大阪府豊中市で「めぐみちゃんと家族のメッセージ 横田滋写真展」が昨日から20日まで開催しているとのことです。ネット上の活字・画像情報だけでなく、自分達の生活の延長線上にこの事件があったことを確認できるかと思います。総入場者数は、日本人の拉致事件への関心の高さを、日朝の両政府に示すことにもなります。時間に余裕のある方は、是非一度どうぞ。詳細は下記の朝日記事をご確認下さい。
(2006年09月14日)朝日:横田めぐみさんの写真展始まる 大阪・豊中
北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん(不明当時13)の姿を107点の写真パネルなどで伝える「めぐみちゃんと家族のメッセージ 横田滋写真展」(主催・あさがおの会、共催・朝日新聞社、後援・外務省、大阪府)が14日、大阪府豊中市新千里東町1丁目の千里朝日阪急ビル4階、A&Hホールで始まった。20日まで。
テキスト起こし
昨夜のNHK『クローズアップ現代(Wikipedia)』は、横田滋さんと早紀江さんがスタジオ出演されました。VTRでは各地での講演や写真展の模様も紹介されました。以下に、テキスト起こしをしましたので、昨夜の放送を見逃した方は御覧下さい。誤字脱字、間違いなどありましたら、ご指摘お願い致します。確認の上、訂正致します。発言者の敬称は省略させて頂きます。
クローズアップ現代
9月14日(木)放送予定
倒れても 娘を取り戻すまで 〜広がる横田夫妻の思い〜
北朝鮮が拉致を認めた日朝首脳会談から今月17日で4年。娘の救出を訴え続けた横田めぐみさんの両親、滋さんと早紀江さんはともに70歳を超えた。滋さんは去年末、病気で長期入院を余儀なくされた。早紀江さんも長年の活動の疲労が重なり、体の不調を感じることが多くなった。「拉致問題は残された時間との戦いだ」。横田夫妻は今、同じマンションの住民たちの協力を得て、写真展を開いている。大切にしまってきた家族写真を公開することで、拉致の残酷さを訴え、事態を少しでも前に進めたいという決断だった。写真展は各地に広がり、15万人が会場を訪れた。番組では命を削って活動を続ける横田夫妻の日々を見つめる。(NO.2295)
スタジオゲスト : 横田 滋さん、横田 早紀江さん
国谷裕子(Wikipedia)
北朝鮮による日本人拉致問題(Wikipedia)
2006年09月14日 クローズアップ現代
国谷裕子:こんばんは、クローズアップ現代です。今夜は、北朝鮮による拉致というテロ事件の被害者の家族の思いを見つめます。
ナレーション(男):13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさん。その救出を訴え続ける父親の滋さんと母親の早紀江さん。ともに70歳を超えました。全国を回る過密な日程、体に不安を抱えながら活動を続けています。もうできるだけのことはしないと。最後まで、もう倒れても。解決の糸口を掴もうと横田夫妻は家族写真の公開に踏み切りました。写真展は各地で開かれ、これまでに15万人が訪れています。
写真展来場者:自分の子供がそう、拉致されたらどうしよう、どうなってる。もう親の気持ちですよね、やっぱりね。
ナレーション(男):めぐみさんから拉致されてから29年。娘を取り戻すために命を削る横田夫妻の今を追いました。
倒れても娘を取り戻すまで 〜広がる横田夫妻の思い〜 No.2295
横田夫妻 拉致との闘い
