2006年08月09日

麻生太郎氏の靖国神社特殊法人化論を支持します

 昨日、麻生太郎氏が、靖国神社の在り方について御自身の所見を公開しました。以前から報道番組等でアウトラインは示唆されていましたが(過去のテキスト起こしを参照して下さい)、纏まった所見となると、これが初めてのことです。先ずは、分祀論や不参拝論がある中で、国民に対して御自身の代替案を公開したことを評価します。評価と書くと偉そうですが、賛否に留まらずに代替案を示される方を、私は尊敬します。

(2006年08月08日)麻生太郎オフィシャルサイト:靖国に弥栄(いやさか)あれ
(2006年08月08日)外務省 外務大臣会見記録(平成18年8月)


目次

1.麻生氏の優先順位について
2.麻生氏は靖国を軽んじているのか
3.「非政治化」とはどういう意味か
4.靖国神社の抱える問題点について
5.非宗教法人化の提案と政教分離について
6.その他(追記あり)

 ※以下、引用するにあたって引用の枠を用いるには短い文章は、かぎ括弧内に太字で引用し、纏まった引用箇所については引用の枠に収めています。読み易さのための区別であり、太字部分が重要であるということではありません。


1.麻生氏の優先順位について

 論文の序盤に、その優先順位が示されています。先ず、「靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です。」と述べています。この当事者の立場を優先する思考は、第3項「現状の問題点」における財政的問題の部分も含めて、麻生氏の一貫した姿勢です。

 次に、代替施設を否定する理由について、御霊という抽象的な存在が靖国に存在するという明治以来の日本人の「集合的記憶」を根拠とし、死者の誇るべきことも胸を張れないことも、全て「集合的記憶」として受け止めようという立場を示しています。ここで「死者」とは、靖国に祀られている戦没者のことです。「集合的記憶」と言われても、そういう感覚を共有しない人もいるかもしれません。国家神道としての役目を果たしていた頃と一宗教法人である現在との、戦前と戦後の捩れもあるので、感覚的に受け入れ難い人もいると思います。しかし、時々の遺族・戦友・寡婦の方々からは、一定の理解が得られることではないかと思います。

 三番目に「国家のために尊い命を投げ出した人々に対し、国家は最高の栄誉をもって祀らねばならない」、四番目に「天皇陛下のご親拝」を挙げています。御親拝を重視していることは結語の「政治の責任として以上の手続きを踏んだあかつき、天皇陛下には心安らかに、お参りをしていただけることでしょう。英霊は、そのとき初めて安堵の息をつくことができます。」という文章にも表れています。

 ただ、国家による英霊の顕彰と天皇陛下の御親拝を重要視していながらも、優先順位においては御霊と御遺族と「集合的記憶」に劣後している点は、先の大戦で亡くなられた方の御遺族の寿命に配慮されているのではないかと思います。余命少ない御遺族の方々の静謐な環境での慰霊・参拝を優先する姿勢、そして、将来の課題として、御霊との約束事として天皇陛下の御親拝を掲げている点に、政治家としての見識を感じました。


2.麻生氏は靖国を軽んじているのか

 これは第2項「いま、何をすべきか」を見れば、そうでないことは明らかです。

2. いま、何をすべきか

 この問いに対する答えは、もう明らかだと思います。靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。わたしの立場は、靖国にその本来の姿へ復していただき、いつまでも栄えてほしいと考えるものです。世間の議論には、靖国を当座の政治目的にとって障害であるかに見て、なんとか差し障りのないものにしようとする傾向が感じられます。悲しいことですし、わたしとしてくみすることのできないものです。



3.「非政治化」とはどういう意味か

 麻生氏の言う靖国神社の「非政治化」とは、どういう意味でしょうか。「非政治化」というと、かなり広汎な意味を持つように感じられますが、これは「非政争化」のことだと思います。それは麻生氏の以下の文章に表れています。

(1) 靖国神社が、やかましい議論の対象になったり、いわんや政治的取引材料になったりすることは、絶対にあってはならないことです。靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です。厳(おごそ)かで静かな、安らぎの杜(もり)です。そのような場所で、靖国はあらねばなりません。

 いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。


 ここでは「やかましい議論の対象になったり」の次に「いわんや政治的取引材料になったり」があり、「静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくこと」を換言して「時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか」とあるのです。第2項「いま、何をすべきか」においては「靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。」とあります。ここでも政治と遠ざけた後の状況を「静謐な、祈りの場所」としています。第3項「現状の問題点」においても繰り返し示されています。

 つまり靖国がその志に反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところに求められるのです。
これでは、靖国はいつまでたっても静かな安息と慰霊の場所になることができません。このような状態に最も悲しんでいるのは靖国に祀られた戦死者でしょうし、そのご遺族であることでしょう。そして靖国をそんな状態に長らく放置した政治家の責任こそは、厳しく問われねばならないと考えます。


 また、下記引用部分も参照して下さい。
(7) 慰霊対象と遊就館
 それではいったい、どういう人々を慰霊対象とすべきなのか。周知のとおり、ここは靖国を現在もっぱら政治化している論点にかかわります。だからこそ、あいまいな決着は望ましくありません。「靖国を非政治化し、静謐な鎮魂の場とする」という原則に照らし、靖国社設置法を論じる国会が、国民の代表としての責任にかけて論議を尽くしたうえ、決断すべきものと考えます。


 「靖国を非政治化し、静謐な鎮魂の場とする」とあります。ここでは「非政治化」という文章は「静謐な鎮魂の場」とセットで語られています。以上、どの文脈でも「非政治化」とは「非政争化」のことを指しています。「非政治化」とは政治問題化し、政争化することで「静謐な鎮魂の場」が喧騒の場となることを避けようという意図でしょう。その点をあまりに広汎に捉えて、政治家がこういう案を語ることさえ政治化であるという立論をされるのであれば、国教化や公的参拝を希望する政治家に対しても同様の批判を向けて頂きたいものです。


4.靖国神社の抱える問題点について

 麻生氏の掲げた靖国神社参拝の抱える問題点は二点です。一つは、政教分離原則との関係。もう一つは、戦死者慰霊の「民営化」をした弊害、すなわち靖国神社という戦没者慰霊施設の財政的問題です。

 御遺族の立場を考えれば、靖国神社は静謐な慰霊の場でなければなりませんが、靖国神社が一宗教法人である以上は政教分離原則の問題が絡んできます。つまり、憲法上は、首相は私人としてしか参拝できません。私は首相の参拝は私人の心の問題であると支持しますが、本音をいえば首相には公人として参拝して頂きたいです。国家の命により亡くなられた方々に対しては、行政の長が公に参拝するのが理想です。しかし、それは政教分離原則に反するので現状ではできません。

 御遺族の静謐な環境での慰霊・参拝を図るには、政教分離の点を越えなければなりません。となると、これまでは代替施設の建設か、千鳥が淵戦没者御苑の拡充という代替案しか示されていませんでした。しかし、それらでは戦没者との約束が果たされるのかという問題がありました。また、公人としての参拝という本来あるべき姿も達成しなければなりません。とすると、これは国営化しかないですが、国営化が国教化のようなものであれば、政教分離原則に反します。そうであれば、靖国神社に自主的に宗教法人格を取り下げてもらうしかありません。これは戦後の捩れの部分であるので、宗教法人格を取り下げることは本来あるべき姿に近づくことになります。但し、特殊法人化であることから、近づくとはいえ戦前と同一ではありません。

 また、財政的問題もあります。寡婦・戦友の減少を麻生氏は指摘していますが、これは靖国神社に限らず護国神社にも共通する問題です。人の寿命の問題なので、日本が平和である限り、寡婦・戦友は最終的には0になります。寡婦・戦友が亡くなればそれまでというのでは、過去の歴史に対して無責任です。また、靖国問題その他でタカ派発言をしていても、いざ金銭の問題になると急にカンパを渋る人達は論外としても、一部の奇特な壮士諸氏に頼ること自体、財政的に不確実な経営を迫られることになります。

