2009年07月26日

抽象的な救済対象を持ち出して具体的な救貧活動を貶める行為について

 新生活も漸く落ち着いて、久々に自分のブログを見てみたら、soxという方から左派認定されていました。日の丸にも君が代にも皇室にも不満はなく、改憲派で、生家は産経新聞を購読していて、基礎ゼミの頃はゼミ友から極右認定を受けたこともありましたが、今では左派だそうです。リベラルを自認したことはありませんし、保守リベさえも自称したことがないので、左翼であるという実感は今もありませんが、ただ、彼or彼女のコメントを読んだ感想としては、彼or彼女の認識が「右派」であるならば、私は「左派」で結構だと思いました。別記事のコメント欄には「久しぶりに覗いて見ました(笑)」とあり、どういう理由であれチェックされている方のようですから、ブログ放置期間中に頂いたコメントへの感想を書きます。

 派遣村に関する話題は、もはや時機を失したものですが、先日、弁護士会が貧困ビジネスの実態調査に着手したというニュースがあり、国の失業対策に関するニュースもありましたので、いま改めて思うところを記録しておこうと思います。

2009年7月24日 朝日:ホームレス狙い割高弁当…貧困ビジネス調査 弁護士会
2009年7月25日 朝日:低所得者の生活福祉資金、保証人なしで 国が要件緩和へ

>同情を集める誰かへの鬱憤という見方に立った場合、在日外国人以外にも当て嵌まりそうな事例が幾つかあります。一つは、年末年始の「年越し派遣村」へのネット世論からの批判。この時は、勤めていた企業から雇い止めされて、弾き出された日本人に対する冷笑的な反応が多数見られました。世界的な金融恐慌や大企業による何千人規模の派遣切りが報道される中で、たかだか、年末年始のハローワークが閉まっている時期の年越し活動が殊更叩かれ、しかも批判するにしても、湯浅誠氏の主張一つ押さえていない(おそらく『反貧困』一冊さえも読んでいない)という状況でした。それ故、論理的な批判というよりは、不快感を前面に出した罵倒に終始していました。

sokは本当に嘘吐きですね
自分の理論を正当化するためなら平気でう嘘をつく左派って救いようがなく愚かな生き物ですね。
年越し派遣村に集まってた人間のなかで不況によって急に契約を打ち切られた人間は一割にも満たなかったよな。
大部分の人間は働く気がなく浮浪者であることから抜け出す努力をせずに長期間浮浪者をしていた人間たちだよね。
しかも、就職先を斡旋されても断ったうえで生活保護まで要求してたよな。
本当に困ってる人たちはたくさんいるのに
共産党員を先頭に集団で役所に押しかけてたよね。
だったら批判も集まるだろ
sokは以前もでたらめ書いて批判されたのに、学習できない人ですね。
そんなあなたにアドバイスします。
1しっかり調べろ。
2自分が頭が悪いことを理解しろ
3自分に酔ってませんか?鏡を見なさい。

Posted by sox at 2009年05月05日 16:48

 彼or彼女が他者に対して「嘘」「嘘吐き」と断言した根拠は「年越し派遣村に集まってた人間のなかで不況によって急に契約を打ち切られた人間は一割にも満たなかったよな。」という一文にあるようです。この言動からは「派遣村」と銘打つからには、派遣切りにあった人が全員あるいは大多数を占めていなければ、それを支援することは欺瞞と看做すという発想があるのでしょう。


1.割合を問題にするのであれば

 幾つか思うところはありますが、先ず確認しておかなければならないことは、「年越し派遣村に集まってた人間のなかで不況によって急に契約を打ち切られた人間は一割にも満たなかった」かどうかです。「派遣村」に批判的な論調をとっていた産経新聞に内訳が書かれていたので引用します。

2009年1月18日 MSN産経ニュース:【日本の議論】「派遣村」にいたのは誰か?(1-6)(cache)
 実際、村に集まった人たちはどのような人たちだったのか。派遣村実行委員会が、村民354人から聞き取った集計によると、年齢層は30代が25%、40代が30%、50代以上が35%。性別では96%が男性だった。ただ、景況悪化を理由に解雇された派遣従業員は日雇いも含め、全体の40%にあたる130人だけ。33人(9%)は従来からの路上生活者だった。

 また、厚労省の調査によると、滞在村民が約300人だった1月5〜7の3日間で、臨時に設けられたハローワークに相談に来た人は約200人(66%)。具体的な就職相談まで話が進んだ人は約120人(40%)だったという。

 産経新聞によれば「景況悪化を理由に解雇された派遣従業員は日雇いも含め、全体の40%」だそうです。sox氏の“一割未満”という認識と一致しません。主催者側の発表としては、3月26日発行の宇都宮健児・湯浅誠 編『派遣村 何が問われているのか』に記述があります。
 最終的に、派遣村には五〇五人の当事者が入村しました。生活相談のデータなどから大雑把に言うと、派遣切り被害者、日雇い派遣労働者、その他の理由での生活困窮者、以前からの野宿状態の人、不明の人と、それぞれ約二割です。

宇都宮健児・湯浅誠 編『派遣村 何が問われているのか』9頁

 この中の「派遣切り被害者」というカテゴリーが、sox氏の言うところの「不況によって急に契約を打ち切られた人間」を指すのだとすれば、この時点で主催者側の発表“約二割”とsox氏側の現状認識“一割未満”との間に開きがあります。

