackBack(1) | ネットと言論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
更新楽しみにしてました。

雅子妃殿下の件ですが、mumur氏は日頃から皇室には関心がないと公言していますので、この件で例として出すのは適切ではないと思います。

Posted by 刻廉 at 2006年11月02日 00:17
 刻廉さん、コメントありがとうございます。

 勝谷氏とmumur氏の二例を挙げたのは、それぞれ皇室への姿勢は異なるけれど、結果として似たような皇室の政治利用を行っているように思えたからです。その点は本文の「Wikipedia:阿保親王」の下二行に記しましたが、誤解を与えるような文章構成だったので、ここで改めて照合してみます。

・皇室を尊敬していると主張する者 → 勝谷誠彦氏
・皇室関連の話題で反皇室派の姿勢を批判している者 → mumur氏

 mumur氏の姿勢は、正確には反皇室派批判ではなく革新派メディア(或いは在日記者)の異常性をネタにしたものでしょうから、「中国の犬」発言の利用も他の2ちゃんねる上の書き込み等と同様、単に便利な言葉と認識してのことだと思います。しかし、その意図が革新派メディア批判を主眼においたものであろうと、話題としては皇室への悪意を批判しながら、他方では時間的に近接した他のエントリーにおいて、妃殿下の御言葉を都合良く利用しています。そういうことが無自覚に行われていることの論理性や妥当性を本文では問題提起しました。そして、本件をネタにしている他のブロガーやコメンターに、mumur氏のタイプ(反メディア)と勝谷氏のタイプ(憂国者・愛国者)のそれぞれを見出せたので、特にネット上で著名な両者の皇室利用の手法を例として挙げました。
Posted by sok at 2006年11月02日 20:02
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/26527040

この記事へのトラックバック


Excerpt: 正倉院正倉院(しょうそういん)は、奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置する、高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化|天平時代を中心とした多数の美..
Weblog: 観光地に行ってみて
Tracked: 2007-07-27 15:53
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。