 ※なお、財政的問題については、本記事末尾の12日の追記もご参照下さい。


 祭式を非宗教性とすることに論理的に問題がない訳ではないですが、それは、御遺族の静謐な慰霊をどう確保するのか、そして、国家が慰霊する重要性との比較の上でどちらを優先させるのかという問題です。靖国神社が他の神道とは性質を異にする点、分祀案や代替施設案に較べて招魂社への復帰である点からすれば、その問題点は現在よりも少ないと思います。また、遊就館という靖国神社の抱えるイデオロギーの問題からも開放されます。静謐な慰霊の場に軍事博物館は不要です。


5.非宗教法人化の提案と政教分離について

 靖国神社の宗教法人格の取り下げを促している提案をすること自体は、厳密には政治の宗教への介入ですが、政教分離原則違反の判定基準である目的・効果基準は(1)国家の行為の目的が宗教的意義を持つか(2)その効果が宗教を援助、助長、促進又は圧迫、干渉するものであるか(3)国家の行為と宗教との間に過度の関わり合いがあるか、という観点から判断されます。

 靖国神社側の意向を無視して分祀を行えば、それは圧迫・干渉の効果をもつ宗教的行為として「過度の関わり合い」と認定されますが、分祀論でさえ議論に留まっています。提案すること自体は言論の自由によって保障されます。政教分離原則を厳密に適用して、政治家が宗教について議論や提案することさえも問題視するのであれば、宗教がタブー化します。ゆえに、議論や提案自体は「過度の関わり合い」と捉えるべきではありません。

 また、小泉首相は靖国参拝を心の問題と言っています。私はそれを支持しますが、一方では経緯はどうであれ5年前の総裁選で公約にしていました。総裁選の公約も一つの提案です。議論や提案さえも許容しない厳密適用説に立つならば、首相は公約を反故にしているか、私的参拝は虚偽ということになります。議論や提案さえ問題ならば、分祀派の議論のみならず、安倍晋三官房長官の統一教会への祝電も、小泉首相が7月12日にイスラエルのホロコースト記念館を訪れたことも、政教分離原則違反になります。


6.その他

 中国と韓国が黙るかといえば、多分、黙りません。彼らはA級戦犯を問題視しているので、宗教法人格を返上して招魂社に立ち戻っても、首相の参拝を批判するでしょう。しかし、国内的には中国や韓国からの批判は、「内政干渉である」という反論によって効力を失いつつあります。朝日新聞も中国や韓国ではなく米国を利用し始めました。また、メディアや進歩派、或いは韓国人や台湾人による靖国訴訟では、一貫して政教分離原則違反が争点になっています。この点を明確に越えられれば、靖国神社参拝問題は大筋で終了したといえます。

 但し、特殊法人化すれば政教分離問題がない反面、時々の内閣によって過去A級戦犯として刑死された方々の分祀がなされる可能性はあります。中国や韓国が外交カードとすることよりも、それに一方的に配慮する政治家が首相になることの方が問題で、この点は、「国立追悼施設靖国社(招魂社)設置法」で厳格に規定を設けるべきだと思います。「既に霊璽簿に記されている者は除外しない」等の文言によって対処すべきではないでしょうか。


 いずれにしても、私にとっては不参拝や分祀論に較べて特殊法人化論がベターであり、ベストの無い問題でベターを国民に提示できる政治家は尊敬に値すると思います。もし、憲法の政教分離原則と競合しない範囲で、これ以上に良い方策が出てくれば、今後そちらを支持するかもしれません。麻生氏の特殊法人化論が、そういう議論の流れに一石を投じるものであれば良いと思います。


【08月10日追記】
 暁の日記&メモさんは麻生私案に賛成とのこと。

(2006年08月08日)暁の日記&メモ:改めて、麻生私案を支持します

 「無宗教」と「無神論」の違いを簡潔に説明されています。また、元A級戦犯を慰霊対象から外すか否かという点について国会の議論に任せたとしても、過去の「戦犯の名誉回復決議決議」との整合性の観点から、そう矛盾する結果にはならないのではないかと指摘しています。この記事は一読の価値ありです。