 さらに、「日雇い派遣労働者」というカテゴリーに関しても、越冬のためにわざわざテント村を訪れたということは、その日の宿にも困る状況であったと考えられるので、これも含めれば“約四割”で、産経新聞が1月18日付記事に掲載した内訳“40%”とも一致します。ここに“約四割”vs“一割未満”という差が生じます。どちらが正しいのでしょうか。sox氏の認識の基となったものが気になります。


2.原点は何か

 次に確認しておくべきは、そもそも湯浅誠氏の活動や『もやい』とは何なのかということです。その原点は路上生活者の支援です。彼らのウェブサイトにも記載されていますし、湯浅氏の主著『反貧困』にもそのように書かれています。
 私は、一九九五年から野宿者(いわゆる「ホームレス」)の支援活動に携わってきて、二〇〇一年からは、野宿者に限定せず、貧困状態に追い込まれた人たちの生活相談を受け続けている。

湯浅誠 著『反貧困』

 ちなみに、この段落が当該新書のどの頁に書かれているかといえば、終盤でもなければ中程でもなく、目次よりさらに前の、前書きの1頁目に書かれています。新書一冊ぐらい読んでから批判すればいいのにと思ったのは、そういうことです。闇雲に反発するのではなく、相手の主張を正確に把握することは、重要なことです。敵として認識している相手の言い分であるならば、尚更です。

 さて、『派遣村 何が問われているのか』によれば、派遣村という活動もまた、湯浅氏らの路上生活者支援活動の一環であり、延長にあるということが理解できます。ここでは、初めての場所で炊き出し、その他の支援活動を行なうことの予測の難しさについても書かれています。当時、最初から全てを予測して行動しろと言わんばかりの非難が散見されましたが、そうした言説は後付けの、神視点の非難に過ぎないと思います。
 ただ、展開が読めない点もありました。私は一九九九五年から二〇〇二年まで渋谷で野宿者支援を行なってきたのですが、普段から毎週路上を夜回りして、顔がつながっている人たちを相手に越年の活動を行なうわけですから、年末年始の炊き出しにどれぐらいの人が来るのか、新しい人はどれぐらい路上に出てくるか、人数はだいたい予測できます。路上は口コミ社会です。いつ炊き出しをするか、どこで弁当が配られるか、口コミでなければ伝わりません。そういう普段の活動が下地にあって越年の支援活動もできるという面があります。

 しかし、派遣村はそうした下地のない日比谷公園に設置することになりました。新聞やテレビなどのメディアが、ある程度報道するだろうということは予想していました。しかし、派遣切りされ、居所を失ってホームレス状態になっている当事者がそうした情報に触れる機会は少ないでしょう。口コミで広がっていく条件もない。そう考えると、派遣村を設置しても人は来ないかもしれない。しかし、その時はその時で、日比谷公園にもともと約二〇人、東京駅周辺に約五〇人の野宿者がいますから、その人たちに炊き出しをすることにも意味があるわけで、それでいいじゃないか、とにかくやることにしよう―そういう流れでスタートすることになったのです。

『派遣村 何が問われているのか』4〜5頁

 このような路上生活者支援団体が、今年の越冬に関しては「派遣村」と銘打った以上、「派遣切り被害者」「日雇い派遣労働者」以外は受け入れず、それまで支援していた路上生活者やその他の理由による生活困窮者を受け入れるべきではないと考える方が無理があります。実行委員会も元よりそのような主張はしていません。

 仮に、そのような主張をしていたとすれば、一体、世間からはどのような反応があったでしょうか。派遣切りだけを取り上げて、他の生活困窮者を区別していれば、その区別取り扱いが問題視され、非難の対象となったことでしょう。

 区別を付ければその区別取り扱いが非難され、区別を付けなければ看板に偽りありと看做される。この種の批判は救貧活動、とりわけ活動名称が救済対象を限定していると受け取られそうな団体の救貧活動においては、つきものです。けれど、そうした批判を気にしていては救貧活動が捗らないというのも現実です。

 理想を言えば、政治が解決すべきことは政治家が取り組み、「派遣村」実行委員は彼らの支援対象に専念し、そして「派遣村」批判者達は他の生活困窮者の支援をすることで、支援の住み分けが生まれ、結果として生活基盤を立て直せる人の数が増えるという状況が望ましいのでしょう。

 しかし、批判者達からは自分達なりの(お手本としての)生活困窮者支援、派遣切りされた人達への支援策(対案)は提示されませんでした。当時、彼らは、sox氏が「本当に困ってる人たち」といった具体性に欠ける存在を持ち出したのと同様、抽象的な存在を錦の御旗として持ち出しては、現実の救貧活動を貶めていましたが、私は、そのような言説は国士の振る舞いではないと考えます。

 カテゴリーの話に戻れば、原点が生活困窮者支援組織である以上は、「その他の理由での生活困窮者」「以前からの野宿状態の人」を排除することはできませんから、「入村」させた事実を特に問題だとは思いません。「派遣村」という時機を捉えたネーミングの巧みさは感じますが。


3.何故、生活保護を申請するのか

 sox氏は、生活保護の受給を、まるで不当な要求であるかのように言及されていますが、生活保護は申請であって、生活保護法に遵ったものであれば、特に問題はありません。そして、住所不定状態でも可能です。「派遣村」の件は、不正受給の問題ではありませんでした。
第19条 都道府県知事、市長及び社会福祉法(昭和26年法律第45号)に規定する福祉に関する事務所(以下「福祉事務所」という。)を管理する町村長は、次に掲げる者に対して、この法律の定めるところにより、保護を決定し、かつ、実施しなければならない。
1.その管理に属する福祉事務所の所管区域内に居住地を有する要保護者
2.居住地がないか、又は明らかでない要保護者であつて、その管理に属する福祉事務所の所管区域内に現在地を有するもの