国谷裕子:1977年の11月、13歳の少女が北朝鮮に拉致され、消息を絶ってから、まもなく29年になります。こちらが日本で撮影された横田めぐみさんの最後の写真です。事件の一ヶ月前に写されたものです。めぐみさんの成長を記録した数々の写真、ご両親にとっては見るのもつらい思い出になりました。北朝鮮に連れ去られるというテロ事件の被害者の親達は、自分達が生きている間に子供と再会したい。そして、全員無事帰国できるよう訴えを続けています。しかし、被害者の親として最も若い横田夫妻ですけれども、滋さん73歳、早紀江さんも70歳になりました。かつて、拉致なんかあるはずがないという声の中で必死に訴えを続け、国内外の政府や世論を動かしてきた家族の方々。4年前、北朝鮮も拉致を認めました。しかし、その後の4年、横田夫妻は北朝鮮から届けられるめぐみさんの様々な死亡宣告や情報に翻弄され、事件解決に向けた進展はありません。しかし、そうした中で、めぐみさんの写真を集めた写真展が一年前から各地で開かれ、今日までに15万人の人が足を運びました。もし、我が子が拉致というテロ事件の被害者になっていたら。写真展を見た人々の心の中には、静かな思いが広がっています。体力の限界、そして、病気と向き合いながら子供の救出を訴え続けている横田夫妻。70歳を超えた闘いの日々を追いました。
横田夫妻 命削る日々
ナレーション(男):先月12日、講演で青森を訪れた横田夫妻です。
横田早紀江:(道行く人に応援されて)ありがとうございます。
ナレーション(男):この日で、全国47の都道府県全てに足を運びました。北朝鮮に拉致された娘の救出を訴える講演も既に1000回を超えています。
横田早紀江:めぐみは、あの、やっぱり、いつも「帰りたい、帰りたい、早く帰りたい」って、いつもいつも日本を想って泣いてたと、帰って来られた方からもお聞きして、本当に早く助けなければ、助かるものも助からない。
ナレーション(男):めぐみさんが拉致される前、家族でよく旅行に出かけていた横田夫妻。全国を巡る講演は、めぐみさんと過ごした日々を思い出す旅でもあります。この青森の海岸も、35年前、一緒に訪れた場所です。当時、めぐみさんは小学校の低学年でした。沖合に浮かぶ小さな島に、めぐみさんは「おにぎり島」と名前を付けたといいます。
横田早紀江:小さくてね、かわいい島ねって言って、やっぱり、三角おにぎりのね、形してるからね、おにぎりみたいだねって。
ナレーション(男):家族揃って見た風景、今は夫婦二人で見るしかありません。
横田早紀江:それはもう、この島だけじゃなくて、あの、転勤してたもんですから、各地にあの子の思い出が散らばっているし、もう何を見ても、上野動物園のこの敷石のね、四角い所歩いても、ここ小っちゃい時に走ってたなとかね、もうあらゆることで全部思い出しますからね。ここに限らずね。年がら年中、それとの闘いですよね、はい。
ナレーション(男):めぐみさんが拉致されるまでの13年間に撮った、横田さん一家の家族写真です。カメラが趣味だった父親の滋さんがいつも写していました。その中に一枚だけ家族以外の人に撮って貰った写真があります。めぐみさんと双子の弟、滋さんと早紀江さん。一家五人が揃った、ただ一枚の写真です。この時、めぐみさんは小学校二年生、この五年後、拉致されました。
横田夫妻 家族写真への思い
ナレーション(男):横田さんの家族写真は今、写真展となって各地で公開されています。めぐみさんが成長していく姿を記録した写真、家族で出かけた旅先でのスナップ。見るのがつらいとアルバムに仕舞い込んであった写真ばかりです。横田夫妻は当初、公開を躊躇っていました。写真展の開催を横田夫妻に勧めたのは、同じマンションに住む森聡美さんです。写真展は、拉致が普通の家族を引き裂いたことを広く知ってもらう機会になると考えたのです。
森聡美:本当に大事な大事な写真なんだと思います。で、その時、撮った畳の匂いとか、その時の音とかも克明に思い出すっておっしゃるんですね。で、本当にその13年間の、ぎゅっと、あの、濃縮されてるといいますかね、詰まってる。
ナレーション(男):写真の公開を決めた横田夫妻は、一枚一枚に言葉を添えました。写真に込められた想いです。
ナレーション(女):女の子が希望だったパパの顔。
ナレーション(男):初節句の写真に添えた言葉です。
