2006年07月06日

「食傷」と「価値中立的な私」

 一昨日の日記の続き。

 「遺骨」鑑定の件について、当時の政府の対応は、世界的科学誌であるNatureを向こうに回しての反論としては、不味かったと思う。それは当時の保守系ブロガーの間でも話題になった。けれど、それで決定的に拉致問題に不信感を抱くのであれば、二度焼きや他人の遺骨が混ざっている北朝鮮の主張の不自然さについて、先ず不信感を抱くのが科学的態度であるし、根本的な問題には目を瞑って、日本にだけ無謬を求めようなどという姿勢が、拉致問題解決にどういう影響を与えるのかという点についても一考して頂きたい。こういう政治的中立性を保っていると表明したい人間が多いことも拉致問題が国民運動に繋がらない要因だと思う。

 知ろうともしない人間が、そういうことを言って、それが、さも政治的にバランスの取れた「価値中立的な私」を演出するのだと思っているように見える。そういうことであれば、北朝鮮側は既に多くの問題を抱え込んでいて、今さら北朝鮮側の誤謬は問題にしないのであれば、被害者側の無謬性が客観的に証明されるまでは被害者救済は行えないというのであれば、それは実質的に何もしないということだ。国家犯罪に対して実質的に無力だ。こういう人達は、十数年から数十年が経って、北朝鮮が民主化された頃になって過去を振り返り、「当時の日本政府や国民が拉致被害者を見捨てたのだ」と政府批判の文脈でしか拉致問題を語らないだろう。それとも、クリス・シェルダン監督に遅れること十数年から数十年、その頃にドキュメンタリー映画の一本でも作って、それを観て、悲劇として消費して、家族で晩御飯を食べに行って、寝て、すっかり忘れるのか。


 メディアの拉致報道を食傷だという人達。これは「世に倦む日々」のthessalonike3氏に限らず、メディアの煽る「体感治安の悪化」について論理的な批判をしているリベラル系ブロガーの中にも、平気で「食傷」だとか「見飽きた」だとか書く人がいる。そういう人達の気持ちも部分的には分からなくもない。確かに、北朝鮮を批判的に取り扱えば視聴率が取れるからか、北朝鮮のことならどんな瑣末なことでもネタにする報道もある。けれど、「食傷」だとか「見飽きた」だとか言うのであれば、拉致報道の量ではなく、質について「食傷」だとか「見飽きた」だとか言えるほど見たのか、聞いたのか、調べたのか、講演会に足を運んだのか。「食傷」の論理は、メディア側の報道姿勢次第の他律的な発想なので、如何なる時事問題においても、国民が「食傷」だとか「見飽きた」だとか思うまでメディア側が報道すれば成立する論理だ。こういう他律的発想では、ハンセン病患者や水俣病患者の地位だって回復されなかっただろう。アスベスト禍の患者達も泣き寝入りだ。その論理だと、今後起こるあらゆる問題に対して日本人は無力だ。そんな知識は、就職試験か酒席での薀蓄の披露くらいにしか使えない。

 拉致問題には加害者と被害者がいるが、それは刑事事件における被告人(弁護人)対原告(検察・国家)の関係ではなく、他国対自国、他国政府対自国民(拉致被害者とその家族)という関係である。国家間の問題であり、被害者は個人であるという問題である。問題解決が長期化すれば、それだけ問題自体が複雑化する。北朝鮮生まれのキム・ヘギョンさんが北朝鮮国民と結婚して子供が生まれたら、その子は北朝鮮国民だ。ヘギョンさんの保護者である金英男さんが韓国人であり、横田めぐみさんが日本人であるといっても、そういう事態になれば今までのような対処では済まなくなる。横田めぐみさん達、拉致被害者の引渡しを求めれば、それは子であるキム・ヘギョンさんとの関係を引き裂くことになるから。拉致問題には解決の期限がある。一つは、被害者家族の寿命。一つは、被害者の寿命。一つは、被害者の子供達の成長。反権力的発想から家族会に冷淡な者、「価値中立的な私」であろうとする者、それは被害者を見殺しにする態度だ。

 「5号館のつぶやき」さんのように、横田めぐみさんの死亡を前提に交渉するのが現実的だと考える人達は一定数いるようだが、北朝鮮側は横田めぐみさんの一件で日本の世論を見定めようとしていることは、これまでの北朝鮮側の態度が、横田めぐみさんに関することを他の拉致被害者とは特別扱いしている点からも明らかだろう。ここで妥協するとなれば、それは北朝鮮側に有利な条件で譲歩することになり、国交正常化交渉や戦後以降の賠償を先行させる方向にシフトしかねない。そして、国交を樹立している国の拉致被害者もおり、被害者家族は自由に行き来できず、被害者も未だ帰国を果たしていない現実を考えれば、その一見すれば中立的な意見が画餅であることは自明だと分かるはず。気付けるだけの関心があるなら。