 何故、生活保護を申請するのかといえば、あるラインまで生活水準が低下してしまった人達にとって、貧困脱出への足がかりとなる手段の一つが、生活保護だからでしょう。湯浅氏の問題意識を少し長めに引用します。
 最近、「住むこと」の重要性があらためて指摘され、政策的にも雇用促進住宅の開放などが進められています。言うまでもなく住居は、人間が生きていくうえで基本的な必需品です。さらに、戸籍制度のある日本においては、住民票が多くの権利のフックになっています。選挙権しかり、国民健康保険しかりです。その他、雇用保険や年金もすべて住民票というフックに引っかかっていて、住民票を失ってしまうとそれらもすべて失ってしまうことになります。そうすると仕事も見つからない。携帯電話も買えない。その意味で、住居を確保できるか否かは、生存に直結することとして、とてつもなく重要な問題です。

 現在あるシェルターはどこもいっぱいで、新たな入所は難しい状況です。地方都市ではもともとそういう施設がありません。生活保護は本来例外のはずですが、地方ではそれも含めてすべての行政対応は「住居を見つけてきたら何とかします」ということになってしまう。しかし、収入も何もない人にアパートを貸す大家はいません。「すべり台社会」で貧困に陥った人に、階段をつけていかないといけないのです。アパートに入って、そこで初めて住み込みではない仕事を選べるようになります。

 生活保護だけは、住所がなくても申請できます。派遣村に来た人たちは住所がない状態ですから、派遣村からファックスで生活保護の申請を行ないました。生活保護申請は到達主義ですから、役所に届けば申請行為は成立し、受理ということになります。役所が始まってから面談を経て保護が開始され、アパートに入ることができるようになります。そこで初めて就職活動も始めることができます。

 しかし、生活保護が開始され、アパートに移っていく人が出はじめると、派遣村を取り巻く雰囲気が変わりました。マスコミの人からも「社内の雰囲気が変わってきている」と聞くことがありました。「生活保護まで受けさせるのはやりすぎだ。甘えている。」と言う人がいる、と。働く気がないから生活保護を受けるのではなく、住居もない状態では就職活動すらできないので、まずは生活保護を受けるところから自立の第一歩を始めるしかないという現実があるのですが、生活保護という言葉が出てくると雰囲気が変わってしまう。この壁は依然として厚く存在します。すぎには壊れないでしょう。

 生活保護の手前の段階に、セーフティネットを作らなければいけないのです。現状では、生活保護までいかないと何のセーフティネットもありません。職を奪われ、住む場所も追われたうえに、総務省の坂本哲志政務官ではありませんが、「働く気があるのか」というバッシングまで加えられるのでは、本人たちにとっては踏んだり蹴ったりです。

 まず、雇用保険の機能強化が必要です。「会社都合」での雇い止めであればすぐに雇用保険給付があるかのように思われていますが、実際の運用はそうなっていません。実際には会社都合で中途解約・雇い止めになっても、派遣元企業は、「いま次の職場を探している」などと言って会社都合の離職票をなかなか出さないことが多いのです。そのあいだは給料はありませんし、寮を追い出されて住所を失ってしまえば、そこでも住民票が出なくなるので雇用保険を受給することもできなくなってしまう。一方、「自己都合退職」ということになると給付まで三カ月待たされ、所定給付日数も短くなるわけです。それだけの期間の生活を支えられる貯金などの「貯め」を持っている人は限られています。

『派遣村 何が問われているのか』13〜15頁

 住所がなくても申請できる生活保護を一時の繋ぎとして利用し、アパートへ入居することで住所を得て、住み込みではない仕事への就職活動を開始する。住み込みではない職業を探す理由としては、昨今、問題となっている貧困ビジネス、宿代や食費、安全協力費など、様々な理由を付けて賃金から差し引かれるような職業、蓄積が期待できない職業しか選べないという状況に陥らないためでしょう。この不況下では実際に就職できるかどうかは分かりませんが、その試み自体を非難する理由は見当たりません。また、仮に濫給を問題視するとしても、それは次のような検討を経て、分けて考察されるべきことだろうと思います。
 実際に生活保護基準以下で暮らす人たちのうち、どれだけの人たちが生活保護を受けているのかを示す指標に「補足率」がある。政府は補足率調査を拒否しているが、学者の調査では、日本の補足率はおおむね一五〜二〇%程度とされている。二〇%として約四〇〇万世帯六〇〇万人、一五%とすれば約六〇〇万世帯八五〇万人の生活困窮者が生活保護制度から漏れている計算になる。一五〜二〇%しかカバーできていないのでは、もはやネットの「穴」と言える状態ではない。

(中略)

 生活保護と言うと、すぐに「必要のない人が受けている」「不正受給者がいる」と言われることがあるが、生活保護の不正受給件数は二〇〇六年度で一万四六六九件である。必要のない人に支給されることを「濫給」と言い、本当に必要な人に行き渡らないことを「漏給」と言うが、一万四六六九件の濫給問題と六〇〇万〜八五〇万人の漏給問題と、どちらが問題の性質として深刻か、見極める必要があると思う。

湯浅誠 著『反貧困』28〜32頁

 私は湯浅氏の他の政治問題に関するスタンスは知りませんし、北朝鮮問題に対する見解をもし聞く機会があれば、その点に関してがっかりすることがあるかもしれませんが、こと貧困問題に関しては、こうした著述を見る限り、ウェブ論壇の右派よりもはるかに広い視野を持った人物であろうと思います。