ナレーション(女):忘れられない温もり。
ナレーション(男):山口県萩市への家族旅行。
ナレーション(女):ママ手作りのオレンジ色の服のめぐみ。
ナレーション(男):拉致される一年前の夏。
ナレーション(女):花火大会の夜。花火を見るのが悲しい今。
ナレーション(男):横田夫妻は、北朝鮮が出してきた写真も写真展に加えました。長年、知ることも出来なかっためぐみさんの姿です。
ナレーション(女):めぐみちゃん、こんな所にいたのね。可哀想なめぐみの表情。罪無き少女の人生を変えた北朝鮮の非道。なんと成長しためぐみでしょう。今もこうして元気でいてね。
ナレーション(男):写真展を企画した森さん達は、今、横田さんの家族写真を各地に貸し出しています。全国の人達から、自分も写真展を開きたいという声が相次いでいます。写真展は各地で開かれ、訪れた人はこれまでに15万人を超えました。会場に訪れた人達が残したメッセージです。
「幸せな家族が一瞬にして壊されてしまったことが許せません」
「もし、自分の子供がこうなったらと、胸がえぐられる想いです」
「自分に出来ることは、力になりたい」
横田夫妻 命削る日々
ナレーション(男):めぐみさんが拉致されてから29年。滋さんは73歳。早紀江さんは70歳になりました。横田夫妻のスケジュール表です。講演や署名活動、取材の対応で毎日が埋め尽くされています。一月に十回以上、講演に出かけた時もあります。去年12月、スケジュール帳に初めて大きな空白が出来ました。滋さんが緊急入院したのです。その十日前、山梨県で講演をする滋さんです。立て続けに地方での講演をこなしていた滋さん。血管が詰まって、貧血や発熱を起こす病気になり、二ヶ月間入院しました。
横田早紀江:私が岩手県の方に、講演会の日で行っている最中に起きてたことで、本当に、そんなに大変なことになってるって知らなかって、もう夕方まで分からなくて、連絡がつかないし、もうびっくりしましたけどね。本当に大丈夫かなっと思って。
ナレーション(男):滋さんの病気は完治していません。検査の間、今も病院に通っています。
横田滋:自然に戻るためには、かなりの時間を要して、その間は普通の生活していいんだけど、無理はしないようにっていうことだったので、これから少し、ある程度意識して回数を減らさなかったら駄目だとは思いましたですね。
ナレーション(男):今年4月、早紀江さんは療養中の滋さんを残し、アメリカを訪問しました。ブッシュ大統領との面会や議会での証言。気の休まることのない一週間を早紀江さんは過ごしました。
横田早紀江:本当に今回の訪米は、私達が思っていた以上に大きな成果があったと思っています。
ナレーション(男):慌しく日程をこなす早紀江さん。同行した長男の拓也さんは、毎晩、肩や腕の痛みに悩まされる早紀江さんの姿を見ていました。
横田拓也:私の横にベッドで寝ている母がですね、夜、寝返りをうつ時にでさえ、多分、無意識だと思います。本人も寝ているんだと思うんですけども「痛い、痛い」と言いながら、声に出して、寝返りをうってるわけなんです。で、その様子を真夜中、見ているわけなんです、私が。本当に可哀想でですね、母も父も本当にもうギリギリのところで闘ってるんだろうなということを常に感じます。
ナレーション(男):(水戸5月28日)帰国してからも早紀江さんは以前と変わらぬ忙しさで講演を続けていました。この日、講演を終えた横田夫妻を待っていた人がいました。小貫絢子さん、94歳です。早紀江さんに手作りのブローチを送り続けてきました。
横田早紀江:ありがとうございます。頂戴致します。大変でしょ?こんな難しいのね。
小貫絢子:こういうことしか出来ないんで。
横田早紀江:どのくらい時間かかるんでしょう、こんなの作るのに。
ナレーション(男):早紀江さんがいつも胸に着けている青いブローチ。小貫さんが拉致被害者救出の願いを込めて作りました。小貫さんは若い頃、小学校の教師をしていました。戦争中、教え子の家族が生き別れになる姿を見てきた小貫さん。拉致で娘を奪われた早紀江さんに、その姿を重ね合わせたといいます。
