2006年09月08日

2016年オリンピック招致活動を巡る暴言の応酬

 2016年オリンピックを誘致するために、先日まで東京都と福岡市が国内候補地の選考で競っていた。この件に関して、石原慎太郎東京都知事と姜尚中東京大学教授の間で、あるやりとりがあった。

(2006年08月30日)朝日:姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発 「怪しげな外国人」(リンク切れ)
2006年08月30日23時44分
 五輪の国内立候補都市を巡り、石原慎太郎・東京都知事が、福岡市の応援演説をした姜尚中・東大教授に激しく反発、「怪しげな外国人」などとかみついた。

 姜教授は演説で「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックで、世界に勝てますか」と東京を批判。すると、続く東京側のプレゼンテーションで石原知事が「さっき、どこか外国の学者さんが東京は理念がないとおっしゃっていた。何のゆえんだかわかりませんが」と発言。その後の祝賀パーティーのあいさつでも「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」などと述べた。

 姜教授は在日韓国人2世で、熊本で生まれ育った。


 これに対して、斎藤貴男氏が下記記事にて怒りを露わにしている。

ゲンダイネット:【斎藤貴男「二極化・格差社会の真相」】
(2006年09月04日)もはやチンピラ小学生以下の石原暴言


 さる8月31日、2016年五輪の国内候補地に東京都が選ばれた直後の祝賀パーティー。投票の前に福岡市の応援演説を行ったばかりの姜尚中(カンサンジュン)・東京大学教授(政治思想史)について、石原知事は「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」と言い放ったのである。

 よほどの暴言を吐かれた相手でもあるのなら、売り言葉に買い言葉も結構。だが、姜教授の演説は、当然しごく合理的な指摘以外の何物でもありはしなかった。


 石原都知事は時々こういう軽率な発言をする。オリンピックの国内候補地に立候補しているということは、オリンピックを招致して、多くの外国人に東京に来てもらおうということである。そうであれば、仮に姜教授が実際に「怪しげな外国人」であったとしても、これは言うべきことではない。東京都が、今後、他国の都市との招致合戦に勝利し、2016年東京オリンピックが開幕したとして、「お前は怪しげな外国人」「貴方は立派な外国人」と誰が判断するのか。オリンピック招致の目的と趣旨に反する。

 石原都知事と姜教授の平素の発言・思想の違いを知っている人であれば、両者のやりとりを幾分冷静に眺めることも出来るであろう。しかし、そういう事情を知らない外国人にしてみれば、そして、オリンピック観戦でやって来る外国人にとってはスポーツ観戦が主であって、その次には観光目的であろうから、開催都市の首長の、こういう内と外の意識を前面に出すような排他的な発言を耳にすると、いい気はしないであろう。内輪向けの共感を狙った発言で、特定の人物へ向けた言葉であったとしても、用いる表現によってはその他の多くの人達を傷付ける。姜教授を批判するにしても言葉は選ぶべきであろう。

 他方、斉藤氏が言う「売り言葉に買い言葉も結構」という点については、個人的には興醒めであるが、そう考える人がいること自体は分かるし、実際そういう状況はしばしばある。では、斎藤氏が「当然しごく合理的な指摘以外の何物でもありはしなかった」という姜教授の発言とは如何なるものなのか。本当に妥当なのか。同記事には以下のようにある。

「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックで、世界に勝てますか」「国威発揚のための五輪は否定すべきだ」うんぬん(朝日新聞、フジサンケイビジネスアイから引用)。


 朝日記事に関しては既に冒頭で紹介しているので、ここではフジサンケイビジネスアイから引用する。

(2006年08月31日)FujiSankei Business i:16年五輪国内候補 東京に決定「人間力」退けた「財政力」
 ■福岡のプレゼン“空回り”

 果たして“東京優位”の下馬評を覆せるか。国内候補都市選びに向け、最後のアピールとなったプレゼンテーション。劣勢とされた福岡は、相手の泣きどころを突く戦術にも出たが、逆に自らの弱点をカバーする説明が足りず、善戦したものの逆転はならなかった。

 福岡のプレゼン終盤、親アジア派の論客で知られる姜尚中東京大学教授が登壇。「金持ちの東京に理想があるのか。国威発揚の五輪は否定すべきだ」と訴えた。2008年北京五輪を「ヒトラーのやったベルリンのオリンピックに似ている」などとしていた石原慎太郎東京都知事への“批判”もにじませた。この後も、韓国の高校生や秋葉忠利広島市長らの応援メッセージを交え、五輪の理念でもある「平和の祭典」を強調した。