 そして、自分達は何ら救貧活動を行わずに、自宅であれ他所であれ、ネットに接続できる環境の下で(そして、おそらくは暖房もきいているであろう室内で)、年末年始の寒空の下で救貧活動をしている人達を叩く、粗探しをしてまで叩く、そういう行為には一切共感しません。抽象的な何かを持ち出して、具体的な救貧活動を貶める人達を国士だとは思いません。


4.思い込みを向けられても応えようがない

 左派認定に関連して、ウェブ上では何かについてある言説の行き過ぎを批判したら、それだけで左派認定を受けるという光景があります。おそらくその逆もあるのでしょう。そうした思い込み、二者択一的な発想を押し付けられても、「それで?」としか言えません。

 これは以前、カルデロン一家排斥デモに関して言及したときにも感じたことですが、全く何の関係もないこと、こちらが特に言及していないことについて、こちらがある立場であることを当然の前提として批判される方がいます。排斥デモの際は、チベット問題を持ち出されました。
ken409 なんだかなぁ,政治,所詮ポジション トーク 「日頃、愛国者や憂国者を自認・自称する人達が、〜看過しているということ。」…以前、「日ごろ、人権派を自認している左派がチベット問題について言及するのを避けている」という右派からの批判もあったけど…。

 自分のブログの記事を全て読み返してみても、チベット問題を扱った記事はありません。まあ、扱っていない話題はチベット問題に限らず、幾らでもあります。充分な知識がなくて言及しないこともあれば、関心が持てずに言及しないこともあります。巡回先のブロガーが既に言及済みで、その内容に過不足を感じないがゆえに言及しないこともあります。チベット問題に関しては主に一番目の理由からです。

 そして、私は「日ごろ、人権派を自認している左派がチベット問題について言及するのを避けている」といった批判はしません。自浄作用は、自らをそちら側と自認する人達で発揮し合えばいいのですから。左派、リベラルに期待する人達が、左派に訴えかければいいのです。私は保守派を自認するので右派に期待しますし、右派に問いかけます。

 ken409氏の言に戻れば、日頃の言説がポジショントークではないことを示せという趣旨の文章に、「所詮はポジショントーク」という的外れなタグを貼られても、やはり「それで?」としか言えません。右側から声が挙がるからこそ、冷戦構造を引き摺った論点抱き合わせの言説空間の風通しも幾らかよくなるのであって、そこで「ポジショントーク」と冷笑してみても仕方がないでしょう。

 現に、北朝鮮問題に特化したサイト『電脳補完録』の山本氏は、拙記事を受けて排斥デモと拉致問題の無関係について記事にされています。

2009年4月19日 電脳補完録:Youtube「カルデロン一家追い出せデモ_蕨市わらびし」の文章

 拉致問題に関するテキスト起こしをされているブロガーのぴろん氏も、拙記事にコメントを寄せて下さいました。どちらかといえば右寄りのブロガー(はてなブックマーカー?)のきぐつ氏も拙エントリーにTBを送って下さいました。

2009年4月19日 きぐつさんのぶくま感想戦:口をぬぐってるというより、呆れてものが言えない

 一人一人が声を挙げて、自分の言葉の届く誰かに訴えかけること、その連鎖が個人メディアとしてのブログの力であり、醍醐味でもあると考えます。そして、その積み重ねが「右派=人権軽視」といった誤ったイメージを払拭することにも繋がります。

 ここでも理想を言えば、ウェブ上の右派運動の一つ『竹島プロジェクト』を主催されていて、拙記事にコメントして頂いた佐倉純氏が何らかの声を挙げて下されば、さらに風通しがよくなっただろうとは思いましたが、何を選び、何に声を挙げるかは人それぞれの自由です。それに、ある種の言説の行き過ぎに対抗しようとすると、お手軽な人達からの思い込み、罵詈雑言を浴びせられるというのもウェブ論壇の風物詩です。厄介ごとを避けることも、一つの賢明な判断だと思います。

 例えば、拙記事にTB下さったきぐつ氏の場合、4月19日付記事にipodpress氏という方から罵倒コメントが書き込まれています。コメントの時期は5月5日17時6分と17時17分。sox氏が拙記事に連投コメントされていたのが5月5日の15時46分、16時21分、16時48分ですから、おそらく拙記事にTBしたばかりに、sox氏と同種の思想の方が流れて、罵倒コメントが書き込まれたのでしょう。

 内容はといえば、「排斥デモ」への批判と「排斥デモ反対デモ」参加者を混同したもので、きぐつ氏の本文を読めば、「排斥デモ」と「排斥デモ反対デモ」の双方に距離を置き実況したmiracle氏の記事にわざわざリンクしている理由も検討がつくと思うのですが、何の思慮もなく混同したままです。ここでも思い込みのままに、左派認定がなされています。なお、miracle氏のブログでは、5月5日までに左派の「排斥デモ反対デモ」に対してかなり厳しい批判が書かれていますから、排斥デモへの賛同か、排斥デモ反対デモへの賛同かといった的外れな二者択一を他者に強いる前に、関連する記事まで読めばいいのに、と思いました。

 このように、声を挙げることで起こる連鎖には、面倒が付きものです。声を挙げれば、思い込みを押し付けられ、罵詈雑言を浴びせられる(時々、これは他者をただ疲弊させるためだけのピンポンダッシュではないかと思わなくもないですが)。それに一つ一つ反論していくのは手間ですし、当人は言いっ放しでしょうから反論まで目を通すとも限りません。だから、声を挙げないことを責はしません(当たり前ですが)。それでも、声を挙げることで起こる連鎖、その集積としてのブログ論壇に淡い期待を寄せるのは、私がまだ、かつて自分を魅了した言論の側に期待しているからでしょうね。