小貫絢子:まったく私みたいにこういう風に長生きしてる人もあるしね、大事な体をね、遠くの方まであれしている方もあるしね。本当に…(目頭を押さえる)。
横田早紀江:元気で、元気でいて下さいね。めぐみちゃんに会ってもらいたいからね。元気で帰ってきて、これを着けさせてあげたいから。元気でいて下さい。本当に、もう、病気にならないで。
ナレーション(男):二ヶ月経った7月末。小貫さんはブローチを作ることが出来なくなっていました。手が自由に動かなくなり、リハビリのため施設に入所しました。
小貫絢子:全く力が入らない。だって、この手見たって、いつも痺れてこうなってんだもん。駄目だな。ほら、駄目だ。
ナレーション(男):小貫さんの娘の紀子(すみこ)さんです。これまで見ているだけだったブローチ作り。小貫さんに教わりながら代わりに作るようになりました。
小貫紀子:どうもありがとう。おかげで分かりました。出来なかったところが。分かりましたです。ありがとうございます。
ナレーション(男):紀子さんが初めて作ったブローチ。先週、早紀江さんの所に届きました。今、早紀江さんは講演活動の合間に病院に通っています。疲れが取れにくくなった早紀江さん。栄養剤の点滴を一年前から続けています。肩や腕の痛みも取れず、夜もよく眠れません。
横田早紀江:(診察用ベッドに横たわって)こういうじっとしてるのが痛いんです。(右肩に手を当てて)ここが痛いんです。
ナレーション(男):娘を取り戻したい。それだけが願いです。
横田早紀江:気持ちの上ではもう、いつになったら解決するか分からないしね、だけど、もう出来るだけのことしないと、最後まで。もう倒れても、それは私の人生ですから。出来るだけのことをして、もう何にも悔いの無いまですれば、もう、いつどうなってもいいと思ってますから。それはもう始めから覚悟して動いてますから、それはいいんですけど、やっぱり解決しないきゃいけないって思いがね、あるんですよ。
スタジオ
国谷裕子:今夜は、横田滋さん、早紀江さんにお越し頂いてます。本当にいつも毅然として活動を続けている姿を見ていただけに、こうやって病気になられたり、或いは、疲れが取れにくくなったり、本当にいつもギリギリのところで活動をされていらっしゃるということで、滋さん、今、体調は如何ですか。
横田滋:もう、ほぼ元に戻りつつありますが、まだ完全ではありません。
国谷裕子:かたや腕の痛みで眠れない…。
横田早紀江:なんか五十肩のようなものだと思うんですけど、ちょっと肩の腱が炎症を起こして、それが放散痛みたいに、こちらの方が全部痛くて、少しずつ注射をしてよくなってはいます。
国谷裕子:ともに体を酷使していらっしゃいますよね。
横田早紀江:何とか頑張らないとですね、ここまで全国の皆さんに、本当に沢山の方にご支援頂いて、本当にここまで拉致問題が見つめられるようになりましたから。最後まで頑張らないと、と思ってます。
国谷裕子:ご夫妻にとっては本当に大事な大事なお写真を、今日いくつかスタジオの方に持ってきたんですけれども、殆どが滋さんがお撮りになった写真で、その中で一番お好きだと先ほど伺ったのが、あちらの、めぐみさんが弟さんをキスしている…。
横田滋:そうですね。めぐみは、友達が殆ど下に弟や妹がいる方が多くて、どうしても早くめぐみのところも赤ちゃんが欲しいって、いつも言ってましたんで、生まれた時はとっても喜んでました。これはちょっと生まれた直後ではありませんけど、いつでも弟達を可愛がっていました。
国谷裕子:色々な写真として印象的なものがあるんですけれども、特に何か、私が印象的だったのは、この海を見つめている4人の、このお姿なんですけど。これは新潟の海を?
横田早紀江:そうです。
国谷裕子:引っ越した直後に?