 これらの記事から伺える姜教授の主張には、理解に苦しむものがある。姜教授の主張は、「金持ち」による国威発揚型オリンピックの否定である。そうであれば、東京都にしても福岡市にしても、開発途上国の都市から見れば、いずれも「金持ち」都市に変わりはない。この点は、大阪や名古屋、横浜、札幌という日本の主要な都市であっても同様である。

 姜教授としては、国内候補地が東京都と福岡市に絞られ、どちらかといえば福岡市の方が「金持ち」ではなく、福岡市が位置的に東京都よりも他のアジアの国々に近いこと、平素からの反石原という姿勢、等々の理由から福岡市を支持したのであろう。だが、姜教授が自説を貫徹するのであれば、「金持ち」の国威発揚型オリンピックは2008年の北京オリンピックを最後に止めて、新たなオリンピックの可能性を模索する提言を行うべきである。


 国威発揚型オリンピックへの批判の一つに財政上の問題がある。福岡市の場合、招致活動費だけで2億円超もかかったとも言われている。福岡銀行頭取は誘致に消極的な発言をしていたし、市民オンブズマン福岡は誘致に否定的である。

(2006年09月08日)西日本:福岡市 五輪招致費3500万円超過 他事業の剰余金から流用
 福岡市が国内候補都市選考で東京都に敗れた2016年夏季五輪招致で同市は7日、招致活動費が予定していた約1億9800万円を上回る見通しとなり、不足分の約3500万円を他事業費の剰余金から流用して賄うことを明らかにした。招致活動費は総額約2億3300万円となる。

 市オリンピック招致準備事務局は「予算流用は地方自治法で認められており、議決された予算の過不足を補うもので問題はない」と説明。一方、招致反対団体は5月に、05年度に約4800万円を他予算から流用したのは違法として、山崎広太郎市長に招致活動費を市に返還するよう求める訴訟を福岡地裁に起こしている。

 市は招致活動を開始した05年度には予算を計上しておらず、他事業費の剰余金を充てる予算流用で支出。06年度は当初予算で招致活動費約1億5000万円を計上した。

 しかし、市は「計画内容で東京都を上回るには実現性に説得力が必要」として開催概要計画書に掲載する設計図面などを充実させ、設計費などがかさんで予算をオーバー。不足分は、競争入札を行った他事業の予定価格と落札価格の差額を流用することにした。


(2006年04月28日)西日本新聞:福岡五輪[費用負担に慎重姿勢 福銀頭取 「民間に…根拠不明」 福岡五輪]
 福岡銀行の谷正明頭取は27日の定例会見で、福岡市が試算した五輪招致に必要な再開発費の民間負担について「地元企業が町内会費を払って入るような事業規模ではない」と、費用負担に慎重な姿勢を示した。

 同市はメーン競技場や選手村を置く計画の天神北部の「須崎埠頭(ふとう)」再開発などの総事業費を約4800億円と試算。市の負担額は約970億円で、約3000億円を民間負担としている。

 谷頭取は「埠頭の再開発計画に蓋然(がいぜん)性がないと、五輪招致も成り立たない」と指摘。その上で「市の負担額に上限を決め、あとは民間とした根拠が不明。民間といっても、どこが主体となってリスクを取るのか決まらないと判断しようがない。今まで失敗した3セクのような発想ではできない」と語った。

市民オンブズマン福岡 11月例会議題  2005年11月18日 於:福岡市NPOボランティア交流センター


 斎藤氏は姜教授の主張を「当然しごく合理的な指摘以外の何物でもありはしなかった」と評価しているが、本当に姜教授の主張を精査したのであろうか。はじめに反石原という視点ありきという印象を受ける。姜教授の主張の妥当性については、石原都知事発言とは分けて論じるべきである。

 斎藤氏の文章に戻る。

 それでも気に入らない私情を、このご仁はこれっぽっちも抑えることができない。最低最悪の差別主義者には、そもそも在日コリアンの存在自体が許せないのだろう。チンピラ小学生以下の精神年齢を平気でさらけ出して恥じない老人の存在は、これはこれで珍しい見せ物でもあるけれど。

 姜教授は在日コリアンであるが、私は石原都知事発言の問題点は、対象が在日コリアンであることに留まらないと考える。この発言は日本に在留する外国人、及び、これから来日する外国人への問題を含む。姜教授を意識した発言であっても、批判するに当たっては在日コリアンに限定する必要を感じない。