余談ですが個々の人物について

 ipodpress氏という方のブログを見てみたら、ダイアリーは利用されていませんでした(7月26日現在)。排斥デモ関係者が拉致問題と関連付けて自己正当化を図ろうとしていることを批判した記事に対して、何ら関係のないチベット問題まで持ち出して排斥デモを相対化しようしたken409氏のダイアリー(ブログ)は、プライベートモードでした(7月26現在)。ブログをどう管理するかは、勿論、個々人の自由ですが、思うところがあるならば、排斥運動の正当化に関しても、チベット問題に関しても、自身の考えをまとまった文量で、広くウェブ論壇に問うてみればいいと思います。

 sox氏に関して。私は彼or彼女から「以前もでたらめ書いて批判された」ことがありません。sox氏から何か間違いを指摘されたという記憶も記録もありません。これも自分のブログ記事を読み返しましたが、見当たりませんでした。それどころかsoxというHNによるコメントは彼or彼女の3連投が初めてです。

 勿論、間違いの指摘に関しては、それがその通りであると確認できれば、訂正します。間違いを正すことは恥ずかしいことではないので、そこにこだわりはありません。かつて、間違いを指摘されて訂正したこともあります。

 しかし、何も指摘された事実が無いのに、勝ち誇ったかのようなコメントをされても、反応に困ります。まさか、自分以外の誰か、それもおよそ自身とは思想傾向の正反対の人が私に指摘したこと、そして私がそれを受けて訂正したことを指して、自身の手柄であるかのように振舞っているというような恥知らずな人ではないと思うので、具体的に自身の手柄を指摘して下さい。

 但し、その際は二重ハンドルを使用したことになるので、今後は一貫したハンドルネームの使用をお願いします。その都度、誰にでもなれるような人とは、まともに話し合う気にはなれません。
posted by sok at 12:26| Comment(12) | TrackBack(1) | ネットと言論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やっと再開されたのですね。
楽しみにしています。

Posted by りか at 2009年07月29日 18:58
>ウェブ上の右派運動の一つ『竹島プロジェクト』を主催されていて、拙記事にコメントして頂いた佐倉純氏が何らかの声を挙げて下されば、さらに風通しがよくなっただろうとは思いましたが

あうあうあう(笑)

というのはさておき、言い訳になりますが、その頃は私生活で体調が優れず、実際はそれどころではありませんでした。
(今も鬱で休職中です)
まさかこんなところで期待されておられたとはいざ知らず、失礼しました(汗)

以前こちらでコメントをいたしました

>強い冷や水を浴びせることができる存在

の問題については、自分の心の中でもずっと命題になっている問題です。おそらく例のカルデロン一家の問題の時に正面切って矢を放つべきだったのでしょうが。。。
最近だと、児童ポルノ法ネタもしかりです。

少しずつ体調の回復と共に、冷や水をかけるよう努力しているつもりですので、それで今回はご勘弁くださいm(__)m
Posted by 佐倉純 at 2009年07月30日 18:46
【雇用問題】各政党メール・フォーム

雇用に不満がある人は政党に直接メールした方がよい。
メルアドを知られるのが嫌なら、使い捨てのフリーメールを取得して使用すればよい。
今がチャンス。というより、今が「ラストチャンス」かもしれない。

●民主党 web-site
https://form.dpj.or.jp/contact/
●民主党 ネクスト厚生労働大臣 藤村修
衆議院議員 藤村修
http://www.o-fujimura.com/voice.html
●民主党 ネクスト厚生労働副大臣 山井和則
衆議院議員 やまのい和則(かずのり)
http://yamanoi.net/
山井和則 <kyoto@yamanoi.net>, 山井和則 <tokyo@yamanoi.net>
●民主党 ネクスト厚生労働副大臣 中村哲治
中村てつじ公式WEBサイト - メール
http://tezj.jp/modules/contact/
●社民党OfficialWeb┃お問い合わせ
http://www5.sdp.or.jp/central/inq/inq.htm
●日本共産党ホームページの著作権について
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非正規雇用の対象業務 - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?ie=auto&q=%22%C8%F3%C0%B5%B5%AC%B8%DB%CD%D1%A4%CE%C2%D0%BE%DD%B6%C8%CC%B3%22
Posted by vsParties at 2009年08月05日 08:42
 りかさん、コメントありがとうございます。

 再開といっても、情報の入力だけで精一杯で、更新まではいかないと思います。


 vsPartiesさん、マルチポストのような真似事は御控下さい。


 佐倉純さん、コメントありがとうございます。

 期待というと大袈裟かもしれませんが、「風通し」については以前よりも切実に考えます。調べて書くことよりも、心に浮かんだ心無い感想をぶつけるだけの方が、手間も時間も費用もかかりませんし、タブーに踏み込んだ気になって爽快感が得られますし、短時間のうちに仲間内で盛り上がれますから、人を誘惑する要素は多いです。そのような誘惑の多い不確かな情報は、他方で、知らず知らずのうちに人を誤った結論に導いたり、意図せずに下衆な言説の競い合いの側へと堕としたりもします。そうした言説から自身の思考過程を守るにはどうすればいいか。自分の手元に届く情報とその考察材料、それらの質を如何に維持するか。