【08月12日追記】
 靖国神社の抱える財政問題については、下記のアカシックレコードさんの記事および朝日新聞記事も参考になります。

(2006年07月27日)アカシックレコード:靖国神社の財政破綻〜靖国問題は20年以内にすべて「解決」
(2006年07月27日)朝日:靖国神社が財政難 戦争世代減り寄付激減

 先の北朝鮮ミサイル発射についての国連安全保障理事会を巡って見事な外交戦を行った麻生太郎外務大臣に対してさえ、今回の一件をもって“売国奴”と断じる人達がいますが、そういう人達は、この靖国神社の財政的衰退をどう考えているのでしょうか。財政的理由から非宗教法人化し、靖国神社の歴史観や現在の在り方が保てないなら、美しく滅べという考え方なのでしょうか。

 また、嫌韓で盛り上がっている人達の中には、韓国のウォン相場をワロス曲線と笑う人達がいます。ワロス曲線とは、ウォン相場が外国投資家の「買い」と韓国政府による「売り」が一定の範囲内で上昇と下落を繰り返し、あたかも「w」の連続する形状のチャートを描くことを指し、某匿名掲示板用語では“笑った”という表記が意識的に誤字として変化を繰り返した結果の省略表記「w(ワロス)」に似ていることから、この名称が付けられていると思われます。

 このワロス曲線を嘲笑しながら、日本の量的緩和およびゼロ金利の解除による将来の利上げ・円高、そして、昨今の原油高に対して、一切言及しない人達。日本の景気・経済には無関心だけれど、韓国のウォン相場には並々ならぬ関心を持っている人達。彼らは、靖国神社の財政難をどう捉えているのでしょうか。


【08月17日追記】
 かんべえさんこと吉崎達彦氏が麻生私案に対する評価をUPされています。一定の評価をしつつも、現実的には難しいという見解です。

(2006年08月12日)かんべえの不規則発言:麻生提案について少々。
<8月12〜13日>(土〜日)
〇麻生提案について少々。靖国神社を「非宗教法人化」するという提案は、面白いと思うのだが、いくつか難点がある。「最終的には設置法に基づく特殊法人に」というのは、落し所として優れているとは思うのだが、仮に野党の政権になったら「そんなものは行革だ」といわれてしまうかもしれない。逆にいえば、現在の法制度では宗教法人でいることのメリットはあまりにも大きい。なにしろ宗教法人になってしまえば、カルト集団でさえ安泰なのだから。「靖国神社が護国神社と一体になって任意解散手続きを取る」というステップを踏むことは、なかなかに勇気がいることだろう。

〇そのためのインセンティブとして、麻生提案は「靖国神社のカスタマーの減少」に着眼している。存続のためには、「生き残りを賭けたターンアラウンド(事業再生)が必要」というのは、まさしくその通りでしょう。そこで新たな財源として、独立行政法人平和記念事業特別基金のうち、国庫返納分を充当するというアイデアを提示している。この点は神社側にとっても魅力的な提案ではないかと思う。しかし、言葉悪く言えば足元に付け込んでいるわけで、なんだか将棋連盟を髣髴とさせるような議論でもある。

〇仮にこの通りにするとして、意外と大きなハードルとなるのは、「非宗教法人となったら、鳥居を取らなきゃいけない」といったことではないかと思う。神社の鳥居にそれほどの宗教色があるとは思わないのだけど、非宗教法人化となるとそういうことも考えなければならない。いいアイデアというものは、得てしてこの手の理屈を越えた部分でつぶされてしまうものです。

〇てなわけで、麻生提案は「補助線」に終わると思う。しかし「根と幹を忘れずに(分祀は枝葉)」「非政治化し、祈りの場所に戻す」といった方針は正論でありましょう。一歩前進、という感があります。
posted by sok at 23:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 靖国神社参拝関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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