日記で取り上げて下さった方々
(2006年08月26日)成城トランスカレッジ!さん
(2006年08月27日)kmizusawaの日記さん
(2006年08月27日)愛・蔵太の少し調べて書く日記さん
(2006年08月29日)RinRin王国さん
(2006年08月29日)冬枯れの街さん
(2006年08月30日)クローン人間現るッッッ!!の巻きさん
(2006年08月31日)満目蕭条さん
(2006年09月01日)あんた何様?日記さん(9月3日追記 関連して本文末尾にも追記しました)
ありがとうございました。こういうものは、いつ自分が引っ掛かるか分からないので、過去の事例を記録することで予防策とするのも一手ではないかと思います。
JANJANの森下泰典記者の記事にも取り上げて頂きました。ありがとうございます。今回の記事は、関東大震災のあった9月1日を前に、在日朝鮮人に関するデマを特集したものということですが、次の機会には、リベラルな気風のJANJANには、むしろ革新系ブロガーが引っ掛かったデマを中心に記事を書いて頂きたいものです。その方が、オーマイニュース始動後のJANJANの在り方としても意義があると思います。
(2006年08月27日)「流言蜚語に要注意!!」防災の日を前に贈る言葉
蛇足かもしれませんが、はてなブックマークのコメントに対して少し補足しておきます。
日記で取り上げた事例の中には保革に関係なく多くの方が引っ掛かったものもあるかもしれません。しかし、敢えて「保守系ブロガーが引っ掛かったもの」という視点から纏めました。自分と親和性の高い意見の人達が、易々とデマに引っ掛かる様は見るに堪えないから、そういう人達が引っ掛かった事例を集めて戒めとしました。
本blogの開設も、元はといえば保守系blogや掲示板を巡回していて、北朝鮮人権法案に関するデマに保守的な人達が軽々しく乗っている点に違和感を覚えたことがきっかけです。その違和感は、韓国人拉致被害者・金英男さんを批判する保守系の書き込みが思った以上に多かったことで確信に変わりました。現在の一部の保守言論は異常である、と。拉致問題を肴に嫌韓反中や反反日で盛り上がりたいだけではないか、と。
はてなブックマークには「保守に限らず誰でもそうだろう」という意見があり、その指摘はまさにその通りです。デマに引っ掛かる人に保守も革新もありません。しかし、そうして全体化してしまうと、自分のこととして受け止めない人が今の保守派には多いのではないか、という懸念がありました。よって、保守派限定にしました。但し、アクセス解析を見た限りでは、現在のところ、普段からデマに注意していそうな方を中心に注目されているようなので、意図した効果はなかったかもしれません。
「革新派が引っ掛かったもの」について除外している理由としては、ネット上の革新言論が拉致問題に殆ど無関心であるという事情もあります。稀に拉致問題について取り上げていることがあっても、その取り上げ方は保守言論への反証事例として使用するに留まります。個々の問題において保守より革新の方に説得力を感じることも少なくないですが、こと拉致問題に関しては、革新的な人達の言動には冷淡を通り越して悪意さえ感じます。したがって、革新派への関心はどうしても低くなり、「革新派が引っ掛かったもの」を一々論うよりは、保守派の堕落に歯止めをかけることに関心が向かいます。「革新派が引っ掛かったもの」については、革新的な主張と親和性の高い意見を持つ方々が行うべきことだと思います。
革新的な人達を拉致問題解決から遠ざけてしまう一因として、宮台真司氏が丸激トーク・オン・デマンド第280回で指摘している「論点の抱き合わせ化」の問題があると思います。拉致問題、憲法改正問題、靖国参拝問題、死刑存廃・厳罰化論議、その他。保守ならこちら、革新ならあちら、そういう色分けの中に拉致問題も組み込まれている現状があります。保守的な人達の振る舞いが、革新的な人達の中でも対話可能な方々を拉致問題から遠ざけている可能性が考えられます。そして、例えば、拉致被害者を支援する一部の団体の主張も一因になっているのではないか、と思います。勿論、逆に一部の革新派の振る舞いが対話可能な保守的な人達を彼らの関心事から遠ざけている可能性もあるでしょう。