 今よりも確認に時間がとれた頃は、一つ一つの言説の妥当性を自分で調べて、より確からしいことを押さえていけばそれでよかったのですが、今、そしてこれから、検索・検証にかける時間がもっと減ったとき、何が妥当なことなのかを押さえることは困難になります。その時、自分が得意とする分野を多数持っている人なんて少数でしょうから、先ず詳しくない分野で紛いものを掴まされる可能性が高くなるでしょうし、ある程度詳しい分野でも「○○ならば××に違いない」という思い込みが浸透すれば、そこでは確証バイアスを強めることになるでしょう。

 自身で一つ一つ押さえることが難しいのであれば、信頼できる人物を何人か見つけることですが、ウェブ上で意見を書き込む人達の多くが、調べることを軽視して、脊髄反射的なコメントを繰り返すようになれば、かつて信頼していた人達でさえ、煽情的なだけの言説を鵜呑みにするかもしれません。現にそうした人達を何人も見てきました。一日平均5000PV以上のアクセス数を誇るサイトが、悪質なデマに加担する様も何度も目にしました。彼らがデマ言説に加担すれば、拙ブログの規模では到底太刀打ちできません。

 デマを問題にしてきたのは、そのような将来における情報や思考に関する自己防衛という観点からでもあります。各人が余暇時間のある内に、自分の声の届く人達に向けて、落ち着いて検討することの重要性を伝えること、煽情的なだけの過激な言説を鵜呑みにしないこと、防衛線を築くこと。そうした輪が右側に広がればと思うのですが、現実にはネット上にさえ柵があって、思うようにはいかないのでしょうね。
Posted by sok at 2009年08月15日 00:23
>

自分は左派でけっこうニダ bysok
Posted by sox at 2009年10月07日 10:09
sokって他人のサイトを荒らしておいて、削除されると、「俺の投稿した労力を返せ」って喚いてたキチガイでしょ。
デマに関しても、sok本人がデマを吹聴していた件については無視ですか(笑)
とりあえずsokは土下座して謝罪すべきだなw
Posted by sox at 2009年10月07日 10:19
 sox氏へ

 本記事では、貴方から頂いたコメントに対して、相応の時間と労力をかけて回答したつもりでしたが、それに対する返事が上記の通りだということは、残念です。結局、貴方は「派遣村」問題に関する「嘘吐き」云々の言説を正当化することは出来ませんでした。今回頂いたコメントについて返答しておきますが、対話相手として期待できそうにないので、今後は自身のブログで所見を纏めて、TBして下さい。今後の当ブログへのコメントに関しては、基準を提示した上で放置or削除も検討致します。

1.私は左派を自称していません。本文に掲げた前提をよく読んで下さい。また、時系列順に見ても、先ず前回記事に寄せられた貴方からの根拠の無い左派認定があり、それを受けての本記事です。せいぜい、極右から見れば右翼も左翼ということになるでしょうね、ということです。

2.語尾に「ニダ」を付けるのは、ある種の人達がネット上で好んで使う韓国人・朝鮮人への蔑視表現で、そういう語尾を付けずにはいられない人達が、ネット上に一定数存在していることは知っていますが、当ブログのコメント欄では、そうした人種差別的な表現を横行させるつもりはありません。やめなさい。基準を提示して警告しました。

3.私は議論をしたことはあっても、他人のサイトを荒らしたことはありません。某所で私のコメントが削除された件に関しては、管理者以外の者による削除であり、削除者自身が一度目は誤って削除したと謝罪し、二度目は理由(削除基準)も告げずに遁走しました。おそらく有効な反論が思い浮かばないから、議論自体を無かったことにしたかったのでしょう。また、先日、当該管理者自身が掲示板上の低劣なコメント(かつて私が批判していた人達)に対して、はっきりと批判を表明しました。言及していた事案に関しても、その後、彼らの言い分が正しくなかったことが報道されました。当時の状況およびその後の経過を鑑みても、私の文章が「荒らし」であったとは認定できないでしょう。まあ、そう吹聴したい人がいることは予想できますが。議論の流れも把握せずに首を突っ込もうとするのは、おそらく己が力量ではその程度の印象操作でしか突付けそうにないからでしょうが、本件に関して門外漢の貴方に出る幕はありません。

4.過去にデマを吹聴したことはありませんし、間違いを指摘された場合に無視をしたこともありません。本文にもその旨記載しています。貴方は「荒らし」「デマ」「キチガイ」「無視」「吹聴」といった言葉の用法が通常とは異なる方のようですが、貴方の用法に従えば、本文でも取り上げた通り、「派遣村」を巡る貴方の言説が真っ先に「デマ」に当たります。また、今後も無内容なコメントを繰り返えすだけであれば、当ブログ管理権者の立場から「荒らし」認定も可能であると指摘しておきます。

5.かつて当ブログコメント欄に、思想的に相容れない人物の功績を、まるで自分の手柄であるかのように得意気に振る舞う人物が現れました。その方は一貫したハンドルネームを使用せず、「cro」と「×」という名を使い分けて必死に罵倒コメントを連投していました。そうした恥知らずな人物との不毛なやりとりを、何ら関係がないであろう貴方と繰り返す必要性を感じません。貴方は、自身が挑んできた事案(「派遣村」あるいは貧困問題)に対する私からの応答(本文記事)に、適切に返答して下されば結構です。