 尤も、斎藤氏が指摘するように、在日コリアンである姜教授が相手であったからこそ、石原都知事は「怪しげな外国人」発言をしたではないか、という可能性と問題点はある。ただ、石原都知事は時々、この種の軽率な発言をしている。その幾つかについてはメディアによる捏造や歪曲であったり、その部分だけを殊更、大きく伝えるものであったりするが、それを差し引いても幾つかの軽率な発言が記憶にある。それら過去の失言を鑑みれば、相手が在日の中国人でもブラジル人でもイラン人でも石原都知事なら言うのではないか、と思う。だから、この件でも「怪しい外国人」の対象を在日コリアンに限定する必要を感じない。


 一部の関係者たちが囁いているような、JOCと東京都との出来レース疑惑はさておくにせよ、福岡市には直前の不幸もあった。飲酒運転の市職員に追突されたRV車が博多湾に転落し3人の子どもが亡くなった事件。ために応援決起集会も自粛せざるを得なかった悲劇を承知していたら、それだけではしたない狂喜乱舞は慎んでみせるのが人の道でもあるだろうに。

 JOCと東京都の間に裏の取決めがあったというならば、その疑惑こそジャーナリストとして追及すべきであると思うが、そこは「さておく」ことにするらしい。今回の記事の本題ではないから、紙幅の関係上、その点は已むを得ないとしよう。しかしながら、飲酒運転の上で追突事件を起こし、子供3人を死なせた福岡職員に対する福岡市側の決起集会自粛という対応に、東京都側も喜びを自粛せよというのは何の因果関係があってのことか。五輪招致運動と福岡市職員の非道は別問題である。斎藤氏は反石原を前面に出そうとするあまり、論点の整理が付いていないのではないか。


 確かに、東京都知事という立場で、かつ、オリンピック招致を考えている者が「怪しい外国人」という発言をするべきではなく、「そうした発言を公の場ですることが許容される社会通念を定着させるべきではない」という斉藤氏の主張には同意する。

 しかし、斎藤氏にしても姜教授の主張を精査することもなく姜教授に賛同しているのではないか。その上で、「最低最悪の差別主義者」「チンピラ小学生以下の精神年齢を平気でさらけ出して恥じない老人」「珍しい見せ物」「くだらな過ぎるゲス野郎の妄言」と、ここまで散々、罵詈雑言を並べている。

 姜教授の主張に賛同するのであれば、姜教授が抱える矛盾点からも目を反らすべきではなく、また、石原都知事の暴言に暴言で応えるようなことは、責任ある言論人であれば控えるべきである。この二つの過ちを夕刊紙で堂々と行うことが許容される社会通念もまた定着させるべきではないと考える。


 このゲンダイネットの記事からは、他人の思考に引き摺られて自説の説得力を低下させる三氏の姿が浮かび上がってくる。

 ・反石原のために開発途上国ではなく福岡市への誘致を主張する姜尚中教授。
 ・反姜尚中のためにオリンピック招致の目的と趣旨を忘れる石原慎太郎都知事。
 ・反石原というだけで姜教授に賛同し、石原都知事の暴言に暴言で応える斉藤貴男氏。

 斎藤氏に関しては、日刊ゲンダイの購読者層がこの種の放言を好むと判断して意識的にそういう書き方をしたのかもしれないが、一般人から見れば「政治の世界は右も左も怖い人ばかり」と萎縮させ、国民の政治離れ・政治思想離れを助長するだけだと思う。

 勿論、放言を認めないということではない。放言もまた表現であるから、場と使用法よっては話を盛り上げる効果がある。お行儀のいい表現しか認めないという潔癖さを奨励するつもりもない。ただ、暴言を批判する文章で暴言を積極的に用いる手法は、相手に同じ痛みを教える意図であれば、石原都知事のように度々暴言を発するものには効果は薄く、その支持者や読者の石原離れを促す意図であれば「どっちもどっち」という印象を与え、まともに取り合って貰えなくなる。とすると、自説の説得力を低下させてでも石原都知事の政治生命および政治的影響力を低減させようという、私には計り知れない深謀遠慮があってのことであろうか。


 ところで、斎藤氏の記事中に「チンピラ小学生以下の精神年齢」という表現が出てくるが、「チンピラ小学生」という言葉は私には聞きなれないものであった。「チンピラ、小学生以下の精神年齢」と捉えると、チンピラと小学生が同格になる。さすがに、これはあんまりな発言なので「チンピラと称される人々の悪業に比肩するような悪質な小学生」と想定したとしても、わざわざ小学生を類例として用いる必要を感じない。その場合、チンピラ以下の精神年齢で足りる。