『きっこのブログ』さん(以下、きっこさん)を除外しているのは、主に3つの理由からです。第一に、“保守系ブロガーがひっかかったもの”に限定したから。第二に、きっこさんの煽りは一々挙げればキリがないから。第三に、きっこさんは過去にパチスロをしていることを「経済制裁」と称して正当化していたから。朝鮮総連系のパチンコ店に金を落とさない意思があるならば、朝鮮総連系店舗で遊ばなければよく、そのような主張をすればいいです。遊戯は遊戯と割り切るのであれば、下らない正当化は不要です。拉致問題で言葉遊びをしている人を一々取り上げる気になりません。私の興味の対象外です。同様の理由から除外しているサイト、blogもあります。
(2005年09月03日)きっこのブログ:確変ドライアイ
以上、私が「保守系ブロガーが引っ掛かったもの」に限定した理由です。限定はしていますが、本当に重要なのは、ブックマークのコメントでsaikeさんが指摘されていることだと思います。
2006年08月26日 saike web,メディア,社会 マスコミのバイアスには敏感だけど自分のバイアスには鈍感な人が多いんだろうな
個人的には、essaさんのコメントが良かったです。
2006年08月29日 essa Uncategorizable Bookmark 私もこういう時に取り上げてもらえるようになりたい。
【9月3日追記】
(2006年09月01日)あんた何様?日記:風説の流布
9月1日に名塚さんの日記『あんた何様?日記』で取り上げて頂きました。ありがとうございました。2日には過去最高のアクセス数になりました。はてなブックマークに取り上げられた際には、主に、愛・蔵太さんやchikiさんのような普段から情報の取り扱いに関心の高い方、或いは、反保守な気風の人のアクセスしかなかったのですが、今回、名塚さんに取り上げて頂いたことで、本来の意図(「自戒+α」のαの部分)を達成することが出来ました。
真贋不明な情報に引っ掛かってしまうことに関しては、更新頻度と思考を纏める速度も関係しているように思います。私のように考えを纏めるのに時間のかかる人間は、思考している間にメディアリテラシー能力の高い方々が情報の出所等を調査されて、結果的にデマを回避できている部分もあると思います。したがって、引っ掛かってしまったこと自体よりも、その体験から得られる“情報との付き合い方”にこそ目を向けるべきであろうと、月並みながら思います。
近年、保守的言説に目覚めた方、例えば、ネット上で「ネット右翼」とレッテルを貼られてしまう方の中には、2002年の日韓W杯および同年9月17日の日朝平壌会談前後のメディア報道の在り方に違和感を持ち、それを契機にそれまでの考え方を改められた方も多々いると思います。私もその一人です。その後の一つの現象として「嫌韓」という現象がありますが、嫌韓現象は、その実、反マスメディアという側面が大きいです。それは、2002年という年が一つの転換点であったことを考えると明らかであろうと思います。その点では、香山リカ氏の“ぷちナショナリズム”論というものは、日韓W杯やオリンピックというスポーツの祭典に注目するばかりに、日朝平壌会談を軽視するものであり、ナショナリズム論として妥当な説とは思えません。
しかし、反メディアと言っても、インターネットもまた巨大なメディアであることを考えると、単なる反メディアに終始するのではなく、情報とは何か、情報との向き合い方が問われているのではないかと思います。政治的意思決定に際して、マスメディアの流布する偽情報も、ネット上に蔓延する真贋不明な情報も、個人の自由な意思決定の阻害要因である点では変わりありません。
1991年12月25日のソ連崩壊から約15年、2002年9月17日の日朝平壌会談から約4年が経ちます。ネット言論のメディアを監視する側面は今後も存続することでしょう。それはそれで今後も重要な機能を果たすことでしょう。しかし、単なる反メディアという姿勢、または、保革対立的発想だけでは、国内問題についての見方も国際情勢についての見方も硬直化させてしまうのではないか、と危惧します。その思考の硬直化や論点の抱き合わせ化現象が、個々の現実問題への解を探る阻害要因とならないように、ネット上の情報との向き合い方について、時々は自戒をしてもいいのではないか、と考えます。