6.ネット上の対話相手に「土下座して謝罪」を要求したとして、それが果たされたかをどう判定するのか、という疑問もありますが、この種の表現を見るたびに、ネット上には糾弾会のようなことを好む人が後を絶たないのだなぁと実感します。「派遣村」問題に関する文脈で(話を摩り替えないようにここを強調しておきます)、貴方が私に向けた「嘘吐き」云々の中傷に対して、それを正当化する論理が示せないときは、土下座はいらないですが、文章で謝罪して下さい。
Posted by sok at 2009年10月07日 20:39

ずいぶん前の話ですが、たまたま通りがかったので反論します。

私は、SOKさんの

>日頃、愛国者や憂国者を自認・自称する人達が、こういうゲスな拉致問題の政治利用(それも排外主義運動への利用)を、看過しているということ…

に対して、批判的ととれるブクマコメントをしましたが、それは、「愛国者や憂国者を自認・自称する人達」をひとくくりにして、「看過している」と靴論づけるという安直さに対して、少し引っかかるものを感じたからです。

実際には、SOKさん自身が言及されているように、「愛国者や憂国者」のカテゴリーに入ると思われる人たちである『電脳補完録』の山本氏や、ぴろん氏、きぐつ氏も声を上げていましたね。この人たち以外にも、同じようなスタンスの人で言及している人たちはいましたよ。そういう事実を見もしないで、「看過している」と決めつけるような発言自体が、

>「日ごろ、人権派を自認している左派がチベット問題について言及するのを避けている」

という右派から左派への批判にそっくりだと感じたのですよ。

上記の意見は、SOKさん自身を批判したものではありませんし、私自身の見解でもありません。「Aというカテゴリーの人はBを看過してはいけない」というような安易な決めつけの一例を示したものにすぎません。

わたしはむしろ、「人権派であれば、チベット問題について言及すべきだ」のような「Aというカテゴリーの人はBを看過してはいけない」という決めつけを批判しているのですよ。

それに対して

>思い込みを向けられても応えようがない

などと反論されても困ります。

それにしても、チベット問題に関しては、「充分な知識がなくて言及しないこともあれば、関心が持てずに言及しないこともあります」と言いながら、カルデロン事件に関しては「充分な知識がなくて言及しないこともあれば、関心が持てずに言及しないこともある」というようなスタンスの人を否定するのですか。それも、また、ダブルスタンダードではないですか。
Posted by ken409 at 2010年11月02日 14:32
「靴論」は「結論」です。どうもすみません。
Posted by ken409 at 2010年11月02日 14:42
 ken409さん、コメントありがとうございます。貴方からの反論を読み、確認すべき二つのこと、質問すべき二つのことが生まれました。どうかご検討下さい。


確認1.「事実を見もしない」という批判に対して

 もう随分昔のことなので時系列を混乱されていても已むを得ないことかもしれませんが、一応言っておきます。私が『カルデロン一家追い出せデモが利用したもの』という記事を公開したのは、2009年4月18日21時27分です。『電脳補完録』の山本氏が『メモ : Youtube「カルデロン一家追い出せデモ_蕨市わらびし」の文章』という文章を公開したのは、4月19日2時25分19秒です。きぐつ氏からコメントを頂いたのは4月19日9時00分で、トラックバックを頂いたのは4月19日14時48分のことです(記事の日付は4月19日)。彼の当初のブログ『きぐつのつぶやき(仮)』は、2008年12月30日を最後に更新されていません。ぴろん氏から拙記事にコメントを頂いたのは、2009年4月26日23時27分のことです。

 勿論、山本氏やぴろん氏の政治信条であれば、在特会や新風連に同調することはないだろうということは、何度かコメントを交わした経験から想像できます。私が言及しなくても、そう遠くない未来において、彼らの義憤があの文章の放置を許さなかったかもしれません。そういう可能性は考えられます。しかし、上記時系列が示す通り、私が取り上げるまで、あの醜悪な動画説明文に対して批判的に言及したサイトは、当時、私が見た限りではありませんでした。他方で、ネット上の言説として影響力(PV)があるであろう、所謂ブログランキング上位サイトに位置する保守系ブロガー達の振る舞いはどうだったのか。

 この影響力のない私にできることは、私の文章を読んでくれるだろう数人を刺激し、それを読んだ何人かが声を挙げることに期待すること。その何人かの内で、まとまった文章の書ける人が声を挙げ、それを読んだ人がまた声を挙げる。そうなれば、たとえ私のことが嫌いで、私の言うことには耳を傾けない人達であっても、無視できない言論の力になるかもしれない。あいつはともかく、あの人が言うのなら聞いてみようか、考えてみようか、と。在特会や新風連とは思想的に近いけれど、次からは彼らの煽動演説から少し距離を置こうか、と。

 その対抗言論が左派によるものであれば、それはただの保革対立として片付けられることでしょう。けれど、左派ではなく保守派を自認する人達の手で形成される抑止の輪であれば、煽動への加担を思い留まる人が出るかもしれない。この場合にも「工作員」認定などはありえますが、それでも何もしないよりはいい。左派がそうするよりは、かつての自分と似た思考の人達に響くかもしれないから。そう思い声を挙げました。

 もし、貴方があの醜悪な動画説明文に対して、批判的に言及した保守系サイトの存在を当時確認していたというのならば、先の時系列を念頭に入れて、どうぞ御提示下さい。
Posted by sok at 2010年11月07日 01:03
確認2.「Aというカテゴリーの人はBを看過してはいけない」論法であるとの批判について

 貴方は、私による「決めつけ」を批判されているようですが、この件で私は「Aというカテゴリーの人はBを看過してはいけない」という論法には立っていません。これは「人権派たるものは」または「愛国者・憂国者たるものは」といった話ではないのです。過去記事を読んで私のスタンスを知って欲しいとも思いませんし、読まなくても当該記事とそれまでのネット世論の関連する箇所を観察していれば分かることと思っていたので、貴方の今回の反応は意外でした。

