2008年11月03日

結果論や政局論のみで処理する風潮について

 先日の田母神空幕長更迭問題に関して、田母神「論文」擁護と併せて、中山元国交相の言動をも「正論」として肯定する動きが、一部保守系ブロガーの中に存在します。また、田母神「論文」擁護派を説得するために、“中山発言の時でもそうですが「正論を言って何が悪い」という議論は実際にはなかなか通用しません”というような、まるで中山発言が正論であるかのような前提で話を進める向きもあるようなので、今更ですが、中山発言の何が問題であったかを確認したいと思います。これから書く内容は、9月28日に某所に投稿した内容の加筆修正版です。


中山元国交相「失言」問題

 今年9月末の中山元国交相3失言問題、特に「日教組の組織率と学力との相関」に関する中山擁護派とそれを諌める側(および一応は中山氏の非も批判して中立的に振る舞おうとした人達)との議論において、後者がしばしば用いた手法が結果論でした。例えば、短命に終わった安倍・福田政権を受けて誕生し、世論調査の結果も厳しい麻生政権を出鼻から挫いたことへの批判、結果として辞任したことへの批判、「今このタイミングで何故」等々の意見がこれにあたります。こうした政局論は一見尤もらしいですが、その実、問題の本質には何ら触れていません。

 そもそも、「日教組の組織率と学力との相関」という問題は、それがデータに基づいての判断であるというのであれば、政局に影響するか否かとは無関係に、データに立ち返って判断できることです。そして、仮に政局が中山発言擁護派や政局論からの批判派の持説に有利に展開した場合に、基となるデータに何ら変化がなくとも、白が黒に、黒が白にと結果が変わるのかと自問すれば、自ずと答えが出ることでもあります(ついでに言えば、保護者が日教組に不信感を抱いているか否かも、日教組の組織率と学力との相関性を検討する上では影響を与えません)。政局論のみで中山氏の非を問うということは、一見すると中立的で物分りの良い意見のようにも見えますが、時局が有利であれば基本的事実を捻じ曲げても構わないと公言しているようなものです。

 また、報道によれば、中山氏は『大分県教委の汚職事件に関連して「日教組(日本教職員組合)の子どもは成績が悪くても先生になる。だから大分の学力は低い」などと述べた点についても発言自体は撤回したが、意図や真意について記者らから問われても「所管事項ではないので」と繰り返し、詳しい言及を避けた。』とあります。教育という文科省の所管事項に立ち入って言及しておきながら、釈明を求められると「所管事項ではない」と言うことには、保守派からも批判が向けられており、これは一応妥当な批判であると思います。

(2008年9月26日)朝日:国交相「申し訳ない」「所管でない」「文科省に聞いて」

 けれど、中山発言に関して問題の根が深いと考えられるのは、「所管事項ではないこと」よりも、かつて「所管事項であったこと」の方でしょう。個人的に最も問題であると考える点は、失言そのものではなく、その後の釈明にありました。

 中山氏は『全国学力テストを提唱したのは、日教組の強いところは学力が低いのではと思ったから。現にそうだよ。(事件発覚で)学力テストを実施する役目は終わったと思っています。』と釈明していました。

(2008年9月27日)共同:中山国交相の発言要旨 就任以降の主な発言

 しかし、本来、学力テストとは、子供達の学力についての実態調査です。そして、その中断していた学力テストを再開したのは当時の文部科学大臣たる中山氏でした。

学習院ひろば:全国一斉学力テスト再開について
(2008年9月5日)NHK解説委員室ブログ:暮らしの中のニュース解説「学力テストでわかったことは?」

 当時、学力テストを所管する立場にあった中山氏が、後になって学力テスト再開の理由を、日教組組織率との相関を調べることにあり、その目的が達成されたから学力テスト実施の「役目は終わった」とまで言ったのです。