横田早紀江:そうですね。すぐ近かったんですね、うちがね。それで海が近くて、海の近いところに住んだことがありませんし、そんなにすぐに海が見られるっていうのも珍しいことで、子供達も、もう引越しの荷物もまだ全部できてない内に「早く見に行こう」って言ってですね、皆でやいやい言うもんですから、とにかく一回見に行こうっていうことで、皆で見に来たところです。
国谷裕子:でも、その海の向こうに。
横田早紀江:は、そうなんですよね。まさか、そんなところにね、連れて行かれるなんて思ったこともないですからね。いつも、だから、あの海を見るとですね。海までも見るのがつらくて、新潟の海は本当に見るのがつらいですね。
国谷裕子:何か、こう、海だけではなく、こう、色んな風景…。
横田早紀江:そうですね。写真を見ると、もう本当に。ブランコにぶら下がってる、あれなんかも、タオルで私が、タオルの柄を利用して切って、さあっとミシンで作ったんですけど。色んなものをみんな見ると、その時のほんまの雰囲気ですね、風の感じとか、何を話してたとか、みんな、こう、昨日のように思い出しますね。
国谷裕子:それだけに写真を公開することに躊躇いが、やっぱり大きかったですか?
横田早紀江:ええ、やっぱりね。
横田滋:それは、やはり、私達にとってみれば非常に大事な写真ですけど、一般の方が見た場合、さほど何て言いますかね、興味を示さないかもしれないと思って、それで、どれくらいの方が見て下さるかってことは、初めちょっと懸念しましたんですが、実際は想像する以上に多くの方が足をお運び下さいまして、感謝しております。
国谷裕子:でも見るのはつらい。
横田早紀江:そうですね。もう、本当に見るのがつらいもので、新潟もそうですけど、過去のね、平和な時のね、見ると、今の彼女の状況とかを考えたりするとね、本当にもう堪らない思いになるんで、もう何でもかんでもが見るのがつらいですね。あらゆるものがね。
国谷裕子:しかし、公開してみると、今では「写真展を開催させて欲しい」という申し出が相次いて、15万人の方が足を運んで、物凄い、こう、メッセージを発している。
横田早紀江:そうですね。これは、ただ、たまたま、めぐみの写真展として、すぐお隣の方が言って下さったことから始まったんですけれども、やっぱりこの拉致問題っていうことが、どの御家族も、拉致された人全部が、このような時代があって、こんなに平和だった人達が、どれだけ多くの人がこんな目に遭ってるのかっていうことを表してるわけですから、私達はめぐみのことだけじゃなく、もう特定失踪者も含めて、本当に多くの方があんな目にあってるんですよってことを訴えています。
国谷裕子:ただ、拉致ということが中々理解されない時期が長かっただけに、こうやって今、写真っていうのを通して「私達にも開かせて下さい」っていうような機運が盛り上がってきて、まあ、あの、皆さん、ご両親の方々、高齢化してきてる中で、こう自然に動き始めたっていう、この動きってのは物凄く勇気付けられるものではありませんか?
横田滋:そうですね。やはり解決のためには、やっぱり世論の力ってのは非常に大きいわけです。しかし、現在は政府も一生懸命やって下さいますし、それから世論も高まってきた。それから、国際化もしまして、国際的に北朝鮮への包囲網が狭まってきたり、北自身も非常に困窮しているような状態ですから、今年は何か動くんではないかという期待は持っております。
国谷裕子:本当に、その、倒れるまで、先ほどおっしゃってましたけれども、出来るだけのことをして思い残すことは無いようにしたいっておっしゃってましたけれども。
横田早紀江:そうですね。本当に、あの子供達のことを思えば、何とかしてあげないと、私達はまだ自由がありますから、出来ることが何でもありますから、その間は頑張って、早く自由にしてあげたいと、みんな自由にしてあげたいと思っております。
国谷裕子:本当にめぐみさんをはじめ被害者の方々に、親達がこれだけ頑張ってることを、本当に知らせてあげたいですよね。
横田早紀江:そうですね。何か伝わってるといいんですけどね。
国谷裕子:はい。どうも、お体に気をつけて。
横田早紀江:ありがとうございました。
横田滋:ありがとうございました。
横田早紀江:また宜しくお願い致します。
国谷裕子:ありがとうございます。今夜は、拉致被害者の家族の方々の思いを見つめました。今週はこれで失礼致します。
【25:58】



クローズアップ現代の動画は、まだ『檀君 WHO's WHO』さんのlibraryで見られますよ。