 当該記事で貴方が問題とした箇所「日頃、愛国者や憂国者を自認・自称する人達が」から少し読み進めれば、「カルデロン一家に対して「痛い」認定で批判記事を書いていた人達は」や「先頃、在日朝鮮人に対して不作為の責を追及していた人達も」といった記述があります。架空の人権派・愛国者・憂国者といった理想像を振りかざして、それにそぐわないから批判しているのではなく、直近の具体的な振舞い、その時に持ち出された論法との齟齬を批判しているものと分かるかと思います。

 1年半も経った今、貴方と当時の経緯を共有し合うのは困難かもしれませんので、当該記事を書くにあたって、はっきりと念頭においていた記事を挙げておきます。前者はブログ『痛いニュース(ノ∀`)』のカルデロン一家関連の記事およびその記事編集に同調する保守系ブログ・日記サイトの記事です。後者は4月6日の時事通信『在外の「北朝鮮籍の人」が批判を=橋下大阪知事』や朝日新聞『橋下知事、ミサイル発射で「在日朝鮮人も体制批判を」』およびその前提となる3月30日の府知事発言に関する保守系ブログ・日記サイトの記事です。

 前者は、カルデロン一家排斥デモとチベット問題といった、人権を介して関連づけられる話題ではなく、カルデロン一家に関する話題における一貫性の無さと、その「痛い」認定の恣意性を批判しています。後者は、日本在住(北朝鮮から見て在外)の「北朝鮮籍の人」が北朝鮮の体制を批判すべきだという論調に対して、ならば在特会に人質すら取られていない保守派は尚更、在特会を批判し易い立ち移置にあるのに、何故より難しい立場の人にだけ困難を強いるのかという批判です。

 私の問題意識は、本文全体を読めば伝わることと思いますし、反応して下さった方々を見たところ伝わっていたように思います。貴方に伝わらなかったのならば、貴方の表現で言い直しましょう。カルデロン事件に関して「充分な知識がなくて言及しないこともあれば、関心が持てずに言及しないこともある」というようなスタンスの人であれば、先のカルデロンさんの会見を嘲笑することもまた出来ないでしょう。充分な知識も、関心もないのだから。しかし、実際には言及されていた。カルデロンさん側の「痛い」には言及していながら、その当のカルデロンさんを狙い撃ちにしたデモという名の迫害に対しては、なぜ「痛い」認定を行なわないのか。保守派が大切にしている日の丸まで持ち出して迫害しているというのに。

 また、私が問題とした動画説明文については、拉致に関する知識もカルデロン一家問題に関する知識も必要とせず、ただ文章読解の能力があれば、妥当でないことは分かることと思います。彼らが充分な知識や関心がなくても言及できたカルデロン一家の問題に対して、拉致に関する知識を必要とせず、ただある程度の文章読解能力さえあれば否定可能な動画説明文については、なぜ「痛い」認定が行なわれなかったのか。
Posted by sok at 2010年11月07日 01:05
質問1.ダブルスタンダードではないかとの批判について

>それにしても、チベット問題に関しては、「充分な知識がなくて言及しないこともあれば、関心が持てずに言及しないこともあります」と言いながら、カルデロン事件に関しては「充分な知識がなくて言及しないこともあれば、関心が持てずに言及しないこともある」というようなスタンスの人を否定するのですか。それも、また、ダブルスタンダードではないですか。

 どうか教えて下さい。私が『いつカルデロン事件に関しては「充分な知識がなくて言及しないこともあれば、関心が持てずに言及しないこともある」というようなスタンスの人を否定』したというのでしょうか。『痛いニュース(ノ∀`)』や所謂ブログランキング上位サイトに位置する保守系ブロガー、およびそこに集いコメントする人達の多くは、カルデロン一家を何度も取り上げていたではないですか。嘲笑を交えてね。異なる話題について人権という観点から総論的に論じている訳でもなく、まさにカルデロン事件における数十日前の言説との整合性を問うことさえ、ダブルスタンダードだといって退けるのならば、もっと別の、貴方の思う有効な抑止の輪を構築する術を教えて下さい。


質問2.貴方の付けたはてなスターについて

 貴方は当該記事のはてなブックマークにてkikori2660氏と仲良く「はてなスター」を分け合っていますが、彼のブックマークコメント「そう言えば昔、拉致被害者を引き合いに出して、中国残留孤児が国を訴えたのを擁護してたヤツがいたっけな。」のどこに共感したのでしょうか。私は「拉致被害者を引き合いに出して、中国残留孤児が国を訴えたのを擁護して」はいません。中国残留孤児と帰国した北朝鮮拉致被害者を巡る支援の「格差」は、兵庫訴訟における争点の一つでした。争点を把握することはその問題を考えるにあたって必要なことだと考えますが、貴方はどう考えますか。事実認定からして間違った言説(印象操作)に同調したことの理由を教えて下さい。知識も、関心もなく、スターだけは二つも与えたのですか?
Posted by sok at 2010年11月07日 01:07
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第三者の視点
Excerpt: 先日の例のカルデロンさん騒動のもやもや含めて、sokさんが丁寧にまとめて論考されているエントリで、不肖のダイアリにも言及されていました。 コメ欄では長くなりそうなのでいっそのことこっちのエントリにし..
Weblog: きぐつさんのぶくま感想戦
Tracked: 2009-08-15 16:20