 学力テストの実施意図が本来のままであるならば、一度だけの実施で基礎学力の推移を調査することは出来ません。継続した実施が必要でしょう。にもかかわらず、中山氏が言った内容は、学力テストという公の政策に関して、県や市、学校レベルでの思想的な炙り出しといった個人的な関心事にしか興味がなかったと明言しているようなものでした。

 学力テストの実施には毎年60億円の費用がかかるとの報道もあり、状況によっては当初説明との齟齬や学力テスト再開の是非にまで話が及んでいたかもしれません。つまり、中山発言問題は、3失言それ自体よりも、釈明にこそ危うさが潜んでいたのですが、当事者がさっさと辞任したことや、個室ビデオ店放火事件や世界同時株安といった後日の大きな話題の出現によって、問題視されずに済んだということでしょう。

(2008年9月27日)朝日:「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし
(前略)

 対象学年の全員を対象とする全国学力調査のそもそもの発端は04年11月。当時文科相だった中山氏自身が改革私案「甦(よみがえ)れ、日本!」で導入を表明したことだった。当時は目的について「競い合う心や切磋琢磨(せっさたくま)する精神が必要」と説いていた。

 その直後、国際学力調査で日本の順位が落ちたことなどもあり「学力低下問題」への対応策として急浮上。05年6月には、小泉内閣の「骨太の方針2005」に盛り込まれた。同年10月の中央教育審議会の答申は「子どもたちの学習の到達度・理解度を把握し検証する」と明記。国策として統一的に学力の様子を調べる必要性が強調され、毎年60億円かかるテストの実施へと進んでいった。

 今回の発言について、文科省には「あれは前からの持論だから」と冷めた受け止め方をする向きが多い。「別の役所の大臣だから」「『信念』をどこまでも語っちゃう人」「免疫できてます」。担当者の一人は「組合がどうのという目的はないし、役目が終わったということもありません」と話した。

 さて、朝日新聞にさえ容易く論破されてしまった中山氏のその後の迷走については最早触れるのが不憫なくらいです。出馬するとかしないとか、言を左右し、自らその政治的影響力を損傷していきました。哀れな人ではありますが、今となっては、持説と近いという程度で、中山氏の言説を肯定的に捉えてしまうウェブ保守論壇の体たらくをこそ問うべきだろうと思います。

(2008年9月26日)朝日:国交相発言「本質ついてる」 橋下知事は擁護論
(2008年9月27日)島田洋一blog:中山成彬国交相は舌足らずな謝罪でなく建設的「失言」を
(2008年9月26日)クライン孝子の日記:中山国交相の発言、どこが問題?
(2008年9月28日)時事:日教組批判は「確信犯」=辞任会見で自画自賛−中山氏
>冒頭、中山氏は「(発言後)たくさんの方から『よく言ってくれた』といった山のようなメール、電話が深夜まで鳴り続けていた」と、自身の発言を自画自賛。
(2008年11月1日)ぼやきくっくり:「ムーブ!」中国は北朝鮮をどう見ているか(付:最近のニュース)
>中山前国土交通大臣の日教組発言の時も思いましたが、この国では正論を言える人からクビになっていくんですか?

 いえ、それは未だ正論と呼べるようなものではありません。正論と主張するからには、先ずは中山氏自身が持ち出した相関を証明することでしょう。日教組憎しで統計リテラシーさえも放棄してしまうと、朝日新聞にさえ論破されてしまいます。

 そして、中山氏を擁護するにしても、擁護派を牽制するにしても、結果論や政局論を思考の中心に据えると、政局に影響がなければデータを捻じ曲げても構わないのか、政策説明に齟齬があっても許されるのかといった反問が生じることになります。結果論・政局論はあくまで副次的な要素に過ぎず、保革対立図式から抜けられずに頑なに中山氏を擁護し続ける人達を説得する一材料程度の効果に留まると理解していれば、主たる論点に頬被りをすることはなかったでしょう(勿論、主副ともに論じるのがベストです)。どこかの時点で学ばなければ、今後も同じことを繰り返すことになります。
posted by sok at 15:00| Comment(0) | TrackBack(1) | ネットと言論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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