とはいえ、私の中にも、保革対立的発想は以前に較べてかなり少なくなったとはいえ、依然として存在します。また、そういう二項対立を頭の中に描くことが全く無意味であるとは思いません。世に存在する言論を、頭の中で二つ三つに振り分けることは、思考の際の補助線になります。しかし、長年更新されないままでは、補助線のはずの二項対立が思考自体を硬直化させます。
先日の日記では、自身への戒めとして保守系に限定しました。しかし、その趣旨自体は保革に関係なく通用します。拙日記を読まれる方まで、私の中に残る保革対立的発想に付き合う必要はありません。ネット上の情報に接する際の留意点くらいに受け止めて頂ければ幸いです。
※本日記は、9月3日の追記に伴って改題しました。
変更前:拙日記を取り上げて頂き、ありがとうございました。
変更後:「ネット言論とメディアリテラシー」を保守系限定で纏めた理由
※2007年1月14日、題名を短くしました。
変更前:「ネット言論とメディアリテラシー」を保守系限定で纏めた理由
変更後:拙日記「ネット言論とメディアリテラシー」について
強制連行とか従軍慰安婦とかは革新派がひっかっかったという言い方もできなくもないですが、連中の態度はだまされたのを反省していると言うより嘘がばれてしまった、ないしはばれている嘘を取り繕うのに必死であるとしか見受けられません。
拉致に関する連中の態度を悪意があるというのは全く持ってその通りだと思います。
人権が好きな連中が、無視ならまだしも無駄とか言っているのを見ると憤りを覚えます。
ただ、革新派の拉致に対する無関心さを外部要因的が原因であるというのは、そういう点もなくはないでしょうがかなり好意的な見方だと思います。
そもそも連中の掲げているお題目が理念ではなく手段でしかないと考えれば、北朝鮮にとって都合が悪いという理由で拉致問題を無視ないしは妨害できるもさもありなんです。
連中の掲げる平和や人権が連中の都合で好き勝手にできる表面的なものでしかないということです。
「論点の抱き合わせ化」の影響については、あくまで是是非非で考えられる対話可能な中道左派の方々を想定しての記述です。「論点の抱き合わせ化」の影響は一因だと思いますが、それが原因の全てだとは思いません。彼らにブレない人権思考が出来るならば、他の論点において保守系の意見に賛同しなくとも、家族会の中の強硬論に賛同しなくとも、救出活動において協力できることはあるはずです。ネット上での主張においても、自身の歴史観・倫理観に遵った、具体的かつ妥当な解決策を思案できるはずです。このblogでは強調文字は殆ど使わないので、分かり難かったら申し訳ありません。そして、金正日独裁体制を擁護し、拉致を相対化するような人達は論外です。そういう人達には、何を言っても無駄だと思います。
拉致事件については、一旦、他の事案とは絡めずに、人権という観点から整理できないものか、と考えています。人権という言葉を使うと、旧社会党の唱える胡散臭いものと捉える保守派の方々もいますが、9.17以降の革新派の凋落は、彼らが人権という言葉を二重の基準で利用していたことが明らかになったからです。つまり、旧社会党や進歩的知識人への批判もまた、人権尊重という価値観によって行われています(勿論、反マスメディアや欺瞞への嫌悪、同胞救出や民族の受難等々の視点と絡めての批判もあるでしょう)。
反左翼という他律的な思考が過ぎると括弧付きの「人権」を嫌う余りに、括弧無しの人権まで胡散臭く捉えてしまう虞があります。しかし、今後、国際社会に拉致問題を訴えかけていく機会はより増えていくと思いますが、その際には、この人権尊重の観点も有効であると考えます。11月25日からは、カナダ人監督による映画『めぐみ−引き裂かれた家族の30年(原題:Abduction)』が公開されます。オランダ人監督による拉致事件映画も製作中とのことです。日本一国で出来ることの他に、国際社会と連携して何が出来るかという点も、まだまだ拉致問題解決に向けて議論と行動の余地があると思います。