http://kamomiya.ddo.jp/
番組内容に関しては、2002.9.17から4年を経て、改めて日本人拉致事件を全国放送で訴え、救出活動の機運を高める意義はあったと思います。ただ、横田さん夫妻や高齢化が進む他の拉致被害者家族の方々を前面に立てる救出運動の在り方でよいのか、「被害者の親として最も若い横田夫妻ですけれども」というNHK側の伝え方では、拉致問題から特定失踪者の問題が切り離されてしまうのではないか等、手放しで喜べる内容ではありませんでした。
また、説明不足の感もありました。例えば、横田早紀江さんに手作りのブローチを送り続けている小貫絢子さんのくだりは、拉致被害者家族と支援者との交流という美談のみならず、支援者の高齢化による体の不自由についても語られている場面です。支持者もまた年月を経れば高齢化するように、拉致被害者家族も高齢化し、健康を損なっています。この二つの「高齢化」を重ねて伝えることで、時の経過(9.17からの4年間、横田めぐみさん拉致事件から29年)を強く感じさせられた点は興味深かったです。けれど、その高齢化という現状、事実を伝えるだけで、そこから先を考えさせるアナウンスはありませんでした。
5年目に入る拉致被害者救出運動は、これまで通りの在り方でよいのか。いつまでも今まで通りの同情や憤りベースによる救出活動でよいのか。その点を国民に突きつけるようなアナウンスがなかった以上、それは本放送を観た者それぞれが考えるしかないのでしょう。関連して参考になるリンクを挙げておきます。御一読頂ければ幸いです。
(2006年09月14日)荒木和博BLOG:クローズアップ現代
http://araki.way-nifty.com/araki/2006/09/post_c4fd.html
(2006年09月14日)くちなし日記:横田夫妻NHKに出演
http://kuchinashi.livedoor.biz/archives/50495986.html
(2006年09月17日)話の花束:4度目の9・17に想う
http://piron326.seesaa.net/article/23884779.html
(2006年09月17日)Blue jewel:ブルーリボン80%が実現しない理由
http://blue-jewel-7.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_c67c.html
(2006年08月21日)Blue jewel:家族を前面に立てない戦い
http://blue-jewel-7.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c0ca.html
早速拝見させていただきました。
2つの「高齢化」については一番心配な問題です。拉致被害者本人と残された家族が生きているうちに再会できなければ、それは帰還できた喜びと共に肉親と再会できなかった悲しみが大きくなってしまうと思いますし、支援者の問題にしても耳が痛いものが(ブルーリボン運動の広がり)あります。もっと家族の方々に代わって若い人間が動かなければならないのですね。
自省もこめて番組を拝見させていただきました。
これからの拉致被害者救出運動は単に個々の情報に対して情緒的であるのではなく、ある外交政策を支持することによって、どのような国際情勢が現出するのか、北朝鮮および周辺五カ国にどのような影響が出るのか、そして、それは拉致被害者救出という目的に如何なるメリット・デメリットを及ぼすのか、を具体的に考えていかなければならないと思います。
強硬論を説くにも穏健論を説くにも、その実施後の状況を想像しなければなりません。想像といっても妄想に陥ってはならないので、そこは仮定であっても類推させる事実をソースに基づいて積み重ねなければなりませんが、そういう思考実験が国家の北朝鮮政策を吟味する際の国民の覚悟に繋がると思います。
その一方で、この問題が我々国民と日本国の永年の不作為に因って複雑化したところもある以上、支持団体の一部の運動方針に違和感を覚えても、それはそれで問題点を指摘するとして、拉致被害者家族・特定失踪者家族に対しては出来得る限り支援し、彼らにばかり頼らない救出活動を展開しなければならないのだと思います。
と、拉致問題を考えると気持ちが重たくなりがちですが、先ずは、自分に出来ることから考えて、支援していくことでしょうね。