 北朝鮮強硬論者の核保有や先制攻撃も辞さない姿勢が気に入らないというのであれば、それに代わる拉致被害者救出活動を行えばいいし、国民大集会は殆ど反小泉保守派の連中ばかりだと辟易するのであれば、親小泉保守派がそれに代わるような講演を依頼するなり、政府に働きかけるなりすればいい。前者については、現にそういうブロガーもいる。といっても私はminow175さん一人しか知らないが。多くは、何もしない。興味なし。興味もないし、何もしないけれど、保守にも革新にも振れない両論に配慮できる自分は好き、か。下らない。これは現在進行の国家犯罪であって、人権侵害である。

 日本政府は昨日のミサイル発射に対して、その日のうちに経済制裁を決定したが、金正日が拉致を認めたときは経済制裁しなかった。それも大多数の国民に責任を負う政治的判断だろう。けれど、その判断は、国民の多寡で政府の解決への優先順位が変わるということでもある。数の少なさは関心の高さで補うしかないが、関心が薄れて、国民が被害者の死を前提に交渉するよう求めれば、いつでも拉致被害者とその家族の立場は9.17以前に戻る。24年間見捨てられ、9.17からも4年近くが過ぎ、次は何年見捨てるのか。「食傷」だとか「政治的中立性」だとか、そんな言論にはうんざりする。


【追記:2006年07月07日】
 なお、「遺骨」鑑定について衆議院外務委員会にて質問した首藤信彦氏といえば、当時、北朝鮮への経済制裁に反対する議員活動で有名だった。報道番組にも何度か出演しており、経済制裁反対論を唱えていた。けれど、一方では、イスラエルへの経済制裁は主張するという二重基準も厭わない人物でもあった。だからといって、この件における首藤氏の言い分に理が無い訳ではなく、質問を越えて質問者自体の資質を批判したとしても、政府側の不手際を擁護できるものではない。しかし、政府の不手際について証拠隠滅の陰謀論を巡らせるのが「政治的中立性」だというのであれば、首藤氏の二重基準と政治的信条ついても背景知識として押さえた上で、「遺骨」鑑定論争に参加するのが政治的中立性というものだろう。

(2005年01月08日)週刊オブイェクト:説明責任を果たすべき国会議員「すとう信彦」
(2005年05月09日)電脳補完録ー別館 – BLOG:「にせ遺骨」政府叩きの格好の材料と小躍りする人々
(2005年05月10日)電脳補完録ー別館 – BLOG:野田さんが応援する首藤信彦議員とは・・・
(2005年05月21日)電脳補完録ー別館 – BLOG:的は「にせ遺骨」一本


【追記:2006年07月20日】
 49号予防院と火葬場に関する疑義について、こちらにも読売記事を載せておく。「遺骨」鑑定論争で殊更「科学的中立性」を重視していた方々のことだから、これらの謎についても探求されることだろう。まさか「食傷」だとは言わせない。

(2006年07月19日)読売:北「めぐみさん97年に火葬」、火葬場建設は99年
 【ソウル=中村勇一郎】横田めぐみさんの遺体を1997年に火葬したとして、北朝鮮が今月5日、訪朝した日本人記者団に公開した平壌市内の火葬場について、複数の北朝鮮脱出住民(脱北者)が「実際には99年に建設された」と証言していることがわかった。

 17日発売の韓国の月刊誌「月刊朝鮮」8月号が報じた。

 めぐみさんの夫とされる韓国人拉致被害者、金英男(キム・ヨンナム)さん(44)は6日、日本人記者団を対象とした平壌での記者会見で、「めぐみさんは94年4月に死亡し、97年春ごろに火葬した」と説明。

 これに対し、韓国在住の複数の脱北者が同誌に「火葬場があったオボンサンには、飢餓による死者の遺体が多数土葬されていたため、金正日(キム・ジョンイル)総書記が99年に建設を指示した」と語った。

 めぐみさんが自殺したとされる医療施設「49号予防院」も、「金英男さんのような特殊機関に勤める人物の家族が利用する病院ではない」と指摘している。

         ◇

 この報道について、めぐみさんの母親、早紀江さん(70)は「北朝鮮の情報はねつ造されたものなので、一つ一つのことに動揺しません」と話した。

(2006年7月18日13時52分 読売新聞)
posted by sok at 18:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本人拉致事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
sokさんへ