 私の知らないところで「艶男(アディオス)」や「艶女(アデージョ)」のように「チンピラ小学生」という言葉が流行しているのだろうか。それとも「素行がチンピラで、かつ、小学生以下の精神年齢」と言いたかったのか。いずれにしても、斎藤氏の思考と語彙力、言語センスがよく分かる表現だと思う。そして、この記事は次の段落で締めくくられる。
 石原知事の支持者に言いたい。あなた方は本気でこの外道に共感しているのか。それはそれで自由だ。だとしたらしかし、もう人間であることをやめた方がいい。衷心から忠告させていただこう。


 なお、記事末尾の著者の経歴を記した部分には、斎藤氏の著書が三点挙げられている。
▼斎藤貴男(さいとう・たかお) 1958年生まれ。早大卒。イギリス・バーミンガム大学で修士号(国際学MA)取得。日本工業新聞、プレジデント、週刊文春の記者などを経てフリーに。「機会不平等」「『非国民』のすすめ」「安心のファシズム」など著書多数。

 この三作が斎藤氏の代表作なのかもしれないが、石原都知事の発言について言及した記事なのだから、石原都知事について論じた著作が挙げられていないのは残念である。

Wikipedia:斎藤貴男
>『空疎な小皇帝――「石原慎太郎」という問題』(岩波書店、2003年/筑摩書房[ちくま文庫], 2006年)
posted by sok at 06:00| Comment(3) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもながら見事な分析ですね。
反石原のために・・反姜尚中のために・・反石原という点で姜教授の主張に賛同し、・・のくだりはなるほどと感心いたしました。オリンピック誘致という本来の目的を忘れて相手を叩いている三氏の姿が良くわかりました。まあ石原氏はいつもあんな感じですが、作家のはずなのに言葉の重みがわかってないのかも・・といつも感じております。
Posted by ぽんきち at 2006年09月08日 20:59
 ぽんきちさん、コメントありがとうございます。

 三者とも仲間内や論争相手、論壇を意識し過ぎですね。その向こうには読者や選挙民といった国民がいることを自覚して欲しいです。相手に引き摺られて本題を忘れてしまっては本末転倒だと思います。

 本日記では三者に共通する問題点を摘示するという構成をとっていますが、斎藤氏の暴言を指摘することで石原氏の暴言が相殺されるわけではなく、発言の重さは地位と影響力の大きさに応じて異なります。首都の首長である石原氏と最高学府に所属する学者である姜氏と一ジャーナリストである斎藤氏では、石原氏が最も自制が求められる立場にあります。

 今回、石原氏は、失言による辞任が強く要求されない時代状況と批判者側の質という二つの要因に救われたように思います。しかし、そういう他者や状況に依存した態度では、いずれ取り返しのつかない事態にもなりかねません。石原氏には、今回の件が大事にならなかったとしても、これを機会に自身の役職に応じた発言の重みについて考えて欲しいものです。
Posted by sok at 2006年09月10日 12:05
 先日、楽天blog『この広い空のどこかで今日もいい日旅立ち』のcats presidentさんから頂いたTB「時代はめぐれども若くて悪くて向こう見ずの感性!」ですが、アドレスが無効だったのでこちらに貼っておきます。石原慎太郎氏の主演映画『危険な英雄』についての記事です。

(2006年09月19日)この広い空のどこかで今日もいい日旅立ち:時代はめぐれども若くて悪くて向こう見ずの感性!
http://plaza.rakuten.co.jp/great280/diary/200609190000/


 自己レス。石原都知事といえば、また「三国人」発言。

(2006年09月16日)朝日:石原知事、また「三国人」 治安対策めぐり発言
http://www.asahi.com/national/update/0915/TKY200609150434.html
(2006年09月20日)朝日:石原知事「三国人」発言の撤回と謝罪要求 人権擁護団体
http://www.asahi.com/national/update/0920/TKY200609200428.html
Posted by sok at 2006年09月21日 21:32
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Excerpt: 先ほど「ザ・ワイド」で小学生相手に「総理大臣になって欲しい有名人」というの聞いて回ってまとめる、というをやっていましたが、一位になったのは爆笑問題の太田光でした。 うーん。単なる小学生の浅知恵と..
Weblog: 桜日和
Tracked: 2006-09-08 18:28

時代はめぐれども若くて悪くて向こう見ずの感性!
Excerpt: 石原慎太郎主演作品『危険な英雄』、鈴木英夫連続上映。石原慎太郎映画関連は、こんなにある! 資料整備されたし。
Weblog: この広い空のどこかで今日もいい日旅立ち
Tracked: 2006-09-19 11:12
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