今日は少し時間があったので、これまでにエントリーされた記事を読ませて頂きました。
なんと言いますか、保守言論の中にもこのようなようやく現実に即したリアリティーのある思考が出来るブロガーが出てきてくれたのかな?と安堵感を感じ、少し光明を見たような思いがした・・・というのが、お世辞抜きに正直な気持ちです。

それ程に一部保守派の視野狭窄・思考停止の論調は目に余るものがあると、私もしみじみ感じております。
また左派・革新派を標榜する人たちの論調も然りで、彼らの支援活動に対する揚げ足取り・批判に終始するばかりの主張と、口では偉そうに物を言う割に自らは何も具体的行動を起こさない無責任さにも、本当に辟易しておりましたので、sokさんのご意見にはいちいち頷く物ばかりだと思いました。

sokさんが各エントリーで何度も触れているように、拉致問題に関わっていて痛切に感じるのは、世論の危機感の無さ加減、あるいは拉致問題に対してのリアリティーの無さ加減です。
結局の所日本人の平和ボケの根はとことん深いのか?
他人の痛みにはとことん鈍感になれるということなのでしょうか?

今回の英男さんの件といい人権法案の事といい机上の空論に終始するばかりで、肝心の被害者を救い出すためには何が必要でどんな覚悟をするべきなのか?どんな痛みを我が身に引き受けるべきなのか?といった、現実に即した思考が全くといって良いほど見受けられないのがとても不満です。
その現実に、言いようの無い怒りと苛立ちを感じ、同時にこの体たらくな世論で本当に被害者を救えるのだろうか?といった不安に苛まれてしまうのですが。

うちのBlogは主に集会のテキストを扱うサイトなので、拉致関係の集会には良く足を運びます。
そこで耳にする家族の声は、もはや悲鳴です。
疲労のピークもとっくに越えて、いまや気力だけで体が動いていると言っても過言では無い。
何とかその声をマスコミの手垢の付かない一次情報として直接に伝えて、少しでもリアリティーを持ってこの問題を考えて欲しいと願っているのですが、相変わらず狭い視野で他人事のような論陣しか張れない人たちの存在を思うと、家族の苦悩はいかばかりかと、暗澹たる気持ちになって仕方がありません。

なかなか物事の本質を理解しようとしない世論に向かって物を言うのは、思った以上に非常に気力と体力を必要とします。
そういったネット世論に根負けして閉鎖・撤退したサイトが過去にも数多くありました。
私ごときの弱小サイトでも、一定の主張を繰り出そうとすれば反発や無理解の声も多く、時に体力・気力をすり減らす事も少なくありません。
しかし、とにかく分かってもらう為には、懇切丁寧に根気よく語りかけるより他に手はあるまいとも思っています。
ですからsokさんにおかれましても、せっかく良心的なサイトを立ち上げられたのですから、どうかご無理の無い範囲でBlogの運営を続けて頂けますように、そしてこれからも思うところをどんどんお書きになって頂きたいと願っております。
私も初心に返って勉強をさせて頂きたく思いますので、よろしくお願い申し上げます。
Posted by ぴろん at 2006年07月06日 23:25
 ぴろんさん、他の日記も読んで頂き、ありがとうございます。

 テキスト起こしについては、私も過去に何度かやったことがあり、いくつかは他blogに提供したこともあります。時間と労力がかかる割に地味な作業ですが、こういう一次情報がネット上で誰でも読める状態で存在しているからこそ、私自身、拉致問題その他について考えることが出来るので、ぴろんさんや金木犀さんのように拉致問題の集会内容をテキスト化される方、くっくりさんのようにメディアでの識者の見解をテキスト起こしされる方には感謝しております。ありがとうございます。

 更新については、拉致被害者の方々が世論に対して繰り返し懇切丁寧に訴えかけているのですから、個人的事情で更新が滞ることがあるかもしれませんが、出来得る限り被害者救出に協力したいと思います。このblogでは、私が抱く初歩的な疑問、自明過ぎて誰も書かないのか、普段閲覧しているblogでは殆ど触れられていないことなどを、(謙遜や自虐ではなく)敢えて無知を晒してでも書いてみよう、反応を見てみようと思っています。誤りがあれば指摘して下さい。今後とも宜しくお願い申し上げます。
Posted by sok at 2006年07月07日 